「豊受大神社」輪中の郷に鎮座する神社を訪ねて#5

輪中の神社巡りも5社目となります。
​前回記載した小島八劔神社から一路東名阪長島ICを目指し、そこから南に続く県道7号線を南下します。
大蔵団地口の交差点を過ぎ2本目を右折し、西に進み一つ目の交差点を過ぎた一本目を左折した先が豊受大神社になります。
小島八劔神社から車での移動時間は約5分程の距離になります。

遂にこれまでのマップも使えなくなり、少し引いていますので概ねの位置として参考にしてください。
左が1891年頃の地図で右が現在、赤のマーカーが鎮座地になります。

東側から豊受大神社の社地全景。
社頭は南東向きに鳥居を構え、境内に大きな樹々はなく、陽当たり、風通しともにいい神社です。
社地の前に生活道路がありますが、路上に駐停車する余地はありません。

鳥居右側の手水鉢。

社頭の斜景。
石の神明鳥居が建ち、二段に積まれた石垣の上に狛犬、社殿が建てられています。

社頭全景。
左に「豊受大神社」の社標、鳥居右手に手水鉢と由緒が掲げられています。

見あげる高さに「現在の満潮位」を示す表示板、ここがこの日の最高位。
どのように制御しているかは不明ですが、この辺りは平時に於ても海水面以下、この表示板の更に上には「伊勢湾台風の水位」を示す表示板がある。
万里の長城の様に続く高く盛られた堤は平穏な日常を支えてくれている。

鳥居から眺める社殿全景、左の建物は出口町の集会所が隣接しています。
いずれも高い土台が作られ、その上に建てられています。
水と鬩ぎ合って来た一帯は古くから続く農家の基礎も、こうした石垣の上に住居が築かれる水屋造りが残っています、新しく建てられた住宅の基礎の高さを見ると大きな違いを感じます。

社頭右の豊受大神社由緒、内容は以下。
「当神社は文政四年(1821)9月、北出口村のこの地にご先祖を初め、村人により勧請奉斎されたもの。
御祭神 豊受大神(伊勢神宮)食の神、宇迦之御魂命(稲荷社合祀)。
嘉永元年(1847)に小島申澪切れ洪水の直撃を受けて流失、転居し、この神社だけが取り残された。
その後は付近に耕地を持つ農家六戸余りが、この社を維持した。
いつの時代にか地区住民も増え、社も元に戻り、神の御加護により氏子の安全と発展を守護、現在に至る。
今後神様のお恵みをお忘れなくご協力くださる様お願いいたします。
資料 長島神社誌

祭事
1月1日 元旦祭、1月上旬 新年祭及び豊受大神社総会
5月下旬 神社境内清掃、春の小祭(野上り祭)
7月中旬 神社境内清掃
9月上旬 神社境内清掃
10月中旬 太鼓、鉦練習、秋の大祭(祭礼、山車、神輿練り)
12月下旬 大晦日及び初詣準備
12月31日 年越し祭」

とある。
社紋は五七の桐のようです。

住民総がかりで地域を守護する神社の境内清掃が行われているようです。
自分の地域にも昔は社がありました、以前はそうした住民総出のイベントがあり、子供ながら引っ張られていった記憶があります。
そうした事も代が変り、新たに移り住む人も増え、地域のイベントは面倒なものとされ衰退化し、それと共に社も廃社となっていきました。
同じように地域総出の側溝掃除や雑草除去も廃止になり、地域住民の顔は見えなくなり、地域が纏まるのは運動会の綱引きくらいのもの。
「郷に入っては郷に従え」、「相身互い」などは疾うの昔に死語となり、町内会にも子供会にも加わらない個が密集するだけの地域になりました。
低成長時代を生き、子育て支援や育休もなく、制度改革の線引きの対象となる時代を乗り越え、地域活動に加わりながら子供を巣立たせた立場から見ると、「なぜ二人でコントロールできないの?」と尋ねたくなる理由ばかりのように思えてならない。
なにも切り捨てず個だけで成し遂げようとすれば無理がある、何を切り捨てるかだと思うのだが。
この地のように一つに纏まれるのはある意味羨ましいと感じる、何かあれば地域一体となって乗り越えていけるものを、敢えてその機会を摘んでいる気がしてならない。

出口集落のコミュニティーの中核をなす木造瓦葺切妻造の拝殿。

守護する狛犬は平成7年(1995)寄進のもの。牙は強烈だが体格は子犬かな。

拝殿には賽銭箱が見当たらず参拝だけさせてもらいました。
値上げの嵐が吹きすさぶ昨今、「せめて米は豊作で価格が安定しますように」と願ってみた、…無理だわなぁ、燃料も肥料も自給できないのだから。
「田んぼやらない?」という話もあるが、野菜すら満足に育てられない自分に育てる自信も技術もない。
種から育て収穫に持っていける農家さんのknow-howは尊敬に値する、そうした手間の末に収穫したものは個として達成感があるだろう。
そこで終わらず、凶作や豊作を左右する自然(かみさま)への感謝の念を忘れることなく、神社が建てられ祭りとして集落で共有する。
農村に鎮座する神社は我が町の神社の様に忘れ去られる事はないだろう。

社殿全景。

切妻瓦葺の覆殿。

納められている本殿は見ることが出来なかった。
現在の社殿はさほど傷みもなく、綺麗に清掃された境内もあり、荒れた印象は全くありません。
寄進物の多くは平成に入り寄進されたものが主で、この時期に手が入れられたのかもしれません。

拝殿前から社頭の眺め。
目の前の神明鳥居は決して小さなものでありませんが、笠木の高さは目線の高さとほゞ同じ。
当日の満潮水位は右手に見える社標の高さの2/3の位置にあたります、この高さは輪中の郷に祀られた神社の姿なのかもしれない。

駐車余地は社頭左の集会所前に軽がなんとか入るスペースがありますが、普通車が停められる奥行きはありません。

豊受大神
創建 / 文政四年(1821)
祭神 / 豊受大神、宇迦之御魂神
所在地 / 三重県桑名市出口372
参拝日 / 2023/07/21
小島八劔神社から車移動 / ​東名阪長島ICから県道7号線を南下5分程
公共交通機関アクセス / ​近鉄名古屋線長島駅から北へ徒歩15分程
関連記事 /