前回掲載した中郷の雨宮神社から県道を越えて西に5分も歩いた中川区打中に打中 神明社の社頭に至ります
打中 神明社社頭全景
狭い間口ですが、鳥居の先から境内は広がりを見せます
社頭左に平成25年(2013)寄進された「村社 神明社」の社号標があります
上は大正9年(1920)頃の周辺地図
打出集落と中郷集落を結ぶ道路沿いの打出集落入口に鳥居の印があり、明治24年(1841)の地図にも印が現れ、創建は江戸時代に遡っていきそうです
上は寛政期(1789~1801)の尾張藩が藩領各村に作らせた愛知郡村邑全図の打出村
集落北側の赤枠部分に神明社の名が見えます
併せて地史にも目を通してみると
尾張志(1844)の記述は「神明社 打出村にあり」とある
尾張徇行記(1822)「中郷村祠官高羽但馬守書上帳ニ 神明社内三畝御除地 此社草創ハ知レス 再建慶長三戌年也」とあり再建年度が記されていました
愛知県神社庁からも確認しましたが祭礼日、氏子域の言及に留まっていました
参道を進むと、ここにも「村社 神明社」の社号標の他に常夜灯、石の神明鳥居がある
社号標は昭和2年(1927)に寄進されたものですが、標柱の中ほどからポキッと折れた痕跡が残ります
背の高い社号標とはいえ、石を真っ二つにしたものはなんだろう
昭和2年以降、社号標にこれだけの爪痕を残した自然災害で思いつくのは、昭和19年(1944)の昭和東南海地震と昭和34年の伊勢湾台風くらい
遠目からでは痕跡は分かりませんが、この辺りに来るとなんでこうなったと勘繰りたくなる
自然災害が招いたものならば、この割れ目は立派な災害遺構でもある
鳥居から拝殿に続く参道沿いには桜の木が植えられており、時期がくれば参道は桜の花で艶やかに彩られるに違いない
拝殿全景
四方吹き抜けで切妻瓦葺の妻入り拝殿
拝殿前に一対の狛犬と石の献灯台がある
狛犬の年代は未確認です
鬼には神明社の文字が入る
神明社拝殿額
読めないから達筆なんていわないが、力強い筆の運びだ
社殿全景
妻入の拝殿から渡廊が覆殿まで結び、境内に境内社は見られません
覆殿は寄棟で大棟の意匠は珍しく茅葺屋根古民家に通じるものがある
祭神は天照皇大神を祀り、中に祀られている本殿の造りは確認できなかったが、恐らく神明造でしょう
創建時期は分かりませんが、慶長3年(1598) 再建の記録から、起源は室町時代にまで遡っていきそうです
境内の杜は自生の樹々は少ない様で、風通しが良く、綺麗に手入れされていました
打中 神明社
創建 / 不明、慶長3年(1598) 再建
祭神 / 天照皇大神
祭典 / 歳旦祭・春祭・例祭・勤労感謝祭・大祓
境内社 / ……
氏子域 / 中川区 打出、打出町、打出本町
例祭日 / 10月第1日曜
参拝日 / 2024/02/14
所在地 / 名古屋市中川区打中1-90
雨宮神社から神明社 / 雨宮神社北側の交差点を西に220㍍ 徒歩5分前後
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