諏訪神社(名古屋市中村区諏訪町3)

外堀通りに面した八幡社から北西方向に5分程、諏訪公園が次の目的地「諏訪神社」になります。
本陣の八幡社からだと諏訪小学校の北西方向に位置し、5分程で移動できる距離にあります。

 上の地図は明治(左上)・大正(右上)・昭和12(左下)・昭和43(右下)と年代別に諏訪神社が鎮座する周辺の移り変わりを並べて見ました、右下に諏訪町が現れてきます。

1947年(昭和22)に日比津町の一部、字中諏訪野から現在の諏訪町に独立、町名が示す様に諏訪神社が鎮座する事に由来するようです。
 諏訪神社が地図上に現れるのは大正に入ってからの事。
大正以前は本陣の八幡社は鎮座するが、日比津集落の西に広がる田んぼの中に諏訪神社の鳥居は見られない。
 諏訪神社の創建は調べて見たが、尾張史に僅かに記録されてははいたが定かではなく、地図や寄進物の年代を見る限り、明治以前に遡るものは見受けられなかった。

 日比津には嘗て二つの城が築かれていたという、日比津城、栗山城の二つで、何れの城も信濃出身の野尻藤松により築城されたとされ、栗山城址とされる大円寺には野尻藤松のお墓も残る。
 そうした背景もあり日比津に諏訪信仰が広まり、後に諏訪神社が祀られたのかもしれない。

諏訪神社が鎮座する諏訪公園の眺め。
 公園敷地の東半分が社地で、境内は楠木の杜に包まれている。
この杜の南側に鳥居を構えた社頭がある。
 大きく枝を張る楠木は成長が早い樹なので、この巨木が神社の歴史を物語るかと云うと一概に言い切れないものがある。
1920年(昭和20)頃の航空写真に田畑の真んに中残るこの杜は写っていたが、当時に比べると枝振りは今ほどでもないように見られる、周囲は田んぼから住宅街に変っても神社のお陰でこの杜は残った。

社頭全景。
 石の神明鳥居と右に「諏訪神社」の社標。

大きく成長した楠、手前の樹が一番幹廻りは長いようだ、樹齢が何年なのか知りたいものだ。
 社標の寄進は1931年(昭和6)だった。

拝殿。
切妻瓦葺でシンプルな四方吹き抜けの妻入り拝殿。

拝殿鬼瓦(経ノ巻鬼瓦)と社殿を覆う楠木。
 雨雲が来たかと思えば急に晴れ間が広がる、透かして見る葉の色はいつも綺麗なものだ。

社殿東側から諏訪公園方向の眺め。

拝殿から本殿域を眺める。
 諏訪大社を本宮とする諏訪神社だけに祭神は建御名方神(タケミナカタノカミ)だろう。
拝殿と本殿は玉垣でつながり、本殿域前に一対の狛犬の姿がある。

本殿域は高く積まれ石垣の上で周囲は透塀で囲まれ、棟門と一体となる。

本殿域を守護する狛犬
 彼らの寄進も1931年(昭和6)とあった。

やや垂れ耳で子持ち、毬持ちの狛犬は、鬣が立体的に彫られた筋骨隆々とした姿のもの。

棟門の軒下に額が掲げられていたが脱色し読めなかった。
 本殿域には本殿に左右の二社の三社が祀られているようだ。

諏訪社と左右の社。
 どちらも板宮造りで何れも社名札は無く詳細は分からなかった。
しかし本殿域始や境内全体は綺麗に手入れされ、今も地元から大切にされている。

伽藍後方から樹々に包まれた広い境内と社頭方向の眺め。
 参拝に訪れた時にも神社当番の方だろうか、境内の掃除に余念がなかった。
歴史の深い浅いは神社の評価には繋がらない、どれだけ地域から親しまれているかだと思う。

 自分が住む町の近くに小さな祠があります、誰からも手をかけてもらえず朽ち果てる一方。
そんな祠でも時に拝みに訪れる姿を見かけると、DIYで勝手に補修していいものなら手を入れたいぐらいだ、なにぶん所有者を誰も知らないのが寂しいところだ。  

諏訪神社
創建 / 不明
祭神 / 建御名方神

境内社 / 不明社二社
参拝日 / 2022/09/02

所在地 / 名古屋市中村区諏訪町3-2-6
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八幡社・津島神社御嶽神社から徒歩アクセス / ​​​北西の諏訪公園方向へ5分程
公共交通機関アクセス / 地下鉄東山線「本陣」駅から外堀通りを西へ、「諏訪小学校南西」交差点で右折、​所要時間20分程