神戸市北区有馬町「温泉禅寺」

既に掲載済みの湯山稲荷大明神、そこから有馬温泉駅方向に下る事5分程、道沿いに鎮座する温泉寺に立ち寄った。
道から温泉寺境内の薬師堂前に直接入れますが少し下って「湯泉神社、薬師寺参詣道」から向かう事にした。

参詣道。
多くの参詣者が踏みしめたであろう緩やかな石段を境内に向けて上る。
正面の屋根は薬師堂(本堂)で、左手に見えているのが鐘楼。

鐘楼。
現在の鐘楼は1995年1月7日に発生した阪神淡路大震災で被災、2009年に修復された、二層の入母屋瓦葺で袴腰が付くのもので、上層の廻り縁の欄干には擬宝珠も付けられているようです。
年代はともかく、二層の鐘楼に袴腰が付くとなんと優雅な事。
この意匠の目的が単に見た目の優雅さだけなのか、実用的な雪囲い的な役割なのか、それとも櫓の機能を求めたものか、これまで考えた事もなかったが、何れにせよ建立年代に拘わらず視線を引く存在です。

境内から薬師堂(本堂)の眺め。
石段の先の薬師堂は入母屋瓦葺で裳階が付くもの。
温泉寺は神亀元年(724)、薬師如来より衰退する有馬温泉を復興するようお告げを受けた行基により、有馬温泉郷の愛宕山中腹に薬師如来を本尊として開かれたとされ、有馬温泉郷にでは最古の歴史を持つとされます。

石段左脇にはこの堂には大小三体の石像が安置されており、石段右側には湯泉神社の社頭があります。

薬師堂全景。
薬師堂正面左右に二つの塔が立てられ、堂内には本尊の薬師如来座像が安置されています。
現在の薬師堂もまた阪神淡路大震災で被災し2003年に再建されたもの。

薬師堂の額は「温泉寺」、手振れで揮毫までは読み取れなかった。

境内の解説は以下。
「本尊は薬師如来
奈良時代、温泉で人々を病から救おうと行基上人が724年に建立。
当寺には行基上人、有馬温泉中興の祖・任西上人の像が祀られている。
1月2日の入初式には温泉の初湯で沐浴される。
本堂の波夷羅大将立像は国の重要文化財に指定」
伽藍は鐘楼、薬師堂、庫裡、御祖師庵が主な伽藍で、往時には薬師堂の他に阿弥陀堂など存在したようで、天正18年(1590)、秀吉は温泉寺阿弥陀堂で茶会を催したようです。
明治の廃仏毀釈で薬師堂以外の堂宇は破却され、真言宗温泉寺は一旦は廃寺の道を歩みかけたようですが、奥の院であった黄檗宗清涼院が寺籍を継いで現代に至っている。

堂前の二つの石造五輪塔
写真奥が慈心坊尊恵五輪塔、手前が平相國清盛塔。
鎌倉時代末期のものとされ、何れも神戸市有形文化財に指定されている。

五輪塔解説。
何れも有馬温泉に滞在した平清盛が建立したと記したものがあるとされるが、清盛没後100年に清盛供養のために建てられたと考察するのが主流のようです。

薬師堂入口の寺号標は「黄檗宗 温泉禅寺」

大きな鰐口には名が刻まれていますが天下泰平までは読み取れましたが、年号はさっぱりわからなかった。
温泉寺は事前予約すれば精進料理「普茶料理」や本尊の前で座禅を組むこともできます。
堂内は本尊の薬師如来坐像の他、脇侍に日光菩薩月光菩薩を従えるものです。

薬師堂右側の御祖師庵では歴史資料が展示され温泉寺の歴史を知る事が出来ます。
仁西により中興された寺は、12の僧坊が建てられるなどした。
天正4年(1576)火災で焼失するが秀吉により堂宇が改修され、その後の天正18年(1590)再び火災により焼失、北政所により薬師堂が再建されています。
江戸時代にも焼失し、天明元年(1781)に現在の薬師堂が再建されたようです。
温泉寺所蔵の寺宝は平安から室町時代の像や厨子などで、火難を免れて文化財に指定され受け継がれています。

秀吉と所縁のある温泉寺、その裏にある浄土宗極楽寺には、阪神淡路大震災で崩落した庫裏の再建工事中、秀吉が作らせたとされる湯殿の遺構が発見されるなど、秀吉は有馬温泉がお気に入りだったようです。

灘五郷の酒蔵を目指し有馬温泉口に向かっていたのだが…
有馬温泉最後に湯泉神社も参拝してから電車に乗ろう。

温泉禅寺
創建 / 神亀元年(724)・伝
開山 / 行基・伝
中興 / 仁西上人
山号 / 有馬山
宗派 / 黄檗宗
本尊 / 薬師如来
所在地 / 神戸市北区有馬町1643
参拝日 / 2023/07/08

有馬温泉駅から徒歩ルート / ​​有馬稲荷神社➡舒明天皇杉ヶ谷行宮跡➡炭酸源泉公園➡湯山稲荷大明神➡温泉禅寺

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