名古屋市熱田区古新町『古新神社』

前回掲載した中川区八剱町の八劔社から、北東方向の熱田区古新町に向かいます。
今回の目的地古新神社までの移動時間は15分かからないでしょう。

写真は昭和橋中学校北側の通りから東方向の眺め。
正面の名古屋港線架道橋をくぐったら左に曲がり線路沿いを進みます。

今日は歩きなので関係ないが、正面の架道橋の高さ制限は2.2㍍。
ルーフキャリアを載せているのを忘れると間違いなく接触、車高の高い車の場合は一旦考えさせる場所。
その昔、スキー場に向かう際に突っ込んでいった車を思い出します、結末は悲しい現実しかなかったはずです。

上は大正時代の古新神社鎮座地(赤枠)の様子。
鎮座地は田畑が広がる一帯で鳥居の印は見当たりません。
今ほど住宅が犇めき合っていない、昭和20年頃の航空写真から見ても、当時はまだ区画が整ったばかりで鎮座地は更地の様に見え、神社の姿は見られません。
すぐ東側の東海道新幹線も着工するのは昭和34年の事。

神社境内に由緒はなく、愛知県神社庁に同名の登録もなく、寄進物と地図の状況から推測するしかありません。
創建がいつ頃かとなると昭和、遡っても大正・明治時代か。
恐らく区画が整い、街並みが形成されるようになってからの事と思われます。

神社の西50㍍程の古新公園。
開園は昭和29年(1954)とされるので、神社はこの前後に創建されたのかもしれない。

古新神社社地全景。
通りから東方向を眺めています。
今度の高さ制限は4.3㍍、その先は東海道新幹線の架道橋。

新幹線高架西側の鬱蒼とした森の西外れに、南北に細長い社地が与えられています。
この森を所有する個人宅で祀られていた神社なのか、とも思いたくなる雰囲気です。

社頭全景。
正面の石造神明鳥居の寄進年は昭和14年(1939)とあり、左手の社標や玉垣に年号は見られなかった。
鳥居のすぐ先に覆屋が見えています。

古新町は昭和9年(1934)に成立した町、町名を冠することから神社の創建もやはりこの時期なのか。

境内は左に手水舎、正面に提灯櫓がありその先が覆屋。

清水と刻まれた手水鉢も角が綺麗に残り新しいものと見られます。
境内には空襲で被災した爪痕も見当たりません。

覆屋の下には神明造の三社相殿の社が祀られ、棟には10本の鰹木が乗り、千木までよく確認できなかった。
三つの扉を見ると、勝手な推測になりますが、熱田神宮秋葉神社津島神社を祀る屋根神さまの雰囲気も漂います。
祭神は果たしてどなたなのか、定かではありませんが参拝させて頂きました。

覆屋から境内から社頭の眺め、すぐ東に百曲街道、その先に交通量の多い江川線が走るこの辺り。
行き交う車も少なく、時折新幹線が通過するものの、以外に静かな街並みが続いています。
さて次は、今回の最終目的地六番町方向に向かいます。

古新神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
境内社 / 不明
祭礼日 / 不明
所在地 / 名古屋市熱田区古新町2-49
参拝日 /2024/05/09
徒歩ルート / 八劔社から東へ、国道1号線沿いに昭和橋を越え八劔公園まで​​​​徒歩12分程度​​​​​​​
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