鎭國守國神社を後にして、西に5分程歩いた三重県桑名市本町46に鎮座する桑名宗社に向かう。
七里の渡しの川口樋門から南大手橋に至る三之丸掘に架かる中橋、赤い欄干がシンボリックな橋です。
中橋の先に見えているのが桑名宗社(春日神社)の社頭になります。
上は桑名城下の町割りでこれから向かう桑名宗社は赤丸で囲った場所に当たり当時は三崎大明神と称されていました。
川口樋門から続く三之丸掘は、この先で一旦右に折れ、その先で更に左に折れて南大手橋まで繋がっています。この周辺には、築城当時の石垣の一部が残っています。
桑名宗社(春日神社)の鳥居。
異様に黒ずんだ銅製の明神鳥居には、笠木や島木に何か紋のようなものが描かれているように見えます。
石畳の先は桑名宗社の楼門になります。
鳥居左に解説板があるようです近づいて見よう。
そこには、解説と古い石標が建っていました。
解説の内容は以下のとおりです。
『春日神社の銅鳥居、三重県指定文化財です。
この鳥居は、寛文7年(1688)に七代桑名藩主松平定重により建てられました。
鳥居の前には、初代本多忠勝が慶長7年(1602)に寄進した木造鳥居がありましたが、承応2年(1653)に強風で倒壊したとされています。
治工 / 辻善右衛門種次
寸法 / 高さ6.9m、笠木長さ8.1m、柱回り57.5cm
銘文 / 表に「華表巍巍 惟直惟圜 神威可畏 保定萬年」とあり、裏には「寛文第七祀八月穀旦」と刻まれています。
しるべいし
迷い児石とも言われ、人の集まる場所に立てられました。
同じものが、多度大社の鳥居横にも立てられています。
自分の子供が迷子になると、左側面の「たづぬるかた」に子供の特徴や服装などを書いた紙を貼り、心当たりのある者が右側面の「おしゅるかた」に、子供がいた場所などの情報を紙に記載し、貼っていました。』
この石標は、昔の人々が迷子になった我が子の情報を共有するためのツールとして機能していたようです。
それにしても、多度神社はここから2時間以上かかる離れた場所にあるのに、当時の子供たちはかなり広範囲に移動していたようですね。
青銅鳥居
両柱を見上げると、上部にも上り藤紋が施されているようです。
この鳥居は、建立以来元文、明治、昭和と幾度も倒壊・再建を繰り返し、空襲による被災を経て戦後の昭和35年(1961)に修復されたものが現在の鳥居です。
戦後の修復を経ても、この黒ずみは一体何を物語っているのでしょうか。
楼門。
天保4年(1833)に松平定永によって寄進された入母屋造りの重厚な趣の門。
左右の間に像が安置されているようですが上り藤に大三の紋が入れられた紋幕で良く見通せない。
門は昭和20年(1945)に戦災で焼失、現在の姿は平成7年(1995)に再建されたものと云う。
楼門に掲げられている額には「桑名宗社」とあります。
桑名宗社は、創建当時は桑名地方豪族の祖神を祀った桑名神社一社のみでしたが、後に中臣神社が境内に遷座し、桑名の総鎮守として総称として「桑名宗社」と呼ばれるようです。
中臣神社が桑名神境内に遷されたのは正応2年(1289)の事で、その後永仁4年(1296)に奈良の春日大社から春日四柱神を勧請合祀されたようで、地元では桑名神社や春日神社、或いは春日さん、春日大明神とも呼ばれ親しまれていますが、正式には桑名神社・中臣神社だそうです。
楼門の間に安置されている左大臣・右大臣像の胸には、鳥居と同じ上り藤に「三」と「大」の文字が見えます。
上り藤に「三」が桑名神社、「大」が中臣神社の神紋を表します。
平成7年(1995)に楼門が再建されているのでその際に安置されたものでしょう。
石畳の参道をニノ鳥居に向け進むと、瓦葺きの拝殿が見えます。
ニノ鳥居から拝殿方向の眺め。
鳥居前には一対の狛犬が守護し、その先の瓦葺拝殿は左右に二つの唐破風向拝が並んだ珍しい形をしている。
参道左の手水舎手水鉢。
妙に黒ずんでいる狛犬。
天保3年(1832年)の銘が入ったもので、青銅鳥居でも記載したように、神社は空襲により被災しています。
狛犬の黒ずみは、それを物語っているかもしれません。
桑名宗社の拝殿は、大きな向拝を持ち、左右に唐破風向拝が付いています。
紋幕には、左に上り藤に大、右に上り藤に三という二つの神紋が描かれています。
楼門の像に描かれていた紋から、左が中臣神社、右が桑名神社の拝殿であることがわかります。
桑名神社の創建は定かではありませんが、平安時代中頃(927~943)に編纂された延喜式神名帳にも記された古社で天照大御神の第三子天津彦根命と、その子天久々斯比乃神の二柱をお祀りする。
以後、織田信長・徳川家康などより神領の寄進、本多忠勝・松平定綱など歴代桑名城主から篤く崇敬されてきた神社です。
桑名総鎮守桑名宗社。
桑名神社(旧三崎大明神)
御祭神 天津彦根命、天照大神の第三皇子桑名の産土神で海上安全と家運繁栄の霊験ある。
御祭神 天久々斯比乃命、天津彦根命の御子である。
中臣神社(旧春日大明神)
御祭神 天日別命、伊勢国造の遠祖で神武天皇の功臣。
祭事
毎年8月第一日曜日 石採御神事、8月16・17日比与利祭、9月17・18日御車祭。
中臣神社の拝殿。
桑名宗社の境内には、拝殿の左側に摂社の母山神社が鎮座しています。
境内には2つの鳥居があり、玉垣に囲まれた神域に覆殿が建っており、神社が祀られています。
参道右に岐阜県揖斐郡産のさざれ石。
この母山神社は女性に幸せをもたらすご利益で知られていますが、祭神について詳細は不明です。
覆殿の中に収まる社は暗くて分からないが流造で軒唐破風が付いているように見える。
拝殿右から拝殿、母山神社方向を眺める。
拝殿右にも複数境内社がありそちらを参拝して回ります。
拝殿の右方向に廻ると桑名宗社の神明造の本殿が二棟建つ本殿域を見渡す事が出来ます。
手前が桑名神社6本の鰹木と内削ぎ千木が見える、奥が中臣神社の本殿。
本殿右の境内社。
左から
皇大神宮御分霊社。
御祭神 / 天照大御神。
御神徳 / 国家安泰/衣食住・産業の繁栄。
創建 / 明治9年(1876)
例祭日 / 11月15日
その右の桑名東照宮。
桑名に東照宮がある事は訪れるまで知らなかった。
鳥居左の絵馬掛けには、千姫のご縁に肖って良縁を願う多くの絵馬が掛けられていました。
境内右の春日稲荷神社。
稲荷鳥居の左右には多くの奉納幟がはためき、地元の人々から篤く崇敬されていることが窺えます。
奉納鳥居の先に石の明神鳥居と朱の社殿が祀られています。
春日稲荷神社由緒。
御祭神 / 倉稲魂命。
御神徳 / 商売繁盛/五穀豊穣/家内安全
当社は文政8年(1825)に現在の伏見稲荷大社より御分霊を勧請し今日に至ります。
明治の末より大正初めにかけ市内各町々に旧来より鎮座する稲荷社を同じ社殿に合祀したもので御神霊も多く信者も広くあらゆる人から崇敬される神社です。
授与所取り扱いの御朱印の数々。
桑名宗社の授与所では、住吉神社や伊勢国一之鳥居の御朱印をいただくことができます。
また、江戸時代初期から続く桑名の初夏の風物詩である石取祭の限定御朱印も手に入ります。
桑名宗社の参拝を終えた後、予定外に桑名東照宮の参拝もできた、そろそろ桑名駅に向かうことにしましょう。
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