白川郷 其の4
「松原山 明善寺」の右手から上り坂が東に続きます。
道は突き当り二手に別れます、そこを右手に進んでいくと、左手の斜面が開け、上に小さな鞘堂と鳥居を構えた小さな神社が見えるはずです。
そこが目的地の天龍宮になります。
マップはデフォルメされ今一つですが、突き当りを右に進んでいきます。
上は明善寺本堂と左に鐘楼の茅葺屋根。
天龍寺に向かう道筋で見かけたマンホール。
合掌集落と森、集落を流れる清流庄川の流れがモチーフになっています。
突き当りを右に進むと左の視界は開け、山の斜面を見上げると天龍宮の鞘殿が見えてきます。
ここから少し先の分かれ道を左に進むと社頭に至ります。
山の西斜面を切り開き、広い社地が作られ、石の明神鳥居とその先に鞘殿が鎮座します。
ゆとりのある社地に天龍宮の伽藍がポツンと建てられています。
鳥居から鞘殿方向の眺め。
白川郷集落の東外れの高台に位置し、これより右手の山側には住居は見られない。
まるで合掌集落を見守る様に鎮座しています。
石造の額には天龍宮と彫られています。
鞘殿全景。
木造入母屋造の鋼板葺の屋根で妻入りの鞘殿。
雪深い白川郷にあって外観に傷みはなく綺麗に維持されている。
天龍宮の創建等詳細は分からなかったが、軒下の由来を見ると綺麗な外観の理由が分かって来た。
由来にはこう記してあった。
「神を敬ふこと即ち、自然を尊ぶことなり。
天龍宮由来
当合掌部落は急峻な山を背にて
往昔むより雪崩等の災害を羅り、特に近代昭和23年7月25日集中豪雨に依り、戦中戦後における山林の乱伐と自然の力を異る人為的治山、施設の脆さ大きな災害となって、民家及び附属建物は軒下、床上に土石埋没の大きな災害を受け、ここに神を鎮めて天龍宮の社殿を建立崇拝すると共に、この山林一帯を永久の禁伐林と定めた。
昭和56年7月吉日社殿再建せり。
注 火乃用心」
戦後の復旧に貢献した山はそれにより集落に大きな代償を与え、それを契機に山の保全に向かったようだ。
傷みの少ない伽藍の理由も上から来ているようだ。
その昔は陸の孤島の様な僻地だったこの谷筋、今や高速が整備され観光や物流にとって便利になった。
その代償として白川から荘川にかけて随分樹は伐採され、別荘地や高速の法面に姿を変え、地表が露わになっていた。
荒れた林道は工事のため舗装化され、渓流の様相も様変わりし、国道沿いにあった小さな商店や食堂などの姿が消え風景までも変えてしまう。
何かを失わなければ便利にはならないという事だろう。
鞘殿内。
中に祀られた本殿の様子はよく分からないが、合掌集落を自然の脅威から護る目的で建てられた神社だけに伽藍の外観同様、内部も人の手が入り綺麗に維持されている。
鞘殿左から茅葺屋根の合掌集落眺め。
寄り添うように立ち並ぶ光景は正に「火乃用心」そのもの、集落そのものが運命共同体。
秋葉さん一人に任せていても済まない話だ、一人一人の行いが問われる集落だ。
天龍宮
創建 / 不明(昭和56年社殿再建)
祭神 / 不明
所在地 / 岐阜県大野郡白川村荻町
参拝日 / 2022/08/22
明善寺から徒歩ルート / 東へ徒歩5分程
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マップはデフォルメされ今一つですが、突き当りを右に進んでいきます。
上は明善寺本堂と左に鐘楼の茅葺屋根。
天龍寺に向かう道筋で見かけたマンホール。
合掌集落と森、集落を流れる清流庄川の流れがモチーフになっています。
突き当りを右に進むと左の視界は開け、山の斜面を見上げると天龍宮の鞘殿が見えてきます。
ここから少し先の分かれ道を左に進むと社頭に至ります。
山の西斜面を切り開き、広い社地が作られ、石の明神鳥居とその先に鞘殿が鎮座します。
ゆとりのある社地に天龍宮の伽藍がポツンと建てられています。
鳥居から鞘殿方向の眺め。
白川郷集落の東外れの高台に位置し、これより右手の山側には住居は見られない。
まるで合掌集落を見守る様に鎮座しています。
石造の額には天龍宮と彫られています。
鞘殿全景。
木造入母屋造の鋼板葺の屋根で妻入りの鞘殿。
雪深い白川郷にあって外観に傷みはなく綺麗に維持されている。
天龍宮の創建等詳細は分からなかったが、軒下の由来を見ると綺麗な外観の理由が分かって来た。
由来にはこう記してあった。
「神を敬ふこと即ち、自然を尊ぶことなり。
天龍宮由来
当合掌部落は急峻な山を背にて
往昔むより雪崩等の災害を羅り、特に近代昭和23年7月25日集中豪雨に依り、戦中戦後における山林の乱伐と自然の力を異る人為的治山、施設の脆さ大きな災害となって、民家及び附属建物は軒下、床上に土石埋没の大きな災害を受け、ここに神を鎮めて天龍宮の社殿を建立崇拝すると共に、この山林一帯を永久の禁伐林と定めた。
昭和56年7月吉日社殿再建せり。
注 火乃用心」
戦後の復旧に貢献した山はそれにより集落に大きな代償を与え、それを契機に山の保全に向かったようだ。
傷みの少ない伽藍の理由も上から来ているようだ。
その昔は陸の孤島の様な僻地だったこの谷筋、今や高速が整備され観光や物流にとって便利になった。
その代償として白川から荘川にかけて随分樹は伐採され、別荘地や高速の法面に姿を変え、地表が露わになっていた。
荒れた林道は工事のため舗装化され、渓流の様相も様変わりし、国道沿いにあった小さな商店や食堂などの姿が消え風景までも変えてしまう。
何かを失わなければ便利にはならないという事だろう。
鞘殿内。
中に祀られた本殿の様子はよく分からないが、合掌集落を自然の脅威から護る目的で建てられた神社だけに伽藍の外観同様、内部も人の手が入り綺麗に維持されている。
鞘殿左から茅葺屋根の合掌集落眺め。
寄り添うように立ち並ぶ光景は正に「火乃用心」そのもの、集落そのものが運命共同体。
秋葉さん一人に任せていても済まない話だ、一人一人の行いが問われる集落だ。
天龍宮
創建 / 不明(昭和56年社殿再建)
祭神 / 不明
所在地 / 岐阜県大野郡白川村荻町
参拝日 / 2022/08/22
明善寺から徒歩ルート / 東へ徒歩5分程
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