椿神明社(名古屋市中村区則武)

水野神社から駅西商店街方向に徒歩5分強、椿神社前交差点の北角に目的地「椿神明社」が鎮座する。

駅西商店街を西から椿神社前交差点方向の眺め。
昼飲みが出来るいい環境で、そけだけではなく、大正時代には中村遊廓があり、当時のこの辺りは怪しい雰囲気の一帯で、今もその名残を感じさせるところもある。
一方でリニア建設に伴い、街は新たに変わりつつある。

上はこれまで廻ってきた神社を落とした地図ですが、明治31年当時の鷹場村集落南端にあたり、鎮座地は赤枠部分で南は笈瀬村になります。
かつて当地が伊勢神宮神領であったころ、この地には「御伊勢川」と呼ばれた川が流れ、時代と共に表記が変り現在の笈瀬川に落ち着いたようです。


椿神明社では例祭に甘酒祭が行われているようですが、その縁起に笈瀬川と不思議な伝承と興味深いことが記載されていました。
「甘酒祭の起因。
往古(年代不詳)椿ノ森社(神明社) 境内の沢に藤の大樹あり。
年毎に見事なる花を開き、社への参詣者をしてその讃美の声は高く、次第に附近に拡まり、近郷より見物の人、いと沢に集り、為に附近の畑を踏み荒したり。
依つて土地の人相謀りて、之を切倒したり。
然るにその年この村一帯に悪疫蔓延し、村中の人々殆んど思い悩みたり。
村人の一人、智者に占いたるに「これは伐樹の祟りなり、家毎に酒を醸して神に献ずべし」と。
然るに醸酒は難き業なれば、代りに甘酒を作り、笈瀬川(往古この地は伊勢神宮神領なるによりて、伊勢方と言い、神領地に在る川を御伊勢川と言へり、現在の笈瀬川之なり)の清き流水にて溶き、外宮椿社と内宮郷神明社の二社(往古は伊勢大神宮より内、外二宮を奉斎し、内宮は現在の元郷社神明社にして、 外宮は元村社神明社(椿社)に当る)に献ぜしめ、そのおさがりを病人に与へたるところ、その御神恵つとに現はれ、忽ちにして疫病は癒え人々安心せり。
爾来牧野の村人は年毎に笈瀬川の清き流れの水を汲みて甘酒を醸し溶き、これを九月十五日試楽祭(前夜祭)の未明に上・下二社(神明社、椿社)を始め牧野村に銀座せる他の社にも奉献し、御神恩を謝し、氏子の幸と安全を祈りたるが今日に伝る甘酒祭の起因なり。
往古は旧暦により九月十五日に執り行いたるが、明治四十年十月より陽暦により十月十五日に改められたり。」
 
この時代笈瀬川を五十鈴川に見立て、近隣に鎮座する五社(椿神明社厳島社、天王社、稲穂社、牧野神明社)の中で椿神明社伊勢神宮外宮、牧野神明社内宮に見立て身近に感じたかったのだろう。
尾張志(1844)に「此オイセといふ文字を近世老瀬とも負瀬とも書するものあれど、是はもと伊勢川といふ名は御といふ尊称をそへたるなれば御伊勢とかくべき也、このあたりは往古に伊勢大神宮の神領にて一楊の御厨といへる此処を伊勢方といひける事あり、其神領地にある川ゆえ伊勢川といへる也、伊勢山をオイセ山といふ同例なり」とある。
笈瀬川には子供好きの河童伝説も伝わり、その川も都市化に伴い、川は蓋がされ暗渠になり河童の痕跡は微塵もなく、笈瀬本通り付近を歩いていると河童のモニュメントが置かれていることくらいだろうか。
なぜ河童が置かれているのか気にも留めずスルーしてきたがここに繋がるようだ。

意外にも尾張名所図会に椿の森河童の怪として挿絵が描かれていました。
昔、ひとりの老士が巾下の西に住んでいた。
宝暦6(1756)年7月3日、曙の景色を見ようとして押切田面を歩いていると、小児が一人あとを付けてきた。
これが「河童」であり、強い力で老士の肩に力をかけて引き倒そうとした。
老子は勇強な男であったのでこれを捕え、睨みつけると河童は笈瀬川へ飛び込んで逃げていったという。

お天道さんが見えているのであちらが東なのは想像できるが、朝ぼらけの近いこの場所がどこなのか想像もつかない、後方の森の中に描かれている鳥居がどこなのか気になる、ツインタワーでも書かれていればともかく。

現在リニア建設に伴い、名駅周辺のあちらこちらで関連工事が進められ、それにより環境は整備されていきます。
椿神明社も社地北側が工事対象となり、社地が減らされ、それに伴い社殿も南に移動されています。
古くは椿の森と呼ばれた時期もあったようですが、工事に伴い境内の杜が間引かれ、明るくスッキリとした街中の神社に生まれ変わったようです。

社頭全景、右手に「村社 神明社」と刻まれた社号標(1934)と提灯櫓の先に神明鳥居があり、右手歩道側にも鳥居と社号標を持った脇参道があります。

薄暗かった境内も陽光降り注ぐ明るい境内に生まれ変わっています。

神明鳥居(1924)をくぐった境内左の由緒、これが読み取れなかった。
祭神 豊宇気比売神
例祭 10月16日
甘酒祭 10月15日
月次祭 毎月1日、15日
確実に読めるのはここまで、この先は甘酒祭のものと同様と思われます。
創建等は分からない。

鳥居をくぐった先の境内、正面の拝殿に続く参道には二対の狛犬が安置されています。
燈籠寄進年は昭和8年(1933)のもの。

燈籠手前の狛犬(1939寄進)

拝殿正面全景。
梁間桁行ともに三間の切妻瓦葺の四方吹き抜けの妻入り拝殿。

拝殿前を守護する狛犬、寄進年未確認。

由緒が読み取れずなんともならないが、椿神明社の鎮座地が伊勢神宮神領であった事から、伊勢神宮の外宮と見立て豊宇気比売神を祀る神社、リニア建設に伴い社地の縮小・社殿移動・修復が行われている。

鬼には神明社の文字が入る。

境内東側の「村社 神明社」と刻まれた社号標は明治43年(1910)のもので、境内の寄進物の中では最も古い寄進物。

幣殿と神明造の本殿(外削ぎ鰹木5本)。
真新しい石垣と玉垣に囲まれたこの神明社、拝殿前からフェンスが建てられ、それ以上先には行けなくなっています。
繁華街に鎮座する境内では猫の姿を見かけますが、こうしたフェンスが猫除けか、大虎と化した人の侵入除けなんだろうか。

ひと昔前、駅裏と聞くとあまりいい印象は持っていなかったが、リニア開業を契機に駅裏は生まれ変わろうとしています。

椿神明社
創建 / 不明
祭神 / 豊宇気比売神
境内社 / ・・・
所在地 / 名古屋市中村区則武2-4-10 
参拝日 / 2024/01/09
水野神社から椿神明社 / 南東へ​​徒歩5分弱 
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