波限神社から東の国道154号線を越え南東へ徒歩10分弱
熱田区千年1丁目に鎮座する八幡神社の社頭が左に見えてくる
左に鳥居の姿がある、道は緩やかに上り、その先で堀川堤で突き当りとなり、堤の上に立ち並ぶ住宅の先は堀川が流れている
白鳥橋から下流の堀川右岸は1676年に作られた南北に長い船方新田が広がっていました
名が示す様に、海運業を営む船頭や船の補修を生業とするものが多く居住したと云われます
1876年船方新田は作倉新田と合併し千年村字船方になり、その後も合併を繰り返し現在の千年1丁目や千年2丁目に編入されていったようです
波限神社から八幡神社へ来る途中で船方の名が付く交差点や公園を見かけますが、船方新田の元々の位置は堀川右岸沿いの三角屋根が連なる工場の辺りに相当するようです
最初に書きますが、幾つかの地史に目を通しましたが、神社の記述は見付けられず、境内にも由緒に繋がる碑はなく、由来や創建など分からないので地図から見ていくことにしました
上は明治24年頃の千年1の八幡神社鎮座地とほゞ現在の地図を見ています
当時は現在の大瀬子橋はなく、大瀬子渡しで対岸に渡っていました、ここに橋が架けられるのは明治42年(1909)のことです
左の地図で、大瀬子渡しに続く赤い道筋は旧東海道で、そこから少し東に入った辺りが神社の鎮座です
明治24年の地図には八幡神社の鎮座地に鳥居の印は見られず、昭和43年(1968)に忽然と鳥居が現れます
これを持って昭和の創建とはなりません
その理由の一つに、境内寄進物の幾つかに大正の元号が見られることから、規模はともかく大正時代、又はそれ以前から鎮座している事になります
創建は地史の編纂が進む江戸後期以降、或いは明治に入ってからなのかもしれません
上は年代は不明ですが、船方新田之図になります
堀川と精進川(新堀川)が交わり熱田湊や船方新田が描かれています
新田北側に「御除地十一丁歩氏神」と中央に「御除地五畝卜氏神」の文字が見えます
この二社がどこを指すものか、想像を膨らませてみる
北側の氏神は堀川に面しており、先に掲載した波限神社の遷座前の鎮座地、中央が当神社ではないだろうか
ただ、写真では切れていますがすぐ下に山崎川が描かれており千年2丁目の八幡神社の可能性もあります
それでは境内へ
社頭西側から見る境内
南南西を向いて社頭を構え、石の明神鳥居とすぐ先に拝殿が建てられています
社頭正面の眺め
社頭に社標は見られず、壁際に二対の石燈籠がある
鳥居の額は八幡神社、拝殿の鬼には八幡社の名が入っています
境内右側に置かれた手水鉢(寄進年未確認)
境内から社殿全景の眺め
入母屋妻入りの二段垂木で梁間・桁行三間の四方吹き抜け拝殿で破風飾りに橘の紋が入る
拝殿と本殿の間に一対の狛犬の姿がある
拝殿から眺める本殿
石垣で高く積まれた本殿域に本殿の他に両脇に二社祀られているようです
本殿域と狛犬
この辺りは古くから⽊曽の山奥で切り出された木曽材を⽊曽川を使い、桑名を経て堀川上流に廻漕し名古屋城築城部材として供給した事から、築城後もこの地方で産出された木材の一大集散地となり堀川沿いにはそうした企業が多かった
狛犬の寄進者もそうした団体名のものが見られます
地図上では昭和に入って忽然と記されていた八幡社ですが、この狛犬は大正13年に寄進されたもの
本殿域全景
中央の一間社流造の八幡社、祭神は恐らく応神天皇、左右の社は社名札がなく詳細は不明
境内寄進物の元号は燈籠の竿には大正12年(1923)、狛犬の台座が大正13年(1924)
この神社の創建には堀川周辺で海運業や渡しなど営む方々が大きく寄与しているようです
拝殿から社頭の眺め
正面の鳥居は大正12年(1923)に寄進されたもの
なにも分からない千年1丁目の八幡社でしたが、10分程南に鎮座する千年2丁目の八幡社でなにか分かるかもしれません
八幡神社
創建 / 不明
祭神 / 応神天皇
境内社 / 不明社2社
例祭日 / 不明
所在地 / 名古屋市熱田区千年1-9-37
参拝日 / 2024/02/17
徒歩アクセス
・波限神社から八幡神社 / 国道154号線を越え南東へ徒歩10分弱
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