広島県廿日市市宮島「荒胡子神社」

厳島神社摂社三翁神社を後に、社頭から左方向に進むとその先で道が二手に分かれます。
左手に進んだすぐ右に今回掲載する厳島神社摂社の「荒胡子神社」が鎮座します。

上は荒胡子神社の左にある御文庫、後方に千畳閣と五重塔が聳えています。
四方を白漆喰で塗られた入母屋瓦葺の土蔵造りで、寛政年間(1789~1801)に光明院の僧侶「学心」の発起から建立されたもの。

現在は厳島神社の附属建物ですが、神仏分離以前までは光明院に附属しており、内部の所蔵品は不明です。
青い空を背景に、御文庫の白と塔の赤のコントラストが印象に残ります。

上は天保13年(1842)に纏められた厳島図会の挿絵に御文庫(中央)と右に金剛院が描かれています。
絵図によれば、この金剛院は大願寺の子院にあたり、荒胡子神社は金剛院の鎮守として祀られていました。
神仏分離にともない寺は破却となり、鎮守として祀られていた荒胡子神社は、明治5年(1872)に三翁神社に合祀され、明治15年(1882)こちらに祀られたようです。
絵図から社の姿は見て取れませんが、社は金剛院伽藍の荒夷堂に祀られていたようです。
絵図では境内に明神鳥居の姿が描かれています。

胡子神社社頭。
社地を取り囲んでいた小さな堀には蓋が被されましたが、小さな神橋は当時と変わらないようです。
現在の鳥居は石造の両部鳥居となっており、参道に狛犬の姿は見られません。
境内の建物は正面の拝殿と、玉垣で囲われた本殿域とシンプルなもの。

鳥居の額は「荒胡子神社
拡大すると左右に文字が刻まれているように見えますが、そう見えるだけか…

境内の由緒。
「荒胡子神社
御祭神 素戔嗚尊事代主神
例祭日 11月20日
御鎮座の年月不詳
現在の本殿は嘉吉元年(1441)に造営されたもの。」
「現在の」とあり、創建は金剛院の沿革を見て行く必要があります。

後方の巨木、まぢまぢと見なかったので種類は分かりませんが、こうして見る幹と根の張り方は立派なものがある。

参道脇の手水鉢、年代は確認していません。

拝殿全景。
切妻瓦葺で四方の壁の上半分は吹き抜けになっています。
境内に二対ある燈籠の一対には享保8年(1723)寄進と刻まれていました。

社殿全景。
後方の本殿は国の重要文化財に指定されてます。

広島縣神社には「創建年代は詳らかでないが、仁安3年(1168)の伊都岐島社神主佐伯景弘解に「祓殿間同小社一宇、号江比須」とあり、これがこの神社の前身と思われるので、創建は平安時代に遡るものと考えられる。
明治5年の改革の際、三翁神社に合併されたが、同15年もとに帰し厳島神社末社に列せられる。
現在の本殿は、嘉吉元年(1441)に再建されたものであって、重要文化財に指定されている。」

本殿全景。
檜皮葺きの一間社流造で棟に外削ぎの置き千木と鰹木2本が施されています。
狛犬の姿は本殿域でも見る事はありません。

拝殿右から見る本殿。
城壁のような後方の石垣の上には、宮島を見下ろす様に千畳閣(大経堂)と五重塔が聳えています。
上は参拝者の人影は多いものの、荒胡子神社を訪れるものは…鹿が多かった。

胡子神社
創建 / 不明
祭神 / 素戔嗚尊事代主神
例祭 / 11月20日
所在地 / 広島県廿日市市宮島町
参拝日 / 2023/03/03
三翁神社から荒胡子神社 / ​徒歩2~3分
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