三重県桑名市長島町間々鎮座八劔神社。
既に掲載した高座神明社から南を走る東名阪自動車道をくぐり、間々集会所を過ぎた右側の田んぼの中に間々八劔神社は鎮座します、移動時間は2~3分。
上はこれまで廻ってきた神社の概ねの位置関係で間々八劔神社は赤のマーカー。
右はほゞ現在の地図で、左は明治の頃の長島輪中。
田んぼの先に見える小さな杜が間々八劔神社。
手前の道から細い道が社頭まで繋がっていますが駐車余地まではありません。
社頭全景。
社頭から見る境内は手前右側に「八劔神社」社標、参道中ほどに石の神明鳥居が立ち、そこから先で境内が一段あがり社殿域が広がります。
境内は日々手入れがされているようで御覧の様に綺麗な印象を受けます。
その境内中ほどに間々八劔神社を象徴する一本の松が聳えている。
鳥居の寄進年は昭和2年(1927)に寄進されたものでした。
社殿域全景。
周囲は石の玉垣が取り囲み、参道右に手水舎があり、石灯籠の連なる正面の拝殿へと続く。
参道左の境内に掲げられている間々八剱神社解説、内容は以下。
「間々 八剱神社
熱田神宮の別宮である八剱宮の祭神・熱田大神(神体・草薙神劔)を祀る同社は天文22年(1553)に創建されましたが、兵乱や洪水、地震などによって荒廃していました。
埵村の人々は中川、東川(現・小島)、殿名の三か村の人々とともに、天正17(1589)年8月に同社を再興しました。
現在も間々の人々に崇敬され、大切に守られています。
1月・祈年祭(初湯) 、5月・正護祭、農上祭(農上)、9月・小祭、 10月大祭、12月・新嘗祭・正護祭 」
内容は以前掲載した中川の八剱神社由緒に記されている内容と符合するものです。
三重県神社庁から間々神社解説は以下。
「当社の創祀並由緒については詳にし難いが、社伝によれば、明和3年(1766)9月中川八剣宮より分祀勧請されたと伝えられている。
以後近郊の産土神として篤く崇敬されている。
明治29年村社に列格。
大正4年(1915)境内社稲荷社を合祀し現在に至っている」とあった。
手水舎と拝殿。
手水舎には立派な髭を貯えた龍の姿がある。
拝殿は瓦葺の木造切妻造の平入で四方は腰壁の付くガラス張り。
拝殿前を守護する狛犬は僅かに薄化粧が施されている。
寄進年は平成2(1990)のもの。
拝殿額は八剱神社。
まずは拝殿から参拝。
本殿はこれまで見て来た神社同様、角の取れた石を積み上げて本殿域が築かれています。
そこに建つ覆殿は木造瓦葺の平入でその前には小振りな狛犬の姿がある。
覆殿の左右には寄り添うように大きな神木が聳え、左の神木は覆殿の屋根の高さを優に超えている。
樹の種類は分かりませんが、太い幹から察するにかなりの年輪を刻んでいるようです。
覆殿正面全景。
稲荷社を合祀とありますが、外観には稲荷社を感じさせる雰囲気は見られません。
小振りながら見事な鬣を持つ狛犬。(寄進年未確認)
こちらでも再び参拝。
ガラス越しに覆殿内を撮影すると立派な龍の透彫りと手の込んだ組物や木鼻の姿が写っていました。
扉の前には金色の小さな狛犬、その脇に稲荷神の使い白い狐の姿が写っていました。
拝殿から社頭の眺め。
目の前に広がる稲、今頃は頭を垂れ収穫を待つばかりかもしれない。
輪中の中に鎮座する八剱社は他にも何坐があり、今回全て廻っていませんが、次回訪れる頃は別の表情を見せてくれるだろう。
間々八剱神社
創建 / 明和3年(1766)
祭神 / 日本武尊、宇迦之御魂神
所在地 / 三重県桑名市長島町間々245
参拝日 / 2023/07/21
神明社から間々八劔神社車移動 / 東名阪自動車道をくぐり、間々集会所付近の右側、移動時間は2~3分
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