『御来迎の碑・高蔵稲荷神社・高蔵神社』春日井市高座町

前回掲載した春日井市高座町鎮座の五社大明神社。
久し振りに五社大明神社を訪れ、息子達が小さい頃、幾度となくこの高座山にある高蔵神社や水晶探しに徘徊した記憶が蘇り、朧げな記憶を頼りに改めて訪れて見ました。

日を改め、社頭の右から高座山山中に続く、細い小路を進み高蔵神社まで登ってきました。
目的地へは社頭右の細い舗装路を直進します。

竹藪と神社社叢に挟まれるように道が伸びていき、すぐに前方は開け高座山の峰と手前に砂防ダムが見えてきます。

この砂防ダムが記憶になくて、前回はここから引き返しましたが、今回は登るのが目的なので突き進む事にします。

舗装された道はこの辺りから未舗装となり、正面の大きな樹の左手に空き地と上に続く道の二股になっているので車は空き地に駐車し、そこから歩く事をお勧めします。

昔はオフロード四駆だったので水晶採取地まで登っていきましたが、車高の低い車では登っていけません、車の進入禁止ではありませんが、ここからは歩いて下さい。

歩きだす前にトレッキングシューズにポール、全身に防虫スプレーをしておくといいでしょう。

登り始めます。
採取地まではこんな感じの道が続き、一部に轍もあったりします。
バックに自信がない限り、対向車が来たらどうしよう、空き地に停めましょう。

採取場は坂を上り切った先にあり、写真のコレが右手に見えてくれば目の前です。
このコレ、正体は不明ですが物資搬送のロープウェイ駆動部にも見えます。

採取地の現状。
雰囲気は昔のまま、しかし手前の土留めは当時にはなかったものです。

何年か前に息子達が彫りまくった山肌。
花崗岩を割り水晶を見付けることがセオリーだった当時、割るのではなく土を掘り、水晶を見付ける事に驚いた。

土留めの前の地面には木漏れ日を受けキラキラ輝く水晶の欠片がそこかしこで見ることができます。

上は2008年に下の子が採取したもので、当時は割れていませんでしたが、久し振りに引っ張り出して見たらバラ〃に割れていました。
当時はまだ長いものは採れていましたが、帰り際に親子で採取していたものを見せて頂きましたが、現在はそうではないようです。

高蔵神社へは採取場の右から上に続く山道がありこちらから上に登ります。
一応道筋には左の様に看板も整備されています。

訪れたのは9月10日。
秋とは思えない真夏の陽気ですが、日陰には得体の知れない茸をあちらこちらで見かけます。

坂を上ると写真の尾根道に出ます。

この尾根道の右側に進むと写真の御来迎の碑に至ります。
ベンチも設置され一息して、南側に見える東谷山の眺望を楽しむのもいい。

昭和25年と刻まれた御来迎の碑。

その傍らに碑の解説があり、内容は以下の様に書かれていました。
「御来迎の碑」由来

時は平安の御世承平3年(933)のこと、京の都を護る霊峰比叡山延暦寺より智蔵僧正が諸国巡教の旅にお出になりました。
その途中ここ高倉の地に至り山紫水明の景色を眺めてこの地に仏法興隆の兆しありと観相なされた。

ある日の夜半過ぎのこと高座山に踏入り、静かに座禅を組んで深い瞑想をなされていると、微かな明りが浮出てきて七色に光り輝きやがて東の空は美しい瑠璃色に澄み渡り、み仏がお出ましになり厳かに告げられた。
「われは東方瑠璃浄土の教主薬師如来なり、人々の苦しみを救うため再び現れるであろうその折には白い鹿に乗り玉野川の景勝の渕より出現するであろう」と

僧正は禅定から覚め東の空に向かって静かに合掌なされていると山の背から赤々と朝日が昇ってきた。
その日は丁度春の彼岸のお中日のことでありました。

薬師如来さまは燈明山高蔵寺境内の薬師堂に祠られています。」

燈明山高蔵寺へは、五社大明神社の社頭の手前を右折徒歩2~3分の距離にあり、高蔵山のこの御来迎の碑を背にするように鎮座しています。
高蔵寺町の名の由来とも云われており、山を降りた後に立ち寄ってみるといいかもしれません。

南側の眺望、先に見えるのは東谷山。

周囲の樹々が強い陽射しを遮ってくれるのでここで一息。

目的地は碑から左に続く山道を進みます。

碑から左方向に進むと写真の看板が現れます。

ここは直進です。
ここから高蔵神社までは約1㌔とあります。

道は少しずつ斜度を増しながら木々の間を上に続いています。

ここにも茸が。

やがて道の土は粘土質が多いものに変わり、道を覆わんがばかリに樹々が生い茂る登りに変わり、ポールを持ってきて良かったと感じる道になります。
右手の石の山、一つ乗せていくべきものなのか?、ここではケルンとしておきます。

ケルンから先の道の様子。
ここまですれ違う人には出逢わなかった、曲がった先に変なのいないよなぁ、そんな気にさせる心細い道。

前方は開け、石段や幟立てらしき人工物が現れます。

石段の先はさらに広い空間が作られ、山肌を背に一つの社が祀られています。

石段を上り切った左に手水鉢が置かれ、そこから左に更に上に道が伸びています。

岩を組んで一段高い社地を造り、その奥に小さな社が祀られています。

高蔵稲荷神社。
稲荷らしくはないですが、本殿前に小さな狐も祀られています。
賽銭箱はなく、ガラス瓶に入れる作法です。
真新しい補強材などあり、まめに人の手が入っているようで寂れた印象はありません。
後方に迫る山肌が狐の巣穴に見えなくもない。

社から階段方向を見下ろすと眼下に高蔵寺町と玉野川(庄内川)を望めます。

手水鉢から左に続く登りに向かいます、ここにも「たかくら山」の案内板が用意されています。
ここからしばらくは陽の当たる明るい登りとなります。

樹々の合間から東谷山フルーツパーク方向の眺め。

この辺りの土が一番滑りやすく、道も荒れているので雨後など要注意。

滑りやすい道を過ぎ、木々の間に枯れ葉の堆積する平坦な道にかわります。

間もなく道は、分岐点に差しかかり、分岐のシンボル的な4本の樹が道を遮るように立っています。

ここから月見橋、見晴らし台、とたかくら山方向に分岐します、ここは直進し「たかくら山」方向へ。

粘土質の山土の上に苔がむし、その上に枯れ葉が覆い、ここも油断すると足元が滑る。
樹々は鬱蒼として薄暗く、蚊も寄ってきます。

ほどなく坂の左に高蔵神社の社標(昭和3年の寄進)が見えてきます。

薄暗い杜の中、木漏れ日を受けて輝く社が見えてくる。
ここが目的地高座山の「高倉神社」

樹々の間にスポットライトの様に陽光で照らされた社。
右側には一体の石像が安置されていました。

ここにも一見美味しそうに見える茸。
間違っても採取し「茸を食してみた」なんてのはやめてください。

高倉神社全景。
供えられた榊は生き〃としており、まめに参拝に訪れる方が見えるようです。
参拝。

隣の石像。
巻物を持った弘法大師だろうか、その下には波間の上に龍の姿が彫られています。
寄進年を見忘れ、この写真の台座に刻まれた文字を識別できないか調整するも分からなかった。

社の後方の磐座。
社を持たない昔。
こうした岩や木、山など、人の手の及ばない自然に対しかみさまとして日本ならではの自然崇拝の文化が生まれてきました。

今回訪れた高倉稲荷神社と高倉神社の概要は、現地でも、過去の地図からも存在は記されていないので全く分からない。
遥か先に見えるビルの森に戻り調べて見る事として、安全第一で下る事にします。
誰も通りかからないので、アクシデントが起きても携帯で助けを求めるしかない。

…あたるかなぁ。宝くじに当たる確立より確実に高そうだ。
高座山は茸の採取が禁じられ、山中にはロープも張られています。

五社大明神社の前から写真を撮りはじめ、雑談、休憩を含め戻るまでの所要時間は約1時間でした。

御来迎の碑・高蔵稲荷神社・高蔵神社
創建・祭神 / 不明
所在地 / ​春日井市高座町
参拝日 / 2023/09/10
公共交通機関アクセス / JR中央本線高蔵寺駅から東に​​10分程
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