『普光山太平寺』

清信神社から中央線沿いを戻り、JR中央線第一新街道踏切を西に直進すると次の目的地太平寺の門前に至ります。移動時間は5分もかからないでしょう。

右手に春日井市生活改善センターの施設があり、その西側が太平寺の参道となります。
参道右に「臨済宗妙心寺派 太平寺」の寺標が立ち、参道はその先の杜に続いています。

参道を隔てて左側に「尾張三弘法第三番札所」の石標があります。

参道の先は石垣と白壁が連なり山門に続きます。

切妻瓦葺の山門の前に「名勝虎鬆(こしゅ)庭園」の石標が立つ。

山門軒丸瓦に文字が入るが…太平寺?だろうか、読めません。

山門の額「太平禅寺」

玉野の歴史を伝える寺で、後醍醐なか刀自媛大神や​御所中明神でも出て来た、なか媛一行の位牌を安置するお寺。
その他にも町内を流れる玉野用水の創設者・加藤助左衛門はじめ、名宮大工・川地白河守、漢方医・小島小太郎、村の歴代庄屋、組頭らの位牌が安置されているという。
玉野村に伝わる伝記の人や村出身の賢人たちが眠り、その他にも中央線敷設工事の犠牲者の碑など玉野の歴史を伝えるお寺と言えます。
太平寺の寺宝の一つに尾張藩主・徳川義直公が玉野川を渡船されたおりに使われた催(かい)2本が下賜(現在1本)されており、貴重な宝物が数多くあるといいます。

境内から山門の眺め、境内左側に手水石や聖観世音菩薩像などが安置されている。

大きな自然石をくり抜いた手水鉢。

臨済宗妙心寺派普光太平寺本堂全景。
玉野町住民の多くを檀家に持ち、身近な存在の寺です。
太平寺は、明應6年8月(1497年)に尾張の国・春日井郡水野村(太平山)に寂曳和尚が定光寺の末寺として開山、創建された寺で、本尊は木像立像の聖観世音菩薩です。

HPによれば
「寛文年間尾州春日井郡覚書帳(1660 ~ 1672)によれば、平紫山・泰平寺は定光寺の末寺となっています。
山号・寺名の変更はあるが、宝永6年2月(1709)に9世・知鞭和尚が本堂を改築、水野村を始め玉野村の人々が檀家になり隆盛を極めました。
「泰平寺」の檀家だった玉野村の人達は玉野川を“岩割瀬の渡し”を利用し太平山中にある泰平寺に行くのは不便なことから、寺を玉野村内に建立する事を働きかけました。
移設先は玉野村南屋敷の有力な檀家が用地を提供するとともに多額な建立費を負担、檀家の支援により玉野村内に寺が完成しました。
寺は弘化3年(1846)に火災で全焼し、跡地に仮本堂を建立しました。
12世・全密和尚は、檀家の協力を得て玉野村新田に本堂を新築再興させました。
13世・戒宗和尚は平地ではなく丘陵地(現在地)に本堂および山門を建立(大正11年11月)し再建しました。
現在は16世・峯仙和尚が立派に檀家をお守りしておられます」

名勝虎鬆庭。
本殿の南一面に作られた枯山水の庭園。
写真は白く飛んでしまいましたが、砂紋が入り手入れされた庭園は禅寺らしい趣があります。

庭園西側に建てられた堂。

尾張三弘法第三番札所の一つである冬至弘法大師のお堂。

弘法大師霊場、各地に似た名称があり、札所一覧は良く分からない。
年2回、地域の人々によって扉が開かれるそうだ。

堂の左側に複数の石像があり、達磨大師らしき像も見られます。

本堂左の納骨堂から玉宮稲荷大明神方向の眺め。

室町時代から玉野町の歴史を見続け、当地の発展に寄与した様々な人々を弔い、趣のある庭を持つのが
太平寺です。

普光太平寺
宗派 / 臨済宗妙心寺派
創建 / 明應6年8月(1497年)
本尊 / 聖観世音菩薩
所在地 / 春日井市玉野町1108
信清神社から徒歩 / ​西へ5分
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