名古屋市中村区名駅南1 「白龍神社」

名駅付近の神社巡り。
六社目は名古屋駅の南にある笹島交差点から広小路通りを東に向かい、柳橋交差点で右に向かい、そこから約200㍍程南下した江川線沿いに今回掲載する白龍神社は社頭を構えます。

所在地は名古屋市中村区名駅南1。

前回掲載した津島神社からだと、錦通りの西郷町交差点で左に進み、江川線を南下すること約10分程で社頭に至ります。

龍神社社頭全景。
目の前を江川線、その上を名古屋高速が南北に伸びている。
江川線を走っていると、道路脇のこの社頭はとても目に付くけれど、駐車場を探すのが面倒でこれまでスルーしてきたが、ようやく訪れる機会に恵まれた。
西向きに鳥居が立ち、南向きに社殿が建てられています。
いかにも街中に建つ神社らしく、社殿も境内も綺麗に手入れされている。

ビルが林立する街中にあって、御神木のイチョウの巨木が天を突く様に聳えているのが印象的。

龍神社は「名古屋市史跡策路 名古屋駅前散策コース」のひとつになっており、訪れる参拝客は多い。
このコースの解説で白龍神社については以下のように解説されています。
「白龍さまの名で知られるこの神社は、昔は柳橋交差点近くにあり、前を江川の清流が南北に流れていました。
その傍にイチョウの木があり、いつかこの木に白龍が乗り移り、数々の霊験を現すようになりました。
昭和の初め、この木を切ろうとしたところ、病人や怪我人が続出し、伐採は取りやめられました。
昭和34年、東側の現地に無事移植されました。
商売繁盛に特に御利益があるといわれます。」
とあります。

現在の江川線はひと昔前は、名の如く南北に江川が流れ、東の堀川と二つの川に挟まれ、江戸時代は広井村の一部で、堀川沿いの周辺には米や魚を収める蔵や倉庫(納屋)が立ち並び、納屋裏(菜矢鵜)町とも呼ばれたようです。
当時、この付近は納屋町の裏にあたったことから、納屋裏(菜矢鵜)町と呼ばれていたようです。
明治11年(1878)に名古屋区内屋敷町と地名を変え、更に昭和56年(1981)に内屋敷町は中村区名駅南一に編入され、その地の生い立ちを伝える町名は消滅しました。

龍神社鳥居扁額。

境内から社頭の光景。
江川線とその上を走る名古屋高速
鳥居は昭和37年(1962)に寄進されたもの。

境内右手の手水舎。

手水鉢の龍口は立派な角と髭を持つもの。

鉢の前に神紋が刻まれています。

龍神社の由緒についてHPでは以下のように書かれています。
「御祭神:白龍大神(はくりゅうおおかみ)下記二柱の総称
高龗神、須佐之男
当神社は現在、名古屋市中村区名駅南(旧町名 内屋敷町)に鎮座。
社伝によると、慶長八年(西暦1603年)この地域は、古くは国広井郷と呼ばれ、南北に流れる清流の江川がありました(現在は地下流)。
その川に架かる橋(柳橋)の辺りの村に熱病が流行した際、「此の美しき良き所に大神をお祀りすれば、萬民の苦疫を救い、幸をたれ給う。」とのご神示が下りました。
ご神示に従い、江川の傍にある柳の木の下に祠を建て、人々が崇め拝むようになります。
その後、当時近くそびえる、いちょうの木へ大神様が移られ、引き続き御神木として、人々の崇敬が広まり、更なる大神様の御神徳が現わされ、いつの頃からか、二柱お神を総して「白龍様」「白龍さん」と親しまれるようになりました。 
境内にはご本殿の他に末社が二社あり、芸事や商いの神様、健康や知恵の神様として崇敬されています。
先の大戦時には、空襲に幾度か合いましたが、神社と御神木は戦災を逃れました。
戦後、都市計画が施行され、社を約八十米ほど南(現在地)に、御神木を昭和三十三年に移植、御本殿を昭和三十七年に造営、御遷座し現在に至ります。」

江戸時代の資料から絵図や白龍神社の記述を探して見たが、ここを指し示すものは見当たらなかった。
ただ堀川下流の日置橋周辺の挿絵があり、堀川を行き交う舟や両岸の光景が描かれ当時の賑わいを感じさせる。

社殿全景。
柳橋交差点付近から昭和37年(1962)に現在地に移築の際に造営されたこともあり、社殿の外観は傷みもなく街中に鎮座するに相応しい姿をしています。
社殿は入母屋妻入りで唐破風向拝を持つ拝殿と後方の幣殿・本殿と一体になっており、鳥居の正面が社務所
拝殿左に駐車場はありますが、神社の駐車場ではありません。
拝殿右には当神社の象徴ともいえる大銀杏がコンクリートの杜の中に聳えています。

唐破風蟇股に描かれている龍の透彫り。

参拝を済ませ、拝殿内を眺める、左右の額に龍の絵も収められている。
神紋の呼称は分からないが、白の周囲を取巻くものが龍か蛇のように見えてくる。
祭神は須佐之男命と高龗神。
龗神とは、水を司る龍神を指し、山上に宿る高龗と谷筋や鬱蒼とした谷に宿るのが闇龗。

拝殿右の御神木の大銀杏。
こうした樹齢も分からぬ大樹には神が宿るとされ、昔から注連縄を張り小さな社を設けるなどして自然への畏敬の念を払ってきた。
子供の頃には一家に一匹は蛇がいたもので、守り神として粗雑に扱えない存在で、庭に聳える大木も白蛇が宿るとして大切にされ、抜け殻は金運が上がるとして財布に忍ばせるように盛んに教えられた。
この大木にも白蛇なのか龍なのか分からないが、なにかしらの精霊が宿る?
そんな気にさせる堂々とした姿を見せている。

その下に小さな祠とその脇に手水鉢が置かれ、ここにも龍がいます。

三本の鋭い爪で宝珠をがっしり鷲掴みにしています。

由緒にある、二社の末社

その奥にもう一つの末社龍神社。

鳥居扁額。
本殿は撮影禁止、鳥居の柱には左に上り龍、右に下り龍が彫り込まれています。

本殿前に蛇が彫られた重軽石が二つ安置されており、上の重軽石だけは願をかけ持たせてもらいました。
下は石と分かっていてもリアルすぎて持つ気にならず見送らせてもらいました。
ビルの杜の中に聳える大銀杏、龍と蛇が宿っていたとしても不思議ではないかもしれない。

龍神
創建 / 慶長八年(1603)
祭神 / 須佐之男命と高龗神
境内社 / 拝殿右に白龍神社、不明社
所在地 / 名古屋市中村区名駅南1-8-14
参拝日 / 2023/04/27
津島神社から徒歩移動 / ​江川線を南下徒歩約10分
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