玉宮稲荷大明神

室町時代に創建以降、玉野町の歴史を見続けてきた太平寺
玉野町には南北朝時代の悲話に纏わる太平寺を初めとする神社仏閣や古墳など存在し興味深い土地柄です。

太平寺の西隣に今回掲載する玉宮稲荷大明神が鎮座します。

太平寺の山門から白壁沿いに西に向かうと赤い稲荷鳥居が見えてきます。

こちらが玉宮稲荷大明神太平寺の山門から2分も歩けば見えてくると思います。

玉宮稲荷大明神社頭。
太平寺の鎮守社なのだろうか、周囲には墓石もあり、参道脇には多くの地蔵が安置されています。

社頭から石段が続き、微妙に右に左に曲がり、目の前の高みに続いています。

石段の中ほどから狛狐の守護する稲荷鳥居が始まり、その上の拝所まで連なります。
鳥居右手の石標は庚申塔

鳥居前を守護する狛狐。
台座に平成11年(1999)に玉宮稲荷大明神の移設・新築とあり、それに伴い寄進されたもののようです。
移築とありますが、以前の鎮座地については不明。
太平寺のHPで当社の絵が出てくるところから、冒頭推測で太平寺の鎮守社では?と書きました。
そうした視線から以前は境内に鎮座し、こちらに遷座したものなのかもしれません。
玉宮稲荷大明神については太平寺HPや由緒など紹介されておらず詳細は良く分かりません。

鳥居扁額「玉宮稲荷大明神

稲荷鳥居は中ほどで一旦途切れ、そこに踊り場があります、ここまで来ると鳥居の先の拝所も見えてきます。

踊り場右側に覆屋があり、一体の石像が安置されていました。
像の上に「靑麻神社」とある。
名古屋では2017年に那古野神社を訪れた際、境内社で見かけた記憶がありますが、当時の写真を調べて見るが見当たらず、纏めてもいないようです。
再訪して名古屋東照宮と合わせて掲載しなければ、いずれにせよ余り馴染みのない神社。
本宮は宮城県仙台市の「青麻(あおそ)神社」のようで、目の病に御利益があるという。

右側に「起元2536年」と刻まれています、神武天皇の即位(紀元前660)から起算するので1876年(明治9)に安置されたものと思われます。

踊り場の左は荒れた斜面が上に続き、その斜面に複数の石祠が作られ石仏が安置されているようです。

鳥居の先の拝所。
四方を腰壁で囲った切妻瓦葺で正面に賽銭箱が置かれ、左手にはお神酒も供えられ、時折参拝者は訪れているようです。

拝所から鞘殿の眺め。

鞘殿正面、銅葺屋根の切妻で正面はガラスの格子扉。

鞘殿の軒下に鈴が吊るされており、正面まで上がってみました。

こちらでもう一度参拝させてもらい、本殿は見えないかと中を窺うも外光がガラスに反射し様子は分からなかった。

玉宮稲荷大明神について調べてみましたが、太平寺の過去の住職により勧請され、戦後に社殿を改修し、平成11年に建替えられたようですが、元の鎮座地や創建時期の詳細には出逢えなかった。
毎年、旧暦の初午(今年は2/5)の日に油あげやお頭付きを供え、多くの参拝者が訪れる様で、御利益は物を無くしたときにお参りすると、失せ物が出てくるそうです。

鞘殿から拝所の眺め。
短い距離ですが覆い殿までの石段は結構な斜度があります。
見つめる先は玉野の町とその先にある一面の青田、今頃は稲穂も垂れている事だろう。

拝所から社頭の眺め。
大したことのない傾斜ですが、躓けば只事では済まない、手摺を掴んで降りていきます。

社頭に戻り西方向から見る社殿全景。


玉宮稲荷大明神遠景、前方が太平寺で中央の石碑は玉野地区の英霊碑が建てられています。
玉宮稲荷大明神を後にして、西に向かい次の目的地を目指します。

玉宮稲荷大明神
創建 / 不明
祭神 / 不明
境内社 / 靑麻神社
所在地 / 春日井市玉野町1129
普光太平寺から玉宮稲荷大明神 / ​徒歩2~3分
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