名古屋市中川区松年町『知立神社』

中川区松年町 知立神社。
金山神社から北西に徒歩5・6分の松年公園の西に隣接する神社です。

写真は松年公園南側の通りから公園と社頭の眺め。
知立神社は住宅街の区画の中に、大きく伸びた楠の杜の中に鎮座します。

上は大正期(左)とほゞ現在の地図の比較です。
鎮座地は赤枠部分で、緑の線の百曲街道沿いの集落の南にあたり、大正時代の地図では鎮座地に鳥居の姿はなく、すぐ南西にある昭明公園の神明社は明治の地図にも記されていました。
鎮座地に明確に鳥居が現れるのは昭和に入ってからの事でした。

社頭には一対の常夜灯(昭和5年寄進)と参道右に村社 知立神社の社号標(昭和5年寄進)が建てられています。
右の公園と社地を遮るものはなく、公園からそのまま拝殿に進む事も出来ます。

鳥居は参道を進んだ先に石造神明鳥居を構えています。

鳥居手前に自然石の姿を生かした一対の野面燈籠が印象に残ります。

参道左のもと手水石。
事情があってか、上面はセメントで埋め固められ、今は使われる事はない。
前面に清水の文字がなければ周辺の石と見分けがつかない。

知立神社の石造神明鳥居。
こちらは大正2年に寄進されたもので、境内の寄進物の中では一番古いものでした。

二対の狛犬が守護する拝殿は瓦葺の切妻妻入りのもので、梁間・桁行ともに三間の四方吹き抜けのもの。

拝殿前の二対の狛犬
手前はスタンダードなもので、後方は子連れ・毬持ちのもの。
後方の狛犬の寄進年は昭和4年に寄進されたものでした。

拝殿妻壁の扁額には知立神社とある。
知立神社と聞くと三河国二宮の池鯉鮒大明神が思い当たります。
当神社はそちらから勧請されたものと思われ、祭神も鸕鶿草葺不合尊かと思われます。
尾張志に目を通すと池鯉鮒社として記載されていません。
「熱田新田 八劔ノ社 末社に戸部天王ノ社 池鯉鮒ノ社あり 十一番割の氏神也」と記されているのに目が止まるも、中川区十一番町の八剱神社を指しているのでどうも違う。
残念ながら創建時期は定かではないです。
いずれにしても新田開発以前は、遠浅の海岸線が広がっていたはずなので、それ以前とは思えないでしょう。

拝殿内側の左右に二枚の社名札が掛けられています。
左側は天王社の社名・祭神・神徳、右の木札は脱色し、知立神社から左が読み取れなかったが、ここに由緒が書かれていたのかもしれない。

拝殿側面。

知立神社本殿。
本殿は銅葺屋根の一間社流造で脇障子も付くようです。
本殿の周囲は透塀で囲い、左の幣殿後方に繋がります。
本殿域はよく見ていませんが、天王社があるものと思われます。

秋葉神社
拝殿右に鳥居(昭和49年寄進)と社標を構え、その先に本殿が祀られています。

秋葉神社本殿。
千木は内削ぎ、鰹木は3本の板宮造り。
創建は定かではなく、祭神は迦具土神かと思われます。

右から拝殿、渡廊・幣殿の眺め。

拝殿屋根で飾り瓦に躍動感のある獅子が躍る。

拝殿右側から幣殿と本殿。

大きな楠の幹に根を張るノキシノブ。
地表にあまり生えず、こうした古木の幹に生える苔の上に根付くシダ性植物。
古木に自生する苔も綺麗ですが、個人的に古木を包む様に自生する軒忍は好きなシダのひとつです。

社地西側の参道鳥居。
今回の神社巡りは知立神社を西端と線を引いたので、すぐ西の昭明公園の神明社は次回として、西鳥居から北に向け歩いていきました。

知立神社
創建 / 不明
祭神 / 鸕鶿草葺不合尊、須佐之男
境内社 / 天王社・秋葉神社
祭礼日 / 不明
所在地 / 名古屋市中川区松年町1-50
参拝日 /2024/05/09
徒歩ルート / 金山神社から北西の松年公園まで​徒歩6分程​​​​
関連記事

中川区玉船町 『金山神社』
名古屋市港区須成町『素盞鳴神社』
名古屋市港区本宮町『龍神社』
名古屋市港区九番町『豊福稲荷大明神』
素盞鳴神社
淨專寺・髭題目 (名古屋市港区本宮町)