「水天宮社」名古屋市熱田区白鳥1

熱田区一番の八剱社から白鳥橋を渡り、堀川左岸沿いを遡り、自動車販売店の裏の路地に入り込む。
住所で云えば熱田区白鳥1丁目、こちらに水天宮社が鎮座しています。
八剱社から徒歩15分もあれば社頭に辿り着けます。
 

上は白鳥橋から右手にある白鳥古墳(白鳥御陵)方向を望む眺めで、水天宮社は右手のひと際高いビル付近に鎮座します。

水天宮社の鎮座地は赤いマーカーの辺り。
左の大正時代の地図には、堀川右岸に幾筋も水路が見え、帝室林野管理局貯木場とありますが、これが白鳥貯木場で、現在は白鳥公園や名古屋国際会議場として埋め立てられました。
ここが江戸時代から木曽の山々から切り出された丸太の貯木場だったと感じることがないかもしれません。
往時の白鳥は白鳥駅も作られるなど、一大集散地として木材を取り扱う多様な産業で賑わったようです。
しかし大きな被害をもたらした伊勢湾台風では、ここに係留、貯木していた大量の木材が被害に拍車をかけたことや、木材輸送の形態の変化から徐々に衰退し、現在の姿へと移り変わってきました。

水天宮社頭全景。
右手に由緒が刻まれた石碑、左手の社標は「水天宮社」とあり、石段先の境内に石の神明鳥居(2006)があり、その先に社が祀られています。

境内左の手水舎。

手水鉢には深い緑色をした龍の姿もある。
岩の上に全身を乗せた陶製のもので、清水は注がれていませんでした。

本殿域全景。
参道両脇に子持ち毬持ちの狛犬が守護しており、本殿域には三つの社が祀られています。
左は伏見稲荷大明神、中央が水天宮、右に一社ありますが詳細は分かりません。

参道脇を守護する狛犬(寄進年度は未確認)。

水天宮社。
福岡県の久留米市に鎮座する水天宮(久留米水天宮)を総本宮とする全国的に知られる神社で、祭神は天御中主神安徳天皇高倉平中宮二位の尼をお祀りする神社。
この地方であまり見かける事のない神社と云えるかもしれません。

地史から水天宮社、伏見稲荷大明神を調べましたが、具体的な事は分からず詳細は分かりません。
幸いにも社頭に由緒が刻まれていたのでそれが唯一の情報となるでしょう。
以下は由緒からの抜粋。
久留米市鎮座の水天宮より安政4年(1857)に勧請。
・白鳥町字中島守随氏邸内に祀られていたが昭和4年(1929)にこの地に遷座した。
・水神また安産の神として崇敬されている。
・例祭は7月5日
境内社秋葉社、稲荷社をお祀りする。

実にありがたい、右の社が分からずにいたが、秋葉社である事がはっきり記されていた。
秋葉社伏見稲荷社の勧請年度は由緒には書かれていませんが、昭和4年に水天宮がこちらに遷座するにあたってその際に勧請されたものかも知れません。

白鳥町字中島守随(しゅずい)氏邸内の所在までははっきりしなかったが、守随家とは江戸時代に設置された衡制統一を図る目的から、東の江戸に守随家、西の京都の神家の両家に秤の製造、販売、調整を一元管理させ、それら管轄エリアに出張所の秤座を展開し衡制統一を図っていた。
この熱田は東の守随家管轄で出張所が設けられていたのだろう。
現在でも中川区にその技術を継承し会社として存続しており、そこが邸宅だとは思いませんが、東を拠点とした守随家のお膝元には、本社水天宮の分社にあたる水天宮もある事からこちらに勧請されたのかもしれない。

 

水天宮本殿域全景。
左が伏見稲荷大明神、水天宮、秋葉社が整然と祀られています。
背後には、かつて多くの材木が集積されていた堀川と貯木場だった白鳥公園が控えています。

今は姿を変えたこの辺りですが、子供の頃の記憶にそうした光景は残っています。
貯木場が姿を消したのは昭和58年(1983)頃、つい最近の事で記憶にあってもなんら不思議ではない。

水天宮社
創建 / 安政4年(1857)
祭神 / 天御中主神安徳天皇高倉平中宮二位の尼
境内社 / 伏見稲荷大明神、秋葉社
所在地 / 名古屋市熱田区白鳥1-4
公共交通機関アクセス / 地下鉄名城線熱田神宮西」降車、​南西に徒歩10分程
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