7月に入ってから、そろそろ手持ちのデータも終わりが見えて来た。
コンクリートとアスファルトで塗り固められた灼熱の名古屋を徘徊するには危険を感じる。
思い立ったのが庄内川沿いの春日井市玉野町、前回6/21に五社神社など参拝して回ったが、田畑が広がる長閑な風景と生活騒音のない環境に魅かれて7/14に再び訪れた。
前回同様、まずは五社神社に参拝し車を停めさせてもらい玉野の町を歩いてきました。
上は県道53号線沿いの名鉄バス「玉野」から五社神社方向の眺め。
玉野地内は主要道を外れると道を譲れない、幅寄せ、すれ違いが苦手で相手に依存するしかできない人は、車で生活道路に入り込むのは地元の迷惑になるのでやめた方がいい。
田畑の中の農道に路駐するのも農作業の妨げになり、目的地周辺に駐車余地はありません。
こうした御蔵が地区ごとに作られ、蓄えた米は凶作時には地区に分配する備蓄庫としての役割があったようです。
郷蔵はここ玉野地区のみならず、瀬戸の農村地でも見ることが出来ます。
今は建築物として保存されているだけかも知れませんが、隣家との接点が消え、個人としてただ集まっているだけの町中では生まれる事はない。
上は五社神社でも使用した明治の玉野町とほゞ現在の玉野町地図。
今回訪れる津島神社は赤のマーカーになり、先程の郷蔵の南向かいに鎮座します。
JR中央線を越えた庄内川右岸にかけては広大な水田地帯が広がっています。
津島神社全景。
名鉄バス「玉野」のバス停前に鎮座します。
中央の建物は看板を見忘れて定かではないですが、妻の部分に桜のマークがあり恐らく玉野消防団詰所、
左の玉野部と書かれた赤い扉の建物は消防器具の保管庫か?
本題の津島神社は詰所の右に祀られています。
こうした消防団の詰所や集会所の脇に、津島神社や秋葉神社が祀られる姿は良く見かける姿かもしれない。
こちらの津島神社は上のマップ上に記されておらず、創建の手掛かりは掴めません。
明治の頃の地図では集落の西外れに位置します。
覆屋正面。
切妻瓦葺の覆屋、大棟の鬼には紋はなく、柱に社名札がありますが脱色し辛うじて津島神社と読み取れました。
社の造りは平入切妻造。
御神酒も供えられ、玉野の町には今も無くてはならない存在のようです。
扉は開けれるようですが、扉の外から賽銭は入れられるので控えました。
鳥衾(天狗の鼻状の出っ張り)の下の鬼紋には菊の紋、その脇に波か雲が施されている。
屋根を葺いている素材は杮葺のようにも見えるが、よく分からなかった。
いつ頃勧請され創建されたものか詳細は見当がつきません。
祭神は建速須佐之男命でいいかと思います。
余談になりますが我家のウッドフェンスの話で、我家の境界と隣家の建物の距離は1㍍程離れていた。
隣家は売りに出され、一棟だった宅地は二棟に刻まれ、鰻の寝床のような建物が境界ぎりぎりまで建ち、フェンスの防腐塗装が出来なくなってしまった。
降雪時は隣家からの落雪も無視できず、それだけに収まらず、後ろの土台を支える石垣は我家のものとひとつながりで木が生え放題。
表の見栄えは盛んに気にして、ひがな洗車に余念はないが見えない所まで気が回らない。
一蓮托生の住環境にあって、周囲の協力なく、どこまでも個のまま完結できるとは思えないのだが。
そうした日頃のストレスもあるのだろう、最近は静かな場所を好む様になった。
フェンスはこのまま朽ちるに任せ、次は人工木に変えようと思っていますが、その時にはこの社の色目のものがいいと思っていただけに、人工木に見えてならない。
津島神社の南側の光景、中央線を越えると庄内川も近い。
炎天下ではあるけれど、一面に水が張られた田んぼの脇を歩いていると涼しい風が吹き抜けていく。
移動中に見かけたキジ。
木の陰に隠れてしまったが一羽の雛鳥が忙しなく走り回る姿があった。
田んぼには、羽を休める大きなアオサギの姿も見られる、かつて身近に見られた光景がいまもある。
家にいて出逢えるものはサギ電話か怪しいキジのチラシくらいのもの。
津島神社
創建 / 不明
祭神 / 建速須佐之男命
所在地 / 春日井市玉野町(玉野郵便局向かい)
駐車場 / なし
五社神社から津島神社 / 社頭から南へ
参拝日 / 2023/07/14
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