海岸線に伸びる国道247号線沿いに目立つ「とら薬師」の立て看板と白い幟が目に止まり立ち寄ってみる、まだしばらくはお迎え要請はないだろう。
国道沿いから南を向いて豊浜漁港を見据えるように光明寺が鎮座します。
二層の小ぶりな瓦葺山門の外観は海を間近にすることから、さながら竜宮城のように見えないでもない。
無理があるかねぇ。
生垣で周囲を囲み、中央に龍宮の門が建っています。
四脚二層の門は梵鐘が吊るされた鐘楼門なのかと云えば、そうではなさそう。
山号額「成道山」と書かれています、小ぶりな門に対しこの額の大きさは印象に残ります。
この門の建立がいつ頃なのか、残念ですが分かりませんでした。
この寺の伽藍の中では最も古いのではないだろうか?
山門から境内の眺め。
正面に本堂、右に庫裏、左手前は手水舎、本堂左に薬師寺という伽藍です。
手水鉢のタコ口。
龍ではなく、タイやヒラメでもない、蛸が清水を注いでいます。
今もそうですが、古くから豊かな海の恵みの恩恵を受け賑わってきたこの地、その様子は尾張名所図会にも描かれています。
日間賀島のタコは良く知られるし、近年は河豚の好漁場としても知られる。
なぜ蛸になったのか経緯は知る由もありませんが、この地にあって蛸が清水を注いでも不思議ではない、豊な海の恵みに対する畏敬の念が蛸に現れているような気がします。
寄棟瓦葺の本堂。
この辺りは須佐と名が付きますが、この寺の由来は715年、須佐の漁師の網に仏像がかかったと云われ、漁師は小さな草庵を建て仏像を安置したと云われ、やがて堂宇を建立し善光庵と称し善導大師像として祀られたそうです。この像は後に愛知郡東郷町に鎮座する祐福寺で安置されています。
1469年(文明元年)虎得上人が寺を再興し光明寺と改称されたようです。
本尊は阿弥陀如来像。
本堂左の薬師堂。
本堂よりもこちらに視線が行きます、こちらも寄棟瓦葺です。
山門左に複数の石仏が纏められています。
左からお釈迦様、如意輪観音、三猿神、青面金剛童子。
右は1660年(万治3)頃の江戸吉原で遊郭を営み、吉原を牛耳ったと云われる地元の富豪松本清十郎家の墓碑。
1681年(延宝9)にこちらの薬師堂の再建に尽力したそうです。
その薬師堂がこちら。
薬師堂に安置される薬師如来は行基の作と云われ、三河の鳳来寺、大井医王寺の薬師仏と共に一本の木から彫られた一木三体の像で、寅年の時に開帳されることから「寅薬師」と云われるそうです。
それが通りにあった「とら薬師」はこれを指すようです。
堂内は撮影は禁止という事なので写真で紹介できませんが、内陣中央には薬師如来と左右に日光菩薩、月光菩薩が安置され、外陣には複数の蛸が描かれた絵馬や、格子天井に描かれた色彩は今も鮮やかに残り見事なものです。
その他にも県指定文化財の「算額」や町指定文化財の「地蔵菩薩」などが安置されています。
解説によれば「算額は1752年(宝暦2)内海中之郷村の榎本犀助章清、大岩久次郎則重が、「小佐の薬師堂」と呼ばれ近隣のから厚く信仰されていた東方寺(現浄土寺)へ奉納したものだとされ、1873年(明治6)に薬師堂は光明寺境内に移築の際に合わせてこちらに移されたとあります。」
境内にある解説には移築は明治6とあるけれど、南知多の指定文化財HPの算額の解説には移築は昭和6とあり食い違っているので、ここでは境内解説の明治6で記載しています。
本殿左のごめんなさい地蔵。
この手のお地蔵様、何とも言えない愛らしい表情をしています。
以前名古屋市内で見かけた「ごめんなさい地蔵」もいい表情をしていました。
「ごめんなさい」と言葉に表し、「手を合わせる子供はすばらしい大人になる」
素直さを忘れたおやじ、言葉や態度で表すことは難しいものです、こんな表情ができれば・・・・・それはそれで不気味か?
かわいい表情の地蔵の左に素直さを忘れたおやじの姿がある。
烏枢沙摩明王像(うす様明王)
トイレの神様としてお祀りされているのを見かけると思います。
こちらの明王は独立して祀られています。
手前の柄杓で水をかけて自分の汚れを水で洗い流す、さながら「水かけ明王」とでもいえばいいのかな?
向拝の火炎は全ての汚れを焼き尽くし浄化してしまう強烈な力の持ち主。
汚れを嫌うだけに像はとても綺麗、手水鉢にさり気なく置かれたタワシは像を磨いて自らの汚れを落としてくださいという事でしょう。
それにより「ごめんなさい地蔵」の様に素直で汚れなきおやじに戻れる?……磨きが足りないようです。
ふく供養塔。
伊勢湾や三河湾のとらふぐは今では認知度が高いけれど、漁業対象となったのは1975年と意外に新しいようです、今では篠島や日間賀島を始め代名詞のようになり、本家の下関と競う程の漁獲を誇るそうです。恵みに感謝し建てられたようです。
なんでもそうですが、最初に「食べれるかも?」とチャレンジした人は勇気があるものです。
ふぐの右には魚天観世音菩薩。
魚供養塔ですね、菩薩の足元には鰯のレリーフが置かれています、スズキだ、ヒラメだと言っても彼らがいてこそ。
生態系の頂点に立ち糧を得るものとして、食物連鎖の過程に存在する生きものに感謝しましょうという事なのでしょうね。「いた~だきます」です。
素木のシックな龍宮城の門をもう一度見上げて光明寺を後にします。
今頃かみさんはどこを歩いているのかナ?
2020/1/18
山号 / 成道山
寺号 / 光明寺
宗派 / 西山浄土宗
本尊 / 阿弥陀如来
創建 / 715年(霊亀元年)
住所 / 知多郡南知多町豊浜鳥居37-2
車アクセス / 知多自動車道「南知多」ICから内海方向国道247号線経由20分程
南知多三十三観音・18番札所