西宮市社家町「西宮神社」

神戸滞在二日目。
宿泊地の有馬温泉を後にして、電車に揺られ小一時間の兵庫県西宮市。
阪神電車西宮駅に降り立ち西宮神社を目指す。

この辺りのマンホール。
デザインは甲子園球場と酒蔵と仕込み樽で周囲に桜がデザインされています。
目指す西宮神社は駅から南に徒歩5分程のところに鎮座し、大きな目標物は阪神高速3号神戸線の高架が目印。

県道193号線の西側に広大な社地が広がり、県道沿いに写真の表大門が現れる。
門前には石の明神鳥居と大きな二つの銅製燈籠があり、鳥居左側に大きな社標が立っています。

門前の由緒。
「御祭神
第一殿 えびす大神
第二殿 天照大御神大国主命
第三殿 須佐之男大神
全国のえびす神社の総本社として古くから崇敬され、平安時代には高倉上皇を賜ったと伝えられている。
特に中世以降えびす様を福の神と崇める信仰が盛んとなり当地で発祥した人形操りや謡曲狂言など芸能を通じて全国津々浦々にまで御神徳が広まっていった。
1月9・10・11日の十日えびすには百万人以上の参拝者があり、阪神間に於ける最大の祭典として著名である。」

表大門左の銅製燈籠。

西宮神社の境内を囲む築地塀の東および南側に築かれている練塀の解説。
京都蓮華王院の太閤塀、熱田神宮の信長塀と並び日本三練塀と称され、現存最古の築地塀とされ、堅牢さは他に類を見ないという。
堅牢な練塀も平成7年(1995)1月17日の5時46分52秒に発生した阪神大震災で被災、現在見る練塀はその後に復旧されたもの。
建立年代は、築土から平安時代の銅銭が発見されたことから室町時代と推定される。

表大門右手の梅宮神社。
祭神 酒解神
祭日 4月3日
お酒の神さまとして信仰の厚い梅宮の神さまをお祀りしている。
寛永4年(江戸時代)までは社殿がなく、神木をお祀りする古い姿を保っていた。

酒好きはここは参拝しておかなきゃいけない。

表大門左にも大練塀解説。
神社の境内をとり囲む築地塀のうち、東面および南面に築かれている全長247メートルの練塀は、平均長さ約4㍍単位の築地63ヶ塀を連ねたもの。
先の大戦による損傷修理の際出土したした宋銭から室町時代初期頃(約650年前)と推定される現存最古の築地塀である。

名古屋・熱田神宮の信長塀、京都・三十三間堂の太閤塀と共に日本三大練塀の一つに数えられるが、規模、構造の堅牢さにおいて他の類例を見ない。
昭和25年(1950)重要文化財に指定されています。
阪神淡路大震災で被災し平成8年(1996)に復元され、令和3年に修復されたもの。

西宮神社は、福の神様として崇敬されているえびす様をおまつりする全国の総本社として広く信仰されています。
えびす様は、神戸和田岬の沖で出現され、鳴尾の漁師が おまつりしていましたが、西の方に宮地があるとの神託でこの地へおこしになられたと伝えられています。
その年代は明らかではありませんが、平安時代後期には、すでに文献に見ることができます。
 
古くより漁業の神として信仰されてきましたが、門前に市が立ち、西宮の町の発展と共に商売繁盛の神様として、又、人形操りなどの芸能や七福神信仰を通して、さらに津々浦々へと広がっていきました。
1月9日から11日の十日えびすには百万人に及ぶ参拝者で賑いますが、本えびすの10日午前零時に神門を閉じて神職は畏籠を厳修します。
そして午前六時の表大門の開門とともに走り参りを行う風習があり、福男が選ばれます。
9月21日から23日の西宮まつりでは例祭、渡御祭が斎行され、古式に則り海路神戸和田岬へ産宮参りが行われます。
三連春日造という唯一の構造を持つ本殿は、昭和20年に戦禍にあい、昭和36年に復元再建されました。
豊臣秀頼公の寄進と伝えられる表大門とその左右に連なる大練塀は国の重要文化財に、えびすの森は兵庫県の天然記念物に指定されています。」 

福男を目指す男たちのスタート地点としてお馴染みの表大門、通称赤門とも呼ばれ、桃山建築の遺構を残したもので国の重要文化財に指定されています。
現在の切妻瓦葺の四脚門は慶長9年(1604)の再建とされ、高さは約9㍍近くで、豊臣秀頼が建立した伝わります。

毎年1月10日に行われる本ゑびすでは、午前6時に太鼓の音を合図に門が開かれ、本殿までの参道約230㍍を全力で駆け抜ける開門神事福男選びが行われます。
福男といいますが、男ばかりではなく女性も参加されるようですが未だ福女は現れていない。
福男選びの発祥は室町時代から江戸時代とされ、西宮神社及び周辺では1月9日の夕方になると、町内の家々は戸口から通りが見えないよう遮り、夜は外出しない忌籠という風習があり、その間はえべっさんが町中を廻っているといわれるようです。
その翌朝、忌籠明けの多くの参拝客が一番福、二番福、三番福を目指す様になり、昨今の様に大きく取り上げられ競うようになりましたが、神社の記録のによると初代福男の記録は大正10年(1921)からと比較的新しいようです。

スタート地点の表大門をくぐると福男を目指し駆け抜ける石畳のコースが続く。
ここは毎年7月20日に行われるえびす万燈籠では参道の無数の石燈籠に火が灯され、本殿に続く参道に数えきれない程のろうそく燈籠が灯されるそうで、西宮神社の夏の風物詩となっているそうです。
訪れたのは7月8日、境内の慌ただしさはそれに向けての前準備だったのかな。

参道左の松の横に鎮座する兒社(ちごのみや)
廣田神社摂社、南宮神社末社 兒社
廣田神社摂社の南宮神社の末社で南宮の若宮として祀られていた。
平安時代末期に成立した歌謡集「梁塵秘抄」には「南宮のお前に朝日さし、兒のお前に夕日さし、松原如来のお前には、官位昇進の重波ぞ立つ」と歌われている」

西宮神社表大門南門。
兒社の先の左に南側に続く参道がありその先建つ門で、その先には阪神高速3号神戸線の高架が続いています。

表大門南門の右に鎮座する沖恵美酒神社。
創建年代など詳細は不明で沖恵美酒大神(あらえびす)を祀る。

拝殿は切妻銅葺屋根の妻入り拝殿。

沖恵美酒神社拝殿額。
解説からの抜粋。
「あらゑびすさま」と崇められ、室町時代の文書に「西宮荒夷社」として記録が残り、もと荒夷町に鎮座していたが明治5年(1872)に遷座
祭日は7月10日、1月・7月を除く毎月10日月次祭を斎行」とある。

本殿は一間社流造。

境内の川柳碑「人間は なぜにうつむく 空無限」

表大門から真っすぐ進んで先にある西宮神社境内マップ。
このマップ辺りからコースは右に直角に曲がります。

福男選びコースの最初の難関第一コーナーの左に鎮座する南宮神社。
銅葺屋根の切妻妻入で、四方吹き抜けの拝殿で、棟はその先の本殿の屋根と繋がっています。

拝殿前で守護する狛犬の寄進年は弘化元年(1845)のもので、素材が柔らかい石のためか阿形は随分欠落がある。吽形の脇には行儀のいい子の姿がある。

創建時期など詳細は語られていないが祭神は豊玉姫神市杵島姫神、大山昨神、葉山姫神を祀る。
南宮神社も西宮神社境内社と思われがちですが、西宮市大社町に鎮座する廣田神社の境外摂社で、「浜南宮」とも称される。
平安時代には都の貴族が参詣し、「梁塵秘抄」には「濱の南宮は、如意や宝珠の玉を持ち」と歌われる。
神功天皇が豊津浦で得られたという廣田神社の宝物「剣珠」は、もと南宮に納められていた。

社殿全景。
本殿は5本の鰹木と外削ぎの載せ千木が付く。

第一コーナーを曲がると社務所に繋がる直線で、明神鳥居をくぐった先から左に折れる第二コーナーがある。

左側には写真の神馬舎。

第二コーナー右手の手水舎とその奥に庭津火神社。

庭津火神社。
祭神は奥津彦神、奥津比女神。
祭日 9月21日
社殿がなく塚の形をした封土を拝する古い姿を残した神社で、神域内守護の神さまをお祀りし、荒神さまとして信仰されている。

境内には幾つも由緒が掲げられ、それぞれ微妙に内容は違っており、写真は手水舎付近の由緒。
下記は御祭神を割愛し一部抜粋したもの。
「例祭 9月22日、月次祭 毎月1日・10日・20日、1月9日 宵ゑびす
十日ゑびす大祭 10日 本ゑびす、11日 残り福
ゑびす様の総本社である西宮神社は西宮のほぼ中央に鎮座し平安時代末期には既に高倉上皇の御奉幣をはじめ、皇族神祇伯の参拝が著しく社勢極めて盛大であった。
とくに中世以後福の神と崇める信仰が盛んとなり、傀儡師の活動や謡曲狂言を通じて愈々御神徳が拡まっていった。
徳川時代以後商業の発展に伴い海上守護神商繁昌の神として普く御神徳が発揚し今日では全国津々浦々にわたって多くの人々の崇敬を受けている。
本殿は三連春日造と称し、神社建築の中で特異な構造をもつ元国宝建造物 、戦災のため昭和36年復元し
た。
表大門(赤門)は豊頼公の寄進と伝えられ桃山時代の建築遺構を現存し、その左右に連なる大練塀(室町時代の作と伝える日本三大練塀の一つ)と共に重要文化財に指定されているほか、境内の社叢は兵庫県指定天然記念物となっている。

昭和52年7月池畔に岩倉具視公私邸の一部である「六英堂」を移築した。
古来銘酒の産地として名高い西宮市はかつて当社の門前町として発展したもの。」

平安時代には廣田神社の境外摂社であり「浜の南宮」または「南宮社」という名であった。

社務所付近から銅葺屋根の入母屋千鳥破風、唐破風付きの拝殿と三連春日造の本殿の眺め。
コースはここから拝殿方向に続く短い直線と拝殿前の最終コーナーを曲がればゴール。

銅葺屋根の春日造の本殿三棟が横一列に並び、其々の大棟から横方向に棟でひと繋がりとなり、一つの建物として作られた珍しいもので、三連春日造、西宮造と呼ばれる由縁。

載せ千木の先端は全て水平カットの内削ぎ。
期間限定で本殿前から参拝が出来る様で、そのタイミングであれば三連春日造の全容が見られるそうです。

因みに表大門からこの写真を撮るまでのおやじのタイムは初コースながら約20分だった。
TVのあの映像を見れば、まかり間違っても参加しようなんてのは無謀な挑戦だ。ノンビリが一番。
こうしてみるコンクリート造りの拝殿は1961年の再建で、阪神淡路大震災で被災後の2000年に復旧されたもの。
拝殿の左右に銅製狛犬が守護しています。

吽形は角付きでウエーブの効いた尾と鬣を持つもので天保12年(1841)の寄進。

拝殿唐破風から千鳥破風の眺め、破風飾りには三つ柏の神紋が入る。

拝殿から望む三殿。
普段は拝殿までしか入れませんが、正月三が日と十日戎の時だけは本殿前の参拝が許される。
一度はこの目で全景を見たいものです。

三連春日造(西宮造)
本殿は寛文三年(1663)、四代将軍家綱の寄進のもので当初は檜皮葺で国宝に指定されますが、昭和20年の空襲により焼失。
昭和36年(1961)、檜皮葺から銅板葺に変わり復興されたもの。
第三殿までありますが拝殿から見て右が蛭児大神を祀る第一殿、中央の第二殿に天照大御神明治元年大国主大神を配祀、左の第三殿は須佐之男大神を祀る。
鬼に入る神紋は第二殿は三つ柏、他は巴紋が入れられています。

本殿の左側には複数の境内社が祀られています。

右から順に流造の火産霊神社。
創建時期は定かではないようですが、江戸時代の絵図には火之大神として記されている。
祭神は火皇産霊神、祭日 8月24日。
火伏の神さまとして信仰され、愛宕さんとして崇敬されている。

その左は百太夫神社。
創建時期は定かではないようですが、天保10年(1839)に産所村から現在地に遷座したとされ。
芸能や子供の守り神神さまとして崇敬される百太夫神をお祀りする。
例祭 1月5日百太夫神社祭。

見世棚造の六甲山神社。
祭神は菊理姫命を祀り、祭日は5月6日。
菊理姫命は白山大権現とも云われ山を守護する神、六甲山頂には奥宮にあたる石宝殿に向いて鎮座する。
千木は水平カットの内削ぎ。

大國主西神社拝殿。
延喜式神名帳・攝津国菟原郡にある大國主西神社とも称され、元は境内の阿彌陀堂という仏堂。
享保20年(1735)、大己貴命 少彦名命二柱を勧請し神社にしたとされている。
祭日は5月15日。

大國主西神社本殿。
流造の本殿の千木は垂直カットの外削ぎ。

更に左の朱の鳥居を構えた神明神社
外観は稲荷そのもの。
創建年は不明、明治6年(1873)、大阪奉行所西宮勤番所から移転遷座され、御祭神は食物を司る神、稲荷神。

扁額は神明神社
普通なら神明鳥でしょうが、様相は違う。

これはもう紛れもなく稲荷そのもの。
千木は外削ぎで鰹木は3本、流造の朱の本殿前には痩せた狐の姿もある。
祭神は豊受比女命をお祀りする。
思うに元々は神明社として祀られていたものが、明治6年(1873)稲荷社遷座以降、お稲荷さんの方が崇敬され稲荷色が濃くなっていった?
不思議な神明神社です。

松尾神社
祭神は大山咋命猿田彦命住吉大神を祀り、祭日は4月2日。
寛政2年(1790)、当地の酒造家により酒造繁栄祈願の為祀られた、大好物のお酒の神さまです。

本殿は流造で5本の鰹木と外削ぎの千木が付く。
西宮は灘五郷の1つとして、六甲山の恵みと海を間近にした地の利から古くから酒造りが盛んな地域。
西宮神社参拝後の計画は、西宮郷の酒蔵を巡り美味しいお酒を堪能する。

これで境内西側の境内社は参拝して廻ってきました。
次は拝殿の南にある神池に鎮座する境内社に向かいます。

新池の西の傍らに鎮座する市杵島神社。
祭神は市杵島神、祭日は6月17日。
厳島に鎮座する市杵島の神を祀り、貞享3年に書かれた絵図には弁才天として記されている。

神池から祈祷殿、六英堂方向の眺め。

宇賀魂神社。
創建の詳細は定かではなく、室町時代中期、文明年間には既に鎮座されていたと云う。
祭神は農業や産業の繁栄の神さま神宇賀御魂命で祭日は4月9日。

伊勢神宮遥拝所。
正に伊勢神宮をここから遥拝するためのもので、毎年10月17日の神宮祭ではここで遥拝が行われる。

瑞寶橋。
神池に架かる石造太鼓橋で石材は六甲山産の花崗岩が使われています。
明治4年(1871)に当地酒造家により寄進されたもので、国の登録有形文化財に指定されたもので渡る事は出来ない。
これで概ね境内は参拝は終え、表大門南門から西宮神社を後にする。

表大門南門
切妻瓦葺の高麗門で建立された年代は定かではないようです。
門の前を国道43号線、その上には阪神高速3号神戸線の高架が延々と続く。
1995年1月17日、悪夢のような阪神淡路大震災ではこの高架が落橋したり倒壊した映像は今も記憶に新しい。
かけがえのない人命・巨額の物的被害をもたらした震災から28年を迎え、都市や寺社は復興し傷跡は消えたかに見えるが震災遺構は各地に残り、将来へ語り継いでいる。

表大門南門正面全景。
扁額にはえびす宮と書かかれていました。

西宮神社
創建 / 不明
祭神 / えびす大神、天照大御神大国主命須佐之男大神
所在地 / 兵庫県西宮市社家町1-17
参拝日 /2023/07/08
公共交通機関 / 阪神電鉄西宮駅から南へ徒歩5分
有馬温泉駅から神戸電鉄有馬線➡谷上➡北神線➡三宮➡阪神本線➡西宮
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