『東市場 神明社』

岩倉市東町東市場「神明社

前回掲載した本町の「​桜稲荷(福寿稲荷大明神)」から東に向かい、昭和橋から五条川を越え、徒歩5分程の東町交差点角に神明社は鎮座します。

東町交差点と社頭。
右の建物は東町会館、玉垣に囲まれた社地は南北に長く、東西に大きな樹々が聳える杜を持つ。
ほゞ南向きに社頭を構え、神明鳥居と三つの社標が立っています。

上は明治24年とほぼ現在の岩倉周辺地図。
現在は住居も多くなり、田畑の姿は少なくなりましたが、明治頃は集落を取り囲む様に田畑が取り囲んでいます。
当時岩倉村の集落を縦断する様に岩倉街道(柳街道)が伸びており、往古は街道沿いに市が立ち賑わい、今も往時を忍ばせる町名や街道の面影が残る古い町。
明治の地図を見ると東市場の東外れに神明社の鳥居が見えます。

上は境内の由緒書き。
神明社

鎮座地 岩倉市東町東市場屋敷九十七番地
祭神 大口霊命「天照皇大神
由緒 創建は明らかでない。
慶長十九年(一六一四)再建の棟札が残る。
明治五年五月村社に列格す。
同二十四年十月濃美地震により社殿倒壊、同二十七年一月修復する。
大正十一年十二月 幣帛供進指定を受けた。
昭和八年十二月 本殿幣殿の造営が行われた。
昭和三十四年九月 伊勢湾台風の罹災以後も修繕され土地改良工事の竣工により現今の社となる。
例祭日 十月十五日(現在は体育の日に斎行)
境内地 二四三〇平米(七三五坪)
社格  旧指定村社 愛知県神社庁等級社
末社 津島社(須佐之男命)、白山社(菊理媛命)、浅間社(木之花咲那姫命)

 
神明社再建四百年記念事業
右の由緒書きにあるように、2014年は、四百年の節目年となり、嘉永七年一二月に再々建された拝殿も、濃尾地震伊勢湾台風で甚大な被害を蒙り老朽化し、参拝に危機的な状態となった。
氏子の貴重な浄財により、神明造りに改築し渡殿を新設、灯籠の耐震化を図り再配置して境内を神明造りに統一した。
ここに「平成の大改修」を記録する。
2014年(平成26年)10月吉日 神明社拝殿等建設委員会』

神明社の創建は不明ですが、由緒の江戸時代初期に再建とあることから、創建は安土桃山時代に遡るのかもしれません。
尾張志など目を通すも、岩倉にある神明社の記載の中で、慶長十九年(1614)再建のワードで合致するものは見られなかった。
また一部に、神明太一社との関りありと云われますが、尾張志(1752)に目を通すも神明社に繋がる記述に巡り合えなかった。
由緒は慶長から明治に飛んでいますが、これだけでもありがたいものです。
また目を通して何か分かれば追記するとして、境内に進もう。

東町交差点の角に鎮座する神社全景。

正面全景。
左右に社標(大正6年大正7年寄進)、右手に「村社 神明社」の社号標。

常夜灯は明治22年(1889)寄進のもの。

参道から境内の眺め。
石の神明鳥居の先には蕃塀がある。
外から見ると鬱蒼としている様に見えた杜ですが、こうしてみる境内は明るく、綺麗に手入れされ心地よい。

参道左の手水舎。

清水は張られていなかったが、黒光りした主の姿がある。
周囲の網は………悲しい現実だろうか、発展途上国を通り越し、後進国にまで堕ちてしまった現れなのかもしれない。

石造蕃塀。
こちらの寄進も大正時代のもので左は社務所
拝殿の左右に境内社の姿がある。

神明造の拝殿は6本鰹木と内削ぎの千木が付く。
拝殿前には一対の狛犬が守護しています。

狛犬、こちらの寄進も大正6年(1917)の寄進。
参拝させてもらうよ。

拝殿から渡殿、幣殿方向の眺め。
2014年に手が入っている事もあり内部の木肌も綺麗、階段の前をよく見れば、黒い小さな狛犬が安置されています。

拝殿右の境内社
右が浅間社、白山社。

渡殿から幣殿。
幣殿は8本の鰹木と内削ぎの千木が付く。

壁に囲われ本殿域は見通せないが、本殿の他に社はなさそうです。
「神明造りに改築」とあり、以前の造りが何だったのか興味が湧く。

拝殿左の境内社は津島社。
手はかかるかもしれないけれど、木造社殿は温もりがあり、街並みにも馴染んでいいものです。

参拝を終え、拝殿から社頭を眺める。
正面に車道が横切り車の往来がありますが、番塀の効果で忙しない現実の世界から切り離された感がします。

改修以前までは瓦葺だったようです。
多くの氏子に支えられ、東市場の氏神さまはこの地の変貌を見続けることだろう。

東市場 神明社
創建 / 不明(再建 慶長十九年(1614)
祭神 / 天照皇大神
境内社 /  津島社、白山社、浅間社
所在地 / 岩倉市東町東市場屋敷316
参拝日 / 2023/05/27
​桜稲荷から東市場 神明社 / ​東に向かい昭和橋から五条川を越え徒歩5分程
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