中川区玉船町 『金山神社』

素盞鳴神社から次の目的地「金山神社」へは中川運河沿いに北へ​徒歩15分程の移動時間になります。

歩き出して5分くらいで小碓橋に至ります。
写真は小碓橋から西方向の小碓運河と南郊公園西園の眺め。
左手の高架は旧国鉄が建設し未完のままで終わった南方貨物線の高架橋で、右手の小碓運河は東の南郊運河と共に中川運河の横堀として水運の目的で作られました。
時代とともに水運は衰退し、鉄道や自動車へ変わり、横堀の役割を終え、一部の堀の埋め立てがはじまり、埋立地の一部は南郊公園西園、東園として緑地に生まれ変わり、現在は小碓橋の西100㍍と中川運河対岸の玉川橋から東の約200㍍が横堀の名残を留めています。

小碓橋の西を眺めると、時代の流れとともに姿を変えた二つのモニュメントが並んで残っています。

上の地図は左が大正、右はほゞ現在の地図。
今回取り上げる金山神社は赤枠の部分に鎮座しています。
金山神社と聞くと熱田区金山町の金山神社が思い浮かびますが、こちらの神社は中川区玉船町に鎮座します。
大正当時の地図では周囲に住居はなく、鳥居も記されていません。
中川運河の起工は大正15年なので地図にはその姿はなく、笈瀬川と下流の中川しかありません。

金山神社中川運河右岸沿いに町工場が連なる中川区玉船町の工場群の中に鎮座しています。
写真は小碓橋から北へ約200㍍程先の玉船町交差点。
Gマップのマーカーではこの道沿いにあるように見えますが、通りの一本西に社頭があります。
神社へはこの交差点を左に進み、一つ目の交差点を右折直進すると右側に見えてきます。
私はマーカーを信じてここを直進し、社頭が見当たらず、この先で左折し神社に向かいました。

社頭のある通りから南眺め。
鳥居を探すも見当たりません、左側の植え込みをよく見れば、下に玉垣があるのを見付け向かってみました。

社地側面の全景。
左に社が祀られ、電柱の奥に鳥居の姿があります、ここが金山神社のようです。
社標や参道は・・・・どうやって入るのか?、ひょっとして企業社なのか?

電柱右にひと一人がやつと通れる隙間があり、意を決して入らせて頂きました。
すぐに突き当たるので、そこで左向けー左。

どうやらここが正参道。
鳥居に向かって右に金山神社の社標と小さな社務所がありました。

目の前に石の神明鳥居とその先の境内に社殿が見えます。
本殿の右には境内社の姿もあります。

鳥居の左に手水鉢、かつては井戸から手水を張っていたようです。

社殿方向の眺め。
南・北・東を工場に挟まれ、左の車道に沿う様に南北に細長い社地です。
手入れの行き届いた松をくぐると、木造神明鳥居があり、その先に本殿と境内社が鎮座します。

境内に由緒書きは見当たらず創建や由緒の詳細は全く不明です。
愛知県神社庁を当たってみましたが、中川区75社の中には含まれていなかった。

社名からすると金山毘古神が祀られていると思われ、右の社は社名札もなく金山姫命を祀っているのかもしれません。
手前の常夜灯は木造で、石造と比較すると手間がかかりますが、傷みもなく綺麗に維持されています。

本殿右の境内社
鰹木は6本で内削ぎの千木が施された社殿、俗説から見れば女神が祀られている事になるが、本殿の鰹木、千木も同じ仕様なので、これはなんとも言えない。
この一帯は金属、機械部品工場が多いので、鉱山や鍛冶の神、金山毘古神が祀られていても不思議ではない、これは個人の妄想であり何の根拠もありませんが。

境内から社頭の眺め。
参拝を済ませ、境内寄進物の寄進年を見て回りましたが、これも見当たらず、創建時期は明治や江戸時代まで遡ることはないかもしれません。
社名以外なにも分からないままとなりました。

金山神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
境内社 / 不明
祭礼日 / 不明
所在地 / 名古屋市中川区玉船町2
参拝日 /2024/05/09
徒歩ルート / 素盞鳴神社から中川運河沿いに北へ​徒歩15分程​​​​
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