千年1丁目の八幡神社から旧東海道を南に進み新幹線の高架を過ぎ暫くすると千年2丁目の八幡神社の社頭に至ります
所要時間は徒歩10分程
千年2丁目に鎮座する八幡神社の社地全景
道路沿いにほゞ東向きに社頭を構えます
社頭全景
正面に石造明神鳥居と右側に象形文字で書いたかのように八幡神社の社標がある
社標の文字は鳩をモチーフにして書かれ、少し離れて見ると違和感なく読めてしまう
鳥居の左に八幡神社祭礼の案内板
社頭左の開拓記念碑
碑文は確認しなかったが、この辺りは潮の満ち引きで干潟が現れ、その間に堤を築きながら人と自然が陣取り合戦の様に農地を広げてきた場所です
それに伴い堤は沖に伸び、河口も遠のいていった
鳥居から境内の眺め、正面に石造番塀を構えています
鳥居の額は八幡神社で八は鳩を意識した書体
境内右の全景
正面に忠魂碑があり、常夜灯、本殿末社造営碑、八幡神社由緒が纏められています
千年八幡神社由緒
御祭神 誉田天皇(応神天皇)
境内神社
多度社 御祭神 天津日子根比命、天目一筒命
秋葉社 御祭神 迦具土命
由緒
当神社は もと尾張徳川公の下屋敷の南庭に鎮座 歴代藩主の崇敬が厚かったが天保8年8月11日熱田築地前新開の総鎮守 また熱田全新田の丑寅(北東)の鎮とし 現在地より南方約20間(約36㍍)の処に社殿を建立し 徳川家よりの多くの宝物と共に遷される
安政元年11月 安政大地震起こり社殿等倒壊するが有志により復興
安政2年8月 暴風雨の為全面入潮被害多し
万延元年4月 社殿改築遷座を行う
同 5月 烈風暴雨襲い南堤の崩壊により一面に海水氾濫し宝物什器類赴く流失
明治5年7月 村社に列せらる
明治6年9月 再度大暴風雨に襲われた為遂に現在地に遷座
明治18年5月 本殿末社の御造営を行い遷座の式を行う
明治24年10月 濃尾地震により多大の被害あり
明治29年 本殿改築
明治34年 拝殿修復
大正12年 本殿御造営し遷宮式を行う
昭和10年9月 神饌幣帛料供進神社に指定される
同 10月 本殿・渡殿其の他附属建物に至るまで面目を一新し正遷座の厳儀を執行
昭和20年6月 戦災により壊滅
昭和34年9月 伊勢湾台風により損壊
昭和35年10月 本殿御造営
昭和54年5月 本殿末社殿御造替祝詞殿拝殿を再建し正遷座の式を挙行
名古屋市史の八幡神社の記述は当社由緒と同じ内容でした、また愛知県神社庁からも見ましたが内容は神社由緒の足元にも及びもしないいつもの内容
上は八幡社(千年1丁目)で使用した舩方新田と熱田築地前新開絵図
右上に山崎川が描かれており、現在の地図と照らし合わせると、位置的には中央の氏神は千年2の八幡社を示しているのかもしれません
因みに熱田築地前新開の絵図には社は描かれていなかった
現在の道路と照らして合わないのも明治6年に遷っているからだろう
ここから先は由緒を尊重して先に進めよう
さて、由緒にある下屋敷とは、現在の名古屋市東区葵1丁目に残る下屋敷跡を指しており
延宝7年(1679)尾張藩2代藩主徳川光友が築いた屋敷とされ、6万4千坪の広大な敷地に回遊式庭園を持つていたとされます
簡単に6万4千坪と云われても庶民には全く現実味の無い広さ
昔の車のカタログには性能をアピールするため0から400㍍の走行時間を測定したゼロヨンなる表示がされていた
取り締まりの心配のなく、自分の庭でゼロヨンを試すことができた広さだろう
その私邸にあった神社を新田の鎮守として現在の鎮座地から少し南の鬼門に遷座させたという
現在の千年水処理センターあたりと思われます
境内右の百度石
境内左に手水舎
手水鉢には天保の元号が刻まれています、その下は…12年(1842)と読めるような…
境内左に作良(さくら)堤の石標と境内社
先の絵図にある熱田築地前新開、文久元年(1861)に作良新田に改称され、新田を護っていた堤がこのあたりにあったと云う事でしょう
作良新田は後に舩方新田と合併し千年となりますが、名の由来が当時は一帯に鶴が生息していたそうで、鶴は千年、亀は万年から引用し千年になったそうです
この板宮造りの社、社名札がなく詳細は分かりません
奥の石灯籠を見ていないので、竿に答えが刻まれているかも知れません
八幡神社社殿全景
コンクリート造の入母屋妻入り拝殿で奥に渡殿と繋がっています
大棟の鬼や軒丸瓦、破風飾りには橘の紋が入ります
拝殿前を守護する狛犬、親の背にやんちゃな子供の姿があります
寄進年は見忘れました
拝殿額には「千年八幡神社」で熱田神宮宮司による揮毫
根拠はないけれど千年と付くだけに、先に掲載した千年1の八幡神社はこちらから分祀されたものかもしれません
ここにも橘紋
樽酒かぁ、説明会終えたらかみさん誘って一杯ひっかけて帰るかぁ
拝殿から本殿域の眺め
柱の陰に隠れていますが、本殿域手前に一対の狛犬と本殿両脇に社が祀られています
隠れていた狛犬は年代不明ですが、体の黒ずみや意匠などから、拝殿正面の面々よりキャリアがありそうです
本殿と境内社
大きな社が八幡神社で、左右の社が多度社、秋葉社と思われます
何れも一間社流造で、八幡神社本殿は脇障子をはじめ桁隠し、木鼻などら彫が施され、大棟には金色の橘の紋が施されています
幾度も越水や災害を受けながら、氏子達に支えられ今も鬼門を護る千年2丁目の八幡社
スッキリして明るい神社でした
八幡神社
創建 / 天保8年(1837)
祭神 / 誉田天皇(応神天皇)
境内社 / 多度社、秋葉社、不明社
参拝日 / 2024/02/17
所在地 / 名古屋市熱田区千年2-31-9
千年1八幡神社から千年2八幡社徒歩ルート / 旧東海道を南下徒歩約10分
関連記事