「高座神明社」輪中の郷に鎮座する神社を訪ねて#7

前回掲載した千倉神社から​田園地帯の中を続く農免道路を北に向かい、長島町千倉集会所方向に右折します。
右手に下の写真にある長島町北部分館が見えてくれば今回の目的地高座神明社到着です、移動時間は4分少々。

長島町北部分館全景。
こちらの入口に曜日限定でカフェを開設するとあり、駐車のお願いしがてら水分補給と思いましたが、当日は不在のようで開設していませんでした。

高座神明社全景。
長島町北部分館の東に隣接し、緑濃い杜に包まれた神社です。
社頭はこの杜の東側で、歩いて見てきましたが、ここより先の生活道路は幅員が狭く、駐車余地は全くありません。
参拝者駐車場も見当たらず、公道から外れた長島町北部分館に車を停めさせてもらいました。

鎮座地は赤のマーカーになります。
この辺りも木曽三川のデルタ地帯にあった島や洲の周囲を堤で囲った輪中の一つで、古くは長島荘園の一部で、それらが集まって形成されたのが長島輪中郡。
満潮時は海抜を下回る地域で、古くから川の出水や台風などの水害被害を受けて来た土地柄。

社地東側の通りを眺める。
微かに記憶に残る昭和34年9月26日に来襲し、多くの人的・物的被害をもたらした伊勢湾台風では、デルタ地帯の長島輪中や周辺の輪中、干拓地帯は甚大な被害を被っています。
この長島輪中だけでも、当時の人口の4%を越える死者383名が犠牲になったと云われ、輪中は完全に水面下に没し、完全に水が引くまで約3か月を要したそうです。
周辺の建物の基礎は内陸の家の基礎の高さと比較しても想像できない程の高い基礎、これらもここに住むうえで経験してきた過去の学びの結果です。

通りの右側が社地で、左の民家ほどではないですが社地全体が石垣で嵩上げされています。
道の幅員は御覧のとおり、街の人が大きな車で闇雲に突っ込む道ではありません。

社頭の眺め。
石の神明鳥居の先に一段高く嵩上げし拝殿が建てられています。
鳥居の寄進年は大正6年(1917)と記されていました。


高座神明社の創祀や由緒について三重県神社庁では下の様に開設されていました。
「社伝によれば承応2年(1653)8月16日に村人達により勧請されたと伝えられている。
以後地域の産土神として近郊の人々の篤い崇敬を受けている。
明治29年村社列格、大正4年(1915)11月境内社阿岐波神社を合祀している」
とある。

社頭左の高座神明社由緒、内容は以下。
「高座 神明社
伊勢の神宮・内宮の祭神・天照大神を祀る当社は高座村の人々の産土神として承応2年(1653)8月16日に勧請、奉祀されました。
当時は八幡神社(西外面)の摂社と位置づけられていました。
高座村の人々が、内宮を総本社とする神明社の氏子となったことは、このあたりが早くから伊勢国の文化の影響を強く受けていたことを表しています。
水谷佐治郎氏が蔵した15世紀後半以降のものと推定される古絵図には、当時、平方村などとともに一つの島を構成していた高座村がその島の北端で東へ向かって突き出すように描かれており、鳥居を表す記号が示されています。
同氏によれば「高座」の地名は「たかみくら」を意味し、三方を川で囲まれた当地角部に高座という神社があったことから名付けられたといいます。
古絵図に表された鳥居の記号はこの高座社と考えられますが、その祭神や立地などの詳細は不明です。
 
天明5年(1785)、文政2年(1819)、明治16(1883)、明治24(1891)、明治39(1906)、大正15年(1926)、昭和26年(1941)、昭和36年(1951)、昭和48年(1973)、それぞれ社殿の修補、遷宮が行われたとされています。
嘉永5年(1853)には秋葉社(祭神・火産霊神が境内に勧請、奉祀されましたが、
大正4年(1915)に本殿に合祀されました。
 
当社では毎年、以下の祭事が執り行われています。
1月・祈年祭(初湯)、5月・農上祭(上) 、7月・御護祭 十月・大祭、 11月・新祭、 12月御護祭。

高座 地蔵堂
神明社の東南東約100メートルの市道交差点に地蔵堂があります。
堂内には像高約54㎝の地蔵菩薩石像と、僧形頭部の彫刻が施された石片が収められて います。
詳しい由緒は不明ですが、長く高座の人々に崇敬され、守られてきました。
地蔵堂はもともと神明社の南隣にありました。
1940年代までに高座集会所前へ、更に昭和34年(1959)の伊勢湾台風後に現在地へ遷座されました。
地蔵堂の跡地は長く空地として残されていましたが、昭和38年(1963)に宅地化する際、「地蔵」の文字を刻んだ石碑が建立され、神明社の南すぐの市道上に上部20㎝ほどが見える形で現存しています。
毎年七月には高座の人々によって地蔵盆の法要が行われています。
法要に合わせて、菓子を振る舞う行事なども行われています。 」

解説にある高座地蔵堂、帰り際に探して見ましたが自分には見つけきれなかった。

社頭から境内の眺め。
鳥居から先の拝殿までの参道には一対の常夜灯、その先の拝殿は更に一段嵩上げされ社殿が建てられています。

拝殿は切妻瓦葺の平入りで、正面に唐破風向拝が付くもの。
ここまで参拝した輪中に鎮座する神社の中では密度の濃い杜に包まれています。

平成24年(2012)、境内の石段など整備されたようです。

狛犬が守護する拝殿正面全景。
唐破風の先端の兎毛通(うのけどおし)には水面の意匠が施されていました。

寄進年を見忘れましたが、いい面構で目力の強い狛犬

向拝に架けられた神明社の額。
由緒の中で昭和48年(1973)に社殿の修補とありますが、それ以降も補修の手が入れられているのか、軒裏など腐食も見られず綺麗な社殿です。

鞘殿全景。
拝殿の建つ境内から石垣で更に嵩上げされ、そこに切妻瓦葺の平入鞘殿が建てられています。
社地周辺の石垣を含めると高く聳える周辺民家の基礎と同じくらいの高さになるだろうか。
何があろうと大切なものを水害から護りきる、そんな住民の意思の現れでもある。

こちらでも参拝させて頂きガラス越しにシャッターを切る。
本殿の全容は分からないが大きな鏡と木彫りの狛犬らしき姿が現れた。

鞘殿から拝殿の眺め。
棟に載せられている鯱がほゞ水平に見える高低差がある。

拝殿横の境内で一際高く聳える樹。
あの伊勢湾台風を乗り越えてきたものだろうか。

高座神明社
創建 / 承応2年(1653)
祭神 / 天照皇太神、火産靈神
所在地 / 三重県桑名市長島町高座816
千倉神社から高座神明社車移動 / ​農免道路を北上約4分程で左折長島町北部分館方向へ
参拝日 / 2023/07/21
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