『八幡社』 瀬戸市鹿乗

高蔵寺町の由来となった燈明山高蔵寺から徒歩で中央線沿いに東に向かい、県道53号線の鹿乗橋を渡るとその先の鹿乗町交差点で県道15号線に交わります。
今回取り上げる鹿乗 八幡社は交差点の手前左側に鎮座します。

社頭全景。
参拝者駐車場はないので車だと厄介な場所です。
社頭は県道沿いに南北に長い社地で、社頭の前に細い路地はありますが、間口が狭いためか八幡社の社標は県道側を向いて立てられています。

上は高蔵寺、玉野町の主要な寺社と鹿乗八幡社の位置をマーカーに落として見ました。
これまでは玉野川右岸を巡って来ましたが、今回は左岸となります。
神社は右の明治24年当時、既に鳥居の印が見られます。
現在の鹿乗町は江戸時代水野三郷(上水野、中水野、下水野)の西にあった下水野村の北端に属していました。
鎮座地は入尾城址で、大治4年(1129)平良兼の子孫である平景貞が入尾に入郷、保元の乱(1156)から平治の乱(1159)の頃に城が築城されたのではないかと云われますが詳細は定かではなく、現状は解説板のみで城址の痕跡はあまり残っていません。
ただ立地は北側に玉野川が流れ、川にかけて切れ落ちた崖のため城を築くには適した場所なのかもしれない。

社頭から鳥居までは夏草が生い茂っていましたが、石の神明鳥居から先は遊具が置かれ、草もない事から頻繁に人の出入りはあるようです。

境内左の手水石。

境内にはアベマキの巨木が聳え、大きく枝を張り境内を覆う勢いがある。

社殿全景。
一段高く石垣が積まれその先に四方吹き抜けの拝殿と本殿が祀られています。

境内右に入尾城跡の解説。
「入尾城は、 源平の乱の60年ほど前に平 景貞が土着して築いたと伝えられ、その子孫が代々水野郷や志段味郷を治めたとされる。
尾張志』に「下水野村玉野川のほとりに城あり、上水野村感応寺に古き位牌一基ありて、義雲院仁峯宗智居士覚位としるし、うらに応永十九壬辰歳(1412)十二月廿八日尾州入尾城主水野備中守平 致高と見えたり」と記される。
城は八幡神社付近を西端にして、規模は東西 32間(約58m)・南北31間(約56m)で、四方に一重掘が巡らされていたと伝わる」
城は承久三年(1221)に起きた承久の乱幕府軍に敗れ、後の応永19年(1412)に水野致高の死後廃城となったようです。

鹿乗 八幡社の一対の狛犬昭和15年(1940)寄進のもの。

拝殿から本殿の眺め。
本殿域を取り囲む玉垣は平成14年(2002)に修復を受けたようです。

本殿域には三つの社がありますが社名札がなく分からないが、中央が八幡社なのは間違いなさそう。
創建時期は分からなかった、江戸末期には既に鎮座していたのではないだろうか。
入尾城の西外れに位置しており、武士と武運の神はつきもの、ひょっとすると江戸末期より更に遡るのかもしれない。
両脇の社は明治政府の一村一社統合制度により周辺からここ八幡社に移されてきたものかも。
社名札が是非ともほしいところ。

祭神は八幡神誉田別命応神天皇…良く分かりません。

本殿域から社頭の眺め。
石の鳥居には狛犬の寄進年に近い昭和11年(1936)寄進とありました。

鹿乗 八幡社
創建 / 不明
祭神 / 不明
境内社 / ーーー
所在地 / 瀬戸市鹿乗町731
高蔵寺から八幡社 / 中央線沿いに東に向かい鹿乗橋を渡り左側(駐車余地なし)。徒歩20分程
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