八幡社から西へ5分ほどの中村区東宿町。
住宅街の中に、玉垣で囲われたこんもりとした東宿 明神社の森が見えてきます。

東宿 明神社の社叢全景。
大きな樹々が少ないこの辺りにあって、見上げるばかりの樹々の聳えるこの杜は、一目で神社の存在を示しています。
この写真の左側に社頭を構えているので、社地の南側に回り込みます。

東宿 明神社社頭の眺め。
間口は狭いですが、鳥居をくぐると右に広がっています。

鳥居と社号標の眺め。
左の社号標は大正14年(1925)に寄進されたもので「村社 明神社」と刻まれていました。

また盛んに市の立ったところで、鎌倉時代の紀行文「東関紀行」に、「萱津の東宿の前をすぐれば、そこらの人あつまりて、里もひびくばかりにののしりあへり。
今日は、市の日になむとぞいふなる。」
と当時の賑わいを記している。

鳥居の扁額は「明神社」、この鳥居も大正14年に寄進されたものでした。

祭神 日本武尊
祭典神事 秋大祭 十月十ニ日、祈念祭 旧暦一月十五日に近い日曜日、新嘗祭 十一月三日、歳旦祭 一月三日
由緒
当社は鎌倉時代の建歴、貞応年間(約780年前)に熱田神宮摂社 日本武尊を当部落の鎮守御産土神として奉斎したもので、当時鎌倉街道(小栗街道)が通じ京都鎌倉間の宿駅として栄えた頃の社である。
仁治三年(1242)秋源行京都より鎌倉に下る紀行文に「東関紀行」という名著がある。
書中の一節に「萱津の東宿の前を過ぐれば、そこらの人集まりて、里も響くばかりに罵りあへり。
見てのみや 人にかたらん さくらはなの 手ごとに折りて いへづとにせむ(古今集)
花ならぬ いろ香も知らぬ市人のいたづらならで帰る家づと
古渡を過ぎ熱田の宮に参詣でぬ、とある。
以来幾多の興廃を経て現在に至っている。
現在の社殿は大正十三年十月起工三カ年の歳月を費やして御造営、昭和二年十月御遷宮の儀式を執行したものである。
その後、平成八年九月に全社殿、屋根葺き替えなどの大修築を完工した。
参考までに愛知県神社庁で検索すると東宿明神社として登録がありました。
内容は氏子地域のみで、それによれば中村区の宿跡町、中村町、東宿町、靖国町氏神さまのようです。

境内の蕃塀(1927年寄進)と拝殿の眺め。
社殿の右手には境内社2社祀られています。

境内右の手水舎。

入母屋平入りで、正面に千鳥破風を持つむ拝殿の全景。

拝殿額。

拝殿から幣殿の眺め。

幣殿前の狛犬。

幣殿の全景。高い石垣の上に幣殿・本殿が建てられています。

本殿は流造のようです。
日本武尊をお祀りする東宿明神社、本殿の千木は内削ぎ、鰹木は4本載せられています。
明神と冠し、歴史のある神社なので以前の祭神は日本武尊ではなかったと思われます。
地史にも目を通し、同社を示す記述はあるものの、創建時期や祭神の具体的な記述は見られませんでした。

社殿右の境内社は神明鳥居。

鳥居の先に並ぶ境内社。
左手の社は神明造、右は板宮造りの社で、どちらも社名札はなく、寄進物から社名を推測できるものはなく不明社です。

拝殿から社頭の眺め。
往古は萱津の東宿として多くの人が行き交い、人々は市で土産を買い求めて家路につく、明神社の周辺はそんな賑わいがあったようです。
現在は、過去の賑わいが信じられない静かな住宅街に変貌しています。