「八幡神社」名古屋市熱田区大宝

八幡神社
水天宮から次の目的地熱田区大宝に鎮座する八幡神社に向け堀川左岸を上流に向かいます。

すぐに先の御陵橋を渡り白鳥公園方向へ。
御陵橋。
人道橋の御陵橋は地下鉄神宮西駅方面と白鳥庭園を結ぶため、昭和62年(1987)に架けられた橋で、白鳥御陵になぞらえてその名が付けられたようです。
朝な夕なには、橋の中ほどの踊り場から眺める堀川と水面に写り込む街並みは趣のある表情を見せてくれます。
この橋と上流の熱田記念橋が架けられたお陰で、歩く者にとっては対岸に渡るには便利になりました。
八幡神社は対岸に見えている国際会議場方向を目指します。

対岸に渡り白鳥公園へ。
公園の中央に広い水場があります。
1610年に福島正則により開削された堀川、名古屋城築城の資材やその後の物流を支え活躍しました。
ここはかつて堀川を遡る資材の荷揚げや船の係留場所として作られた太夫堀と呼ばれた大きな入江で、その後は木曽の山々から切り出された木材を集積する白鳥貯木場として利用されていました。
しかし、1959年の伊勢湾台風ではここに係留していた流木が被害を大きくしたことから、埋め立てが進み、現在は白鳥庭園、白鳥公園、名古屋国際会議場などに姿を変え、堀川と貯木場をつないでいた三つの水門も中水門だけとなり貯木場の名残を感じさせます。
かつて浮かべられていた丸太はなく、海鳥たちの憩いの場となっています。

国際会議場の西側が目指す八幡神社で赤のマーカーの位置になります。

この辺りは熱田神宮神領で、大正9年(1920)時点でも周辺は水田が広がる地域、当時の地図に八幡神社の鳥居の印は見られません。
ここに鳥居が記されるのは、北から急速に田畑が消え宅地に変わり、現在の名古屋市中央卸売市場への引き込み線が消える少し前の昭和8年(1933)発行版からとなります。
この八幡神社の詳細はよく分からず、印だけ見れば大正末期から昭和初期に創建された様に捉えられます。

大宝第一公園の西の区画に鎮座する八幡神社全景。
一帯は高層住宅や住宅、商業施設が広がり、一面水田だった面影は微塵も感じさせない。

八幡神社社頭から境内の眺め。
右に無人社務所、鳥居の先に拝殿、本殿とあり、本殿の左右に境内社があります。

手水鉢は参道左にあり寄進年などは見られなかった。

右が社務所、銅板葺の切妻拝殿は四方吹き抜けのもので、その先に渡廊があり本殿域に繋がります。

拝殿とそれを守護する狛犬、左右の境内社
訪れたのが2月中旬という事もあり、境内に雑草一つなく、境内はとても綺麗に維持され、参拝に訪れても気持ちがいい空間があります。頻繁に人の手が入っている事を窺わせます。

狛犬は鋭い牙を持つ子持ち毬持ちで、一部彩色され臼化粧が施されたもの。(寄進年未確認)

ここまで見た寄進物で一番古いものは、社頭の社号標が大正9年(1920)で一番古いものでした。
先の地図は大正9年に測図され、大正12年に発行されたものなので、やはり創建は大正9~12年なんだろうか。
建屋も社務所は綺麗で、100年を経たものとは思えず、一度補修の手が入っているようです。

賽銭を投入、まずは参拝。

拝殿右から境内社秋葉社と八幡社本殿の眺め。

秋葉社
社名札はありませんが、たまたま通りがかった地元の御婆ちゃんによれば、「右が秋葉で左が津島」との事なのでその言葉を尊重させてもらいます。

八幡社本殿。
銅板葺の流造で飾りは少ないけれどしっかりと作られたもの。
祭神は応神天皇
こちらも祭神や社名を示す札がなく、願わくばそうした札が架けられていると有難い。

本殿左の津島社と脇参道の鳥居。
社名札を探す怪しいおやじに声をかけてくれたのが御婆ちゃんで、彼女に出逢わなければ不明社ですましていただろう。
近頃は寄進物の損壊や窃盗など起きる変な世の中になってきた、寺社でキョロ〃しようものなら不審者に思われかねない嫌な世の中になってきた……そんな気がするのは自分だけか。

ボランティア説明会の時間まであと少し余裕がありそうなので、もう一社参拝していこう。

八幡神社
創建 / 不明
祭神 / 応神天皇
境内社 / 秋葉社、津島社
所在地 / 名古屋市熱田区大宝1-8
参拝日 / 2023/2/12
水天宮社から八幡社 / 北へ​徒歩20分強
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