「千倉神社と稲荷神社」輪中の郷に鎮座する神社を訪ねて#6

前回掲載した平方神社から​農免道路を西に向かい、東名阪自動車道の高架をくぐり最初の道を右折し、三叉路を左に直進した左側に長島町千倉集会所が見えてきます。
今回の目的地千倉神社と稲荷神社はこちらになります。
平方神社からの移動時間は約2~3分程の位置になります。
車は千倉集会所に停めさせてもらいました。

集会所から社頭の眺め。
前方左に見える橋は揖斐長良橋でここから西の堤の先は長良川が流れています。

上はこれまで廻ってきた輪中の神社の位置になり、千倉神社は赤のマーカーになります。
千倉神社について調べて見たが、詳細が分からなかった事を最初に書いておこう。
鎮座地は長島町千倉の千倉集会所の西に隣接し千倉神社と稲荷神社が鎮座。
明治24年(1891)当時は千倉泥脇と呼ばれていたようで、千倉集落の氏神さまとして崇敬されているようです。
尚、ここから北の高座地区に神明社がありますが、今回ルートに入れていましたが寄り忘れていました、関西本線北側を網羅したかったが何社か見落としてしまったようで、日を改めて訪れる事にします。

南から見る社地全景
右手が千倉農業研修施設・集会所、中央が千倉神社、左の赤い鳥居が稲荷神社。
面白いのが千倉神社の鳥居、こうして見ると鳥居南側に参道が伸びていたのではと思いたくなる。

境内西側の稲荷神社。
朱の鳥居は平成29年(2017)に寄進されたもの。

稲荷神社本殿域全景。
白い狛狐が守護する本殿域の先は、当然の様に石を積み重ね基壇が作られ社が祀られている。

本殿。
板宮造りの本殿に社名札など見当たらなかった。

千倉神社拝殿全景。
玉垣に千倉神社と刻まれており、拝殿側面に「平成3年(1991)秋葉神社拝殿造営の寄付者名」が記されいます。
境内は稲荷神社と千倉神社の本殿しか目にしていなかったが、千倉神社は秋葉さんを祀ったものなのか?、由緒が見当たらずそのあたりは分からない。
集落の小規模な神社ですが、境内は一面玉砂利が敷き詰められ、地域で大切にされているのが伝わってきます。

千倉神社を守護する平成元年(1989)寄進の狛犬、周囲を取り囲む玉垣は平成2年(1990)寄進されたもの。

千倉神社覆屋・本殿。
こちらも平方神社同様に高く石垣が積まれ、その上に覆屋が建てられ神明造の本殿が収められています。
社名や祭神名を記した札はなく詳細は分からない。
境内寄進物や建屋を見ていると、近年に建替えられたのだろう。
泥脇集落自体は江戸時代には存在しているようなので、近年祭祀されたものとは思えません。

本殿は6本の鰹木と内削ぎ千木が施され、これだけ捉えると祭神は女神となりますが、一概にそうとは言えない事もあり、定かにはならない。
何れにせよ、川に挟まれ水と鬩ぎ合って来たこの地で、堤で囲った輪中のなかで稲作を営むため、泥脇集落の災い除けと五穀豊穣の祈願して祀られたもの。

水と鬩ぎあいこの地に住み、長年の学びから水屋や上げ船などの先人の智恵が生まれ、輪中堤は豊かな田畑と住民の平穏な生活を護っている、時代は変れど今もそれは変わらない。

千倉農業研修施設・集会所前の海抜を示す表示板。
水と平和が当たり前のような日常にあって、ともすれば立地や過去の災害について忘れがちになりますが、昨今起きている事象は事例から学び、知恵を絞り備えなさいと言っている様に思える。

我家の立地も同じような環境、それは古い地名にも表れている。
お洒落な地名に変わり、お洒落な建売住宅に憧れ移り住む人は多いが、少し目線を周り向け、地の人に聞いて見ると、売り手が知らない、都合の悪い事も見えてきます。
神さまや人工物だけでなんともならない事もあります。

そんなとき問われるのが地域の結びつきの強さです、昨今はご近所・町内との関りを敬遠し個の意識が強い傾向にあり、どこまでも個で完結できる強固な輪中堤を持っているのだろう。

これを書いている日は奇しくも防災の日、水や非常食、電源など備えを確認しようと思う。

千倉神社と稲荷神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
境内社 / 稲荷神社
所在地 / 三重県桑名市長島町千倉330
参拝日 / 2023/07/21

平方神社から千蔵神社車移動 / ​農免道路を西に約2~3分

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