玉野川(庄内川)右岸に位置し、JR高蔵寺駅東に広がる高座山を中心とした地域で、町の西側から北側にかけて山を取り囲む様に高蔵寺ニュータウンが広がっています。
高座町の北部半分近くは航空自衛隊高蔵寺駐屯地が占めており、山の南麗は玉野川に続いており、昔ながらの集落の面影を留めています。

五社大明神社は高座山の南麗に鎮座し、山のピークにかけて御嶽神社奥之宮や高蔵神社磐座などが鎮座する奥深い社叢を持つ神社。
社頭の左に参拝者駐車場があり車で訪れても駐車場所に苦労する事はありません。


長い石段は遥か先の社殿に続きます。





ここから左に進んだところに忠魂碑が建てられています。





結構境内社があり手持ちの賽銭が心細い。



三間の木造蕃塀で控え柱を持ち、各間の上部に連子窓が入れられている。

意匠に拘ったものにはない質実剛健とした佇まいの番塀です。

この先が皇居の方角を示すのだが、近頃自分の方向感覚が悪くなってきたようで、地方に出かけると特に痛感する事が多い、バッテリーを必要としない小さなコンパスを買いたいと考えるようになった。
いろいろな所で衰えを感じる。

社殿配置は左に社務所、中央が拝殿・幣殿・本殿で右に廿二夜神と御嶽神社奥の院に続く参道が伸びている。


訪れたのは6/21、この時期の境内には異常な夏の暑さを乗り切り、無病息災を願うための茅の輪が立てられていた。

「社殿は明らかではないが祭神がいずれも尾張氏の祖神であること創立の古いことが知られる。

社務所前から拝殿・本殿方向の眺め。
社殿は一段高い場所に建てられ、拝殿は入母屋銅葺屋根の木造妻入り。
蕃塀同様派手な意匠は施されていない。

拝殿右側の石板。
「五社大明神社。
祭神 素戔嗚尊、大碓命、日本武尊、菊理比売命、天目一箇神。
相殿神 高倉下命、大己貴命。」

拝殿前の狛犬、社頭の狛犬と比較すると年季も入り、姿も角の取れた容姿、台座には大正10年(1921)と刻まれていました。
1世紀前の先人により寄進年されたものです。

紋幕には五七の桐。
何十年か振りに参拝させてもらいます。

拝殿右奥の境内社。

左が金刀比羅社、右が高蔵社。

その右に津嶋神社。

幣殿から本殿方向。
幣殿前には狛犬の姿がある。

巻き髪も綺麗で威厳のある姿の狛犬……?、後方からこちらを見つめる狛犬の姿。

こりゃあ可愛い狛犬だ。
前で守護する堅物の狛犬とは対照的な親近感のある狛犬だね。
見たところ大きな樹の幹から一刀彫で作られたものの様に見える。
幣殿右手に狛犬の解説があり僅かに「伊勢湾台風」の文字だけは読み取ることが出来たが、文字は脱色し全文読み取れなかった。

拝殿左の境内社。
幣殿は6本の鰹木と内削ぎの千木が付く。

山の様に小高く盛られ、幾つもの碑が立ち並ぶ御嶽神社。

本殿は神明造の五社相殿、千木は内削ぎで鰹木は5本。

渡廊から拝殿後方の眺め。

拝殿正面右側の廿二夜神。


ここから先はロープが張られ立ち入り禁止になっています。
以前(約20年前)にこうしたロープを見た記憶は残っていないが、茸の密漁が多いのかこの時期は特に立ち入りが制限されているようです。

この山は神の山であり、茸の山、防空の山でもありますが、鉱物の山でもあります。
ひと昔前の話ですが、この山の一画には写真のような水晶が見られる山で、息子達の夏休みの自由研究のテーマとして何度となく散策に訪れた事がありました。
現在は大きな結晶は全く見られないようですが、当時はまだ〃大きな結晶を見付ける事が出来ました。
化石だ鉱物だと色々興味を示す時期があって、結局は別の世界に入っていきましたが、奴らの去った部屋にはそうした遺物が今も残っています。
五社大明神社を訪れ、周辺は随分と変わり、見慣れない砂防ダムが出来ていたりして、当時の道を思い出せませんが、山中の高蔵神社磐座など久し振りに登ってみたい気になります。
五社大明神社
創建 / 不明
再建 / 明応2年(1493)
祭神 / 素戔嗚尊、大碓命、日本武尊、菊理比売命、天目一箇神
境内社 / 山神社、厳島社、蚕霊尊、八幡社、金刀比羅社、高蔵社、津嶋神社、御嶽神社
所在地 / 春日井市高座町1939
参拝日 / 2023/06/21
公共交通機関アクセス / JR中央本線高蔵寺駅から東に10分程
五社大明神社から五社神社 / 東へ徒歩約30分
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