愛西市の八幡社から今回の目的地楠神社までは県道168号線を南下、愛知県県境を越え三重県に。
堤防右側の「西川➡」と「輪中の郷」の看板から堤防を下りて西川地内の楠神社までは移動時間約5分程。
鎮座地は集落から少し離れた北に位置し、周囲はこうした稲田が広がり、東西どちらを眺めても堤防が視界に入り、送電塔が延々と連なっていく光景が広がっています。
社地東側の全景。
杜は楠木を主とし、境内を覆う様に伸び伸びと枝を伸ばし聳え立つ。
社地の南側には三つの石碑が建てられ、ひと際高く聳える楠の右に社標と石の神明鳥居を構えています。
参拝者駐車場はなく、周囲の道幅は狭く対面通行なので、大きな車で踏み込みむと駐車余地捜しに苦労すると思います。
場所を確認したら、近くの木曽三川公園カルチャービレッジに駐車、水を持って5分程歩いて訪れる事を勧めます。因みに往復約2000歩は歩けます。
三つの碑は日支事変、大東亜戦争、日露戦役記念碑、国を護るため当地から出征された方々の慰霊碑。
右手の社頭全景。
東を向いて立つ鳥居と左手の「村社 楠神社」の社号標、寄進年は大正13年(1924)とある。
神社南側の田んぼ脇に咲くひまわり。
南側にも鳥居があり、参道は楠木の杜に包まれた拝殿に伸びています。
社頭には僅かばかりの駐車スペースはありますが、参拝駐車可なのかは定かではない。
ここちらが正参道になるようですので拝殿に向かう。
境内右の手水舎。
龍は休み。
冒頭の東向きの脇参道。
「神社の地はもともと西川八幡社の地であり、この西川八幡社が長島北部地区で最古の神社です。
1592年頃に切られた、クスノキがその当時すでに相当の巨木であったこと、また当地が『地蔵屋敷』と称されていたことを考えると、青紅石が祀られる以前から、この地に何らかの寺社のようなものがあったかもしれないが、記録が存在しないため不明である。
祭神が記されていると有難いが、主祭神は誉田別尊だと思われますが詳細は分からない。
楠神社の歴史はこの由緒だけで十分語られ、初めて訪れた者にも分かりやすい。
それにしても、昔から網には魚意外にも色々なものが掛かってくる、ここは青紅石が事の起こりのようです。
青紅石がどんな鉱石か知らないが、磨けば宝石となるやもしれない、それを一度は川に捨てたか…
そりゃあ石にしてみれば何度も掛かってやりたくなるもの。
社名や境内の楠木から、楠木に纏わる不思議な事象があったのかと思っていたが、楠神社の御神体は豊漁をもたらした不思議な青紅石という事です。
参道から拝殿の眺め。
拝殿は切妻瓦葺の平入で向拝が付き、手前に一対の狛犬が守護する。
狛犬は子付き、玉持ちのものでよく耳にする岡崎型。
向拝を見上げれば社殿を覆う楠木、拝殿額は「楠神社」。
拝殿内部。
フォーカスが甘く載せていませんが、右手に奉納額や太鼓が置かれています。
拝殿左の参道は奥の本殿域に通じている。
石垣を高く積み、本殿の周囲を玉垣が囲みます、本殿域左側に境内社が一社祀られています。
神明造で内削ぎ千木と5本の鰹木が付く、社名札はなく詳細は分かりません。
本殿域全景。
本殿は神明造で内削ぎ千木と6本の鰹木が付く。
本殿右の大楠。
ほゞ平坦な輪中には樹々が生い茂る山はなく、大きな影を落とす樹々が聳える場所は古くからある神社の杜だけかもしれない。
秀吉の軍船にも用いられたとされる楠木は、今も代を変えて空に向かって大きく枝葉を広げています。
秀吉の時代は今より広い楠の森が存在していたのでしょう。
今回訪れた神社の中にあって、大きな杜を持っている楠神社、長島北部では最古とされるのも頷ける。
参道から社頭の眺め。
輪中を歩くと陽射しを遮るものが少ない、こうした木陰はオアシスのような存在です。
さて次の目的地に向け、カルチャービレッジに停めた車に戻ろう、今頃車内は灼熱の地獄だろう。
それにしても帽子では役不足、大きな日傘が欲しい。
楠神社
創建 / 天正16年(1588)
祭神 / 誉田別尊(応神天皇)他
境内社 / 不明社1社
所在地 / 三重県桑名市長島町西川2196
参拝日 / 2023/07/21
八幡神社から車移動 / 県道168号線を南下5分。
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