日出(ひので)神社

2022/1/9 今年の主要な課題でもある「積極的ボランティア参加」
最初のイベント説明会を聞きに白川公園付近を訪れました。
説明会終了後、白川公園南側の若宮大通り沿いを歩き「日出(ひので)神社」の前を通りがかり参拝してきました。

f:id:owari-nagoya55:20220113190015j:plain日頃から車で通りがかる事も多く「ここにも神社があるな」とは思いつつ、なかなか車では訪れにくい場所。

f:id:owari-nagoya55:20220114084111j:plain若宮大通沿いから見る社頭。
いかにも街中の神社。
幾度となく車窓からこの神明鳥居を眺めて来たが、意図したわけでもなく訪れる機会を得た。
ずっとこちらが正参道と信じ込んできたが、訪れて初めて知ったが正参道は東側にあり、車窓から見えていたこちらは脇参道だった。
鳥居右に社標が立っています、歩道を行き交う人はとっても多いが神社を訪れる姿は皆無だった。

f:id:owari-nagoya55:20220114084134j:plain

脇参道から境内へ、右手に手水舎、社殿。
北側以外の周囲はビルが取り囲み、この一画だけが時間の流れから取り残された様だ。
神域に聳える巨大な銀杏の樹がその歴史を語っているよう。
この神社が鎮座する場所は、遥か昔の5世紀から6世紀頃の古墳時代に築かれた古墳「日出神社古墳」の上に鎮座しています。
社殿はこんもりと盛られた高みに鎮座し、今の姿から形状は丸い形の円墳の様に見えますが、実は前方後円墳の後円部だといいます。
神社が鎮座するお陰で神域部分の後円部は開発を免れたようです。
発掘調査もされていないようで、教育委員会の解説も掲げられていなかった。

f:id:owari-nagoya55:20220114084200j:plain

社殿正面全景。
左右の燈籠は1880年(明治13)に寄進されたもので、柔らかい曲線を描く竿が印象的。
鳥居は神明鳥居で鳥居後方の左右に旧社標が残されています。
右に神明社、左に愛宕神社といろいろな事情がありそうだ。
境内から拝殿周囲に回り込めず本殿を見ることが出来なかったが、拝殿をこうして見ると後円部の高さがよく分かります。

f:id:owari-nagoya55:20220114084224j:plain

拝所から見上げる社殿。
古墳の上に神社が鎮座する姿は特に珍しいものではない。
個人的にそれらは代々語り継がれた伝承などから意図して建てたもので、「ここが高いぞ、ここに決めた」的な安直な考えで動くのはおやじくらいなもの…と思いたい。
この古墳を守るように鎮座する「日出神社」、その創建がいつ頃か気になるところ。

f:id:owari-nagoya55:20220114084245j:plain

拝殿は切妻平入で手前に狛犬が守護し、拝殿の額は「日出神社」と記されている。
石段に続く扉が閉ざされ狛犬の表情などこれ以上寄れなかったが、狛犬の視線は空に向けられているようにも見える。

社頭の由緒書きには「もとは愛宕社と称し、1879年(明治12)に日出町38番に鎮座した神明社(旧称天道宮)及び境内の宗像社、白髭社、香良須社合殿の二社を合祀し日出神社に改めた」とあった。
更に愛宕神社神明社(旧称天道宮)は清州(朝日)から遷座したものだと云う。
時期は1610年(慶長15)、家康による清州越しだ。
清州越し以前の古墳があるこの地は?となると由緒には記されていない。
尾張史や尾張名所図会など目を通して見るも由緒にある「清州越し」に結びつく記述は見つからなかった。清州越し以前の古墳の状況は分からない。
ただ言えるのは、変貌著しい激変の時代から古墳を守ってきたのがこの神社なのは間違いない。

f:id:owari-nagoya55:20220114084307j:plain

境内左が社務所、こんもりの上の拝殿も十分高いが、境内の樹々は周辺のビルに引けを取らない。
日出神社の社殿は1909年(明治42)に改修され、1945年(昭和20)空襲により焼失。
1959年(昭和34)に本殿、1970年(昭和45)に拝殿が復興されたもの。
境内の燈籠や正参道の狛犬などは空襲を掻い潜ってきた戦争の目撃者と云う事だ。

f:id:owari-nagoya55:20220114084325j:plain

こちらに遷座した頃の愛宕神社の祭神は「愛宕大権現」、それもあの神仏分離により、祭神を「軻具突知命」としています。
正参道を守護する狛犬は1922年(大正11)に寄進されたもの、びっくり眼でふくよかな容姿は可愛いものがある。
可愛い彼らもここで空襲を実際に経験している、燈籠もそうだったが一部にすすのような黒ずみが見える。
欠損はないものの、人の愚かさとそれがもたらす悲惨な結果に驚きを隠せない、そんな眼をしているように見えてならない。
境内に「國威宣揚」の石柱もあるが敢えてここには載せません。
そうしたものを立てなくてもいい世界でいてほしい、黒ずんだ狛犬は何かを訴えている。

f:id:owari-nagoya55:20220114084345j:plain

正参道入口の由緒書き。
「祭神 軻遇突智命天照大御神、月夜見命、宗像大神、猿田彦命、稚日女命
由緒 本神社はもと愛宕社と称し、明治12年日出町鎮座の神明社(旧称天道宮)及び同一境内宗像社、白髭社、香良須社合殿の二社を合祀して日出神社と改めた。
愛宕神社は天道宮と共に清州に鎮座したが慶長15年、名古屋城築城の際、現地に移された。
例祭 10月15日
五柱 社祭神 素戔嗚尊応神天皇、宗像大神、加茂大神、軻遇突智命
吉備 社祭神 吉備真備
日出神社」

f:id:owari-nagoya55:20220114084403j:plain

境内東側から社頭全景。
こうして見る日出神社、ビル群の一画にあってタイムマシンの様に昔の面影を留めている。

この筋はまず車で通る事はないだけに、この姿を知らないのは当然と云えば当然か、次回大須を徘徊する際はこちらから訪れる事にしよう。
2022/01/09
 
日出神社
創建 / 不明(1610年(慶長15)清州より遷座)
祭神 / 軻遇突智命天照大御神、月夜見命、宗像大神、猿田彦命、稚日女命
所在地 / ​名古屋市中区大須2-3-17​
公共交通機関アクセス / 地下鉄鶴舞線​「大須観音駅」2番出口から徒歩約7分​
関連記事 / 

owari-nagoya55.hatenablog.com