一泊二日武藏國一之宮巡り二日目

大宮駅からほど近いパレスホテル大宮で迎えた二日目。
初日結構歩いたことからすぐに寝落ちしてしまったが、朝は相変わらず早く目が覚める。

6:00、外は漸く朝陽が昇り始める。
かみさんはまだ熟睡中。
二日目はノンビリcheck outして徒歩で武蔵国一之宮氷川神社に向かい、その後大宮からバスで武蔵国一宮氷川女體神社を参拝し浦和に向かい帰途につく。

朝食までは時間もあり、一人ホテル北側の散策に出かけた。

ホテル北側の県道を渡り路地に入ると何処からともなくラジオ体操の音楽が流れてきた。
音に導かれ路地を進んだ桜木町で下のお稲荷さんに辿り着く。

鐘塚稲荷神社。
この境内で毎朝住民の方がラジオ体操をされており、体操が終わると総出で境内を掃き清め、今日一日をはじまるのが日課の様です。
このお稲荷さんが町内の人々のコミュニテイーの一つとなっているようです。

鐘塚稲荷神社。
清掃されていた方にお聞きした所、百年以上前から続く神社だと伺いました。
現在の町名は桜本町のようですが、鐘塚の由来は町名を調べていくと分かってくるのか、或いは過去に鐘を埋めた塚があったのかもしれません、何れにしても現在この地は再開発が進み、塚の「つ」の字も見つからない。
所在地 / 埼玉県さいたま市大宮区桜木町2-181

ホテルに戻り朝食、それなりの値段でそれなりに品数があるので朝から食べ過ぎだ。
最終日は昨日より歩く事になので、しっかり食べておく。
ホテルを9:30check out、埼玉二日目がスタートする、目的地の氷川神社まで徒歩で約4.5㌔一時間程の歩き。

大宮駅から一旦南下して一ノ鳥居を目指しました、途中の街角には写真のような小社を幾つか見かけます。
写真は大宮区吉敷町1-63付近の美容室横で見かけた三峯神社
この辺りから旧中山道の県道164号線を南下し一ノ鳥へ。

中山道の左に氷川神社の赤い大鳥居と武蔵国一之宮の石標に到着。
この氷川参道は延々と約2㌔続き、日本一長い参道とも云われるようで、ゴールの三ノ鳥居まで写真データでは30分はかかったようです。

広い参道両脇の杜は往古、主に松や杉が主だったそうで、大正から昭和初期にかけて鬱蒼とした杉並木が続き「並木十八丁鉾杉つづき」と称されたようです。
現在は杉に変わって欅やスダジイや楠木などが主で、樹の種類が変った背景には戦中、戦後の資材難でそれらが伐採されたことが一因にあるようで、現在の樹々の多くが昭和60年に入って植栽されたものだそうです。
参道沿いには今も伐採された切株が残されていました。
訪れた時は丁度彼岸花が綺麗な時期で、緑のトンネルにアクセントを加えていました。

参道にはこうした丁石が立てられています。
これが18になれば到着なんですが先はまだ〃先。

ニノ鳥居。
約1.6㌔地点に聳える朱の明神鳥居。
参道沿いにはベンチや飲食店もあり一息入れる事も出来る。
現在設置されている朱塗りの二の鳥居は、 昭和51年(1976)に明治神宮より移築された高さ約13㍍、幅約17㍍の木造の明神鳥居で、関東最大級の規模を誇ると云う。
鳥居に用いられている材木は、大正9年(1920)台湾の阿里山で伐採された樹齢1200年以上の桧で作られているといわれます。

暑かったあの時期も嘘のように涼しくなり、鍋が恋しくなる。
見るからにおいしそうな…

氷川神社由緒。
氷川神社は、第五代孝昭天皇の3年4月未の日の御創立と伝えられます。
古くから武将の崇敬をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇り、大宮の地名も氷川神社に由来する。
古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足を止め祈願された。
また、成務天皇のとき武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引き連れこの地に移住し、氷川神社を奉崇した。
称徳天皇天平神護2年(766)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。
更に醍醐天皇の延長5年(927)には延喜式神名帳名神大社として社格が与えられた。
この他、鎌倉時代には治承4年(1180)源頼朝により社殿の再建と社領3000貫が寄進されたとされ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。
その後江戸時代の慶長9年(1604)には徳川氏より社領300石が寄進され、文禄5年(1596)、寛文7年(1667)には社叢の整備と社殿の造営が行われた。
その後、明治元年(1868)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定め、明治天皇自ら親拝された。
同4年(1872)官幣大社となり、同15年(1883)に本殿・拝殿等を改修。
昭和15年(1940)、本殿・拝殿・回廊等造り変え現在の景観となる。
祭神は素佐之男命・大己貴命
例大祭は8月1日。他に神事で有名なのが12月10日の大湯祭である。」

漸く三ノ鳥居到着。

広大な社地には神池、白鳥の池、瓢箪の池を湛え、稲荷社、宗像社、門客人神社など多くの境内社がある。

参道を進み、朱の神橋の先に写真の楼門が現れる、四方は廻廊で結ばれ、舞殿・拝殿・幣殿・流造の本殿、社務所の建物が建つ。

舞殿と幣殿。

舞殿から眺める拝殿。

拝殿、幣殿、本殿の眺め。
2400年以上の歴史をもつと云われ、「大いなる宮居」として大宮の地名の由来になった古社。
武蔵一宮として関東一円の信仰を集め、氷川神社名の社は大宮を中心に、埼玉県および東京、神奈川県下に約280数社を数えると云う。
当日は平日にもかかわらず七五三の御祈祷や多くの参拝客が訪れていた。

武蔵一宮 氷川神社
創建 / 第5代孝昭天皇3年
祭神 / 素佐之男命・大己貴命
境内社 / 稲荷社、宗像社、門客人神社、松尾神社御嶽神社など
所在地 / 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町 1-407
大宮駅から徒歩 / ​約1時間

12:00
氷川神社から一旦大宮駅方向に戻り、大宮駅東口から次の目的地氷川女體神社近くまでバスで移動。
徒歩ルート / 氷川神社から​南下20分

大宮駅東口からバスに乗り氷川女體神社に向かいましたが、一向にお腹が空かないので少し手前の染谷新道バス停で降車。
ここから芝川を越えて神社まで、一面田畑が広がる約3㌔を歩いて向かう事にしました。
写真は芝川に架かる宮後橋から、下流のさいたま新都心方向の眺め。

見沼代用水西縁と呼ばれる灌漑用水沿いに遡ると正面にこんもりとした森が現れてきます、目指す氷川女體神社の杜です。

見沼田圃の散歩みちのひとつで、遡ってきた見沼代用水西縁沿いは桜並木が続き、花の時期にはさぞかし綺麗な事だろう。
遥か昔はこの辺りまで海が迫っていたようで、一帯は氷川女體神社や磐船祭祭祀遺跡など見沼田圃の歴史に深く関わる見所が残されています。

見沼田圃を見下ろす高台の鬱蒼とした社叢に包まれた氷川女體神社。
武蔵国一宮
御縁起 (歴史)
当社は見沼を一望できる台地の突端「三室」に鎮座する。
見沼は神沼として古代から存在した沼で、享保12年(1727)の新田開発までは、12平方キロメートルとい
う広大なものであった。
この沼は御手洗として当社と一体であり、ここに坐す神は女體神、すなわち女神であった。
 
創建の由緒は明和4年(1767)に神主武笠大学の記した「武州一宮女躰宮御由緒書」によると「崇神帝之御勧請」「出雲国大社同躰」とある。
また「神社明細帳」控えには、見沼近くにある当社と現在のさいたま市大宮区高鼻鎮座の氷川神社、同市中川の鎮座の中山神社(氷王子社)の三社を合わせ氷川神社として奉斎したと載せる。
中世、旧三室郷の総鎮守として武家の崇敬が厚く、社蔵の三鱗文兵庫鎖太刀は北条泰時の奉納と伝える。
 
祭祀は御船祭と称し、隔年の9月8日に見沼に坐す女神に対して行われた。
しかし、古来より続けられてきた御船祭は享保12年(1727) 見沼新田の開発が始められたため、沼中の祭祀が不可能になった。
このためやむをえず磐船祭と称し、沼跡の新田の中に小山を築き、舟形の高壇を設けて周囲に池を掘り、ここを見沼に見立てて祭祀を行うこととし、同14年(1729)9月から斎行された。
下山口新田には、祭場遺跡として「四本竹」の地名が残るが、近年の調査では多数の注連竹が発見され、これを裏付けた。
社叢は、埼玉では珍しい暖地性常緑広葉樹であることから、昭和56年に埼玉県より「ふるさとの森」の第一号として指定された。
御祭日 歳旦祭(一月一日)、祈年祭(二月十八日)、祇園磐船龍神祭(五月四日)、名越大祓(七月三十一日)、お日持(十月七日)、例大祭(十月八日)、新穀感謝祭(十一月二十三日)」

上に記された中山神社には今回訪れなかったけれど、三社を地図上で見ると一直線場に鎮座しており、訪れるべきだったのかも知れない。
氷川女體神社の拝殿に武蔵国一宮の扁額が掲げられています。

氷川女體神社は中世以来、武門の崇敬を集めており、鎌倉北条氏、岩槻太田氏、小田原北条氏などにゆかりある書物や宝物が多く所蔵され、徳川将軍家からも社領50石を寄進されているといいます。

現在の社殿は、寛文7年(1667)徳川幕府四代将軍家綱が忍城阿部忠秋に命じて建立したものです。
本殿は全面に朱の漆が塗られた三間社流れ造りで、拝殿と相の間で結ばれた権現造りの建造物です。

武蔵国一宮 氷川女體神社」と記された扁額と拝殿。

鳥居をくぐった右に手水石。

拝殿向拝に掲げられた「武藏國一宮」の扁額。

女體神社社殿解説。
「寛文七年銘棟札一枚 平成19年3月16日埼玉県指定有形文化財(建造物)
この社殿は17世紀の造営であり、本殿と拝殿を幣殿でつなぐ複合社殿です。
一番奥にある本殿は朱塗りの三間社流造です。
三間社とは、正面の柱となだらかな曲線を描く「流造」となっています。
本殿と拝殿をつなぐ幣殿は間口の柱の空間が三つあるので「三間社」と表現します。

屋根は切妻造の前方が長く延び、本殿に合わせ、屋根は切妻造で二方向に葺下しています。
拝殿は入母屋造で屋根の正面には、「千鳥破風」と、軒から起こり曲線を持つ「軒唐破風」が施されています。
現在、屋根は銅板葺ですが、平成23年の社殿保存修理時に、古い杮葺が残存していることが確認されました。
寛文7年(1667)銘の棟札には、四代将軍徳川家綱が忍藩主阿部忠秋を奉行として「武蔵国一宮厳河女躰大明神社」本殿の工事を行った記載があり、江戸幕府の公式歴史書徳川実紀」には、その修理費用が三百両で
あったとも記録されています。

この本殿は埼玉県における代表的な神社本殿建築様式を伝える建造物で幣殿・拝殿を含め社殿として一括して埼玉県の文化財に指定されています。」

その社殿も当時のままで、現在は一部雨漏りが発生し、早急な修復に迫られているようです。

社殿全景、社殿後方には複数の境内社が祀られています。
この神社は古くから豪族や武将からの尊崇があつく、中世を中心にそれらに関する文化財も多い。
その中の一つとして鎌倉時代金工品の優品として三文兵庫鎮太刀がある。
刀と吊紐をつなぐ帯執りが針金で編んだ鎖となった兵庫鎖太刀で、多く寺社奉納に使われた。
この太刀も刀身は鉄の延板で奉納用として作られているという。
社伝では北条泰時の奉納と伝えられ、全面に三鱗文が施されている。
古社宝類のひとつとして、正応6年(1293)佐伯弘の銘がある飾鉾など、多くの文化財を所蔵する。

氷川女體神社参道鳥居。
神社から北西約500㍍程の住宅地の生活道路に石の明神鳥居が立っています。
鳥居前後左右にはガードバーが設置され保存されています。

氷川女體神社
創建 / 崇神天皇年間
祭神 / 奇稲田姫命
境内社 / 龍神社、今宮神社、神明社、坂東神社、石神神社住吉明神社、天神松尾合社等
所在地 / 埼玉県さいたま市緑区宮本2-17-1

参拝を終え、参道鳥居を拝見し最寄りの朝日坂上バス停に向かう。
氷川女體神社➡参道鳥居➡朝日坂上バス停までの​徒歩ルート

14:00
さてここから14:04分のバスに揺られて浦和の浦和駅東口に向かいます。
ここまで昼御飯もとらずにこんな時間になり、胃の中には朝食も残り完全にリズムが狂ってしまった。
朝日坂上浦和駅東口バス移動約​小一時間

15:00
浦安東口到着、ここで三時のおやつの時間。

かみさんリクエストの浦和駅西口の甘味処「ときわだんご」で小休憩。
名物の「ときわだんご」とあんこ苦手な自分はプレーンなこれ、シンプルな焼き餅は外さない味。
ここで餅を胃に追加するとますますおかしくなっていく。
所在地 さいたま市浦和区高砂1-12-1

当初の訪問地はここまで、帰りの新幹線には相当時間もある事から浦和の調(つきじんじゃ)神社まで足を伸ばして見ました。
「ときわだんご」から調神社までの​ルート

旧東海道の県道213号線を徒歩で約15分程南下、住宅やビルが立ち並ぶ一帯に調神社の杜が見えてきます。
社地西側に社頭を構え、右に「縣社 延喜式内 調神社」の社標が立てられています。
社頭を守護するのは狛兎。

手水舎の手水鉢にも龍の代わりに兎。

拝殿左側の境内。
16時を少し回ったところですが、境内には明かりが灯された、どんどん一日が短く感じるようになってきました。

中央の拝殿と社務所全景。
調神社(つきじんじゃ)祭神は天照大御神豊宇気姫命、素盞嗚尊の三柱を祀る神社。
創建は第9代開化天皇年間(BC157~107)とも宝亀2年(771)頃とも云われます。
社殿は権現造で、現在の社殿は安政5年(1858)の造営とされ、旧本殿は社殿右の神池の先に稲荷社の本殿として今も残ります。
境内入口は5ケ所ほどありますが脇参道には鳥居がありますが、拝殿に向かう主参道や西側参道などには鳥居がないのは祭礼の山車でも入れ込むためだろうか。

神池と稲荷社全景、ここにも兎。
調神社は古来より月待信仰と深い関りを持ち、調神社も月宮殿にされるようになると使姫である兎の彫刻が各所におさめられていったようです。月に兎はテッパンなんですね。

稲荷社社頭。
木造両部鳥居と石の明神鳥居の二つの鳥居を構え、正面に透明の樹脂で囲われた覆殿があり、調神社の旧本殿がある。
平成29年(2017)に補修の手が入れられ、以前は銅板葺きだった屋根を柿葺きへ戻されたようです。
境内にはこの稲荷社の他に調宮天神社、金毘羅神社などが祀られていました。

調神社
創建 / 不明
祭神 / 天照大御神豊宇気姫命、素盞嗚尊
所在地 / 埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25

以上で今回の埼玉二泊三日の一之宮巡りも終わり、後は東京に戻り、一杯飲んで新幹線に揺られて名古屋に戻ります。

下は今回頂いた御朱印

左から川越総鎮守氷川神社、川越熊野神社

左から武藏一宮氷川神社、武藏一宮氷川女體神社。
埼玉県一ノ宮巡り訪問日 / 2023/9/25~26

我家の日本地図、少しは東国が塗り潰されて来たような・・・それでも先は長い。
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