岩倉市本町「福寿稲荷大明神・宝生寺」

岩倉市本町畑中鎮座「福寿稲荷大明神」・「信貴山宝生寺」

左は明治の岩倉村と現在の岩倉市岩倉駅周辺の地図。
赤で示したのは岩倉街道で、往古より城と城を結ぶ道として存在していたようですが、街道として整備されたのは寛文8年(1667)とされ、尾張北部の野菜などを枇杷島の市場に運搬する主要ルートで、この岩倉は六斎市が開かれるなど賑わっていた。
街道沿いには城址や当時から続く寺社が点在しています。

五条川
桜の名所として知られ、桜の時期になると川沿いには桟敷や屋台が連なり賑わいますが、コロナによる自粛もあり、地元からすれば歩きながらゆっくり桜を愛でられたようです。

今回掲載する福寿稲荷大明神信貴山宝生寺は五条川と岩倉街道の間に鎮座します。
福寿稲荷大明神は県道157号線沿いに東向きに社頭を構え、広い参拝者駐車場が用意されています。
以前から県道を走るたびに、赤い幟のはためく社頭が気になっていましたが、機会があり訪れました。

改めて訪れてみると、以前はもう少し鄙びた印象でしたが、近年補修が進んだようで、鮮やかな朱の鳥居が建ち、以前に比べ明るい印象を感じます。
境内は左に小さな社務所?と中央に朱も鮮やかな鳥居と社殿、右にも本殿に奉納鳥居が連なっています。

鳥居の額は「桜稲荷」とある、……社名が変ったような。(以下から桜稲荷と呼称します)
そういえば社頭の幟も以前は赤と白の二種類が立てられていたように思います。
狐につままれているのだろうか、Gマップで過去の写真を見ると「福寿稲荷大明神」とあり、白い幟の「天光稲荷大明神」と朱の「福寿稲荷大明神」の幟が立つ写真が乗せられ、過去の記憶が正しかった事を裏付けていた。
地史など目を通しても「福寿稲荷大明神」や「桜稲荷」の由緒の記述は見られず、webにもその内容を知る手掛かりも見つけられなかった。
この西隣に真言宗のお寺宝生寺があり、そこから手掛かりは得られないものか、尾張殉行記等に目を通して見たが、宝生寺の記述も見付られなかった。
「福寿稲荷大明神」「信貴山宝生寺」、創建も由緒もわからずじまいです。
いつまでもここに固執すると進めなくなるので先に進みます。

「桜稲荷」の鳥居から本殿を眺める。
一対の狛狐が守護する本殿は神明造で6本の鰹木と千木が付くもの。
賽銭を入れ、気になっていた稲荷社に参拝。
次は右の稲荷を参拝。

こちらもやたらと鳥居が綺麗になっている。
鳥居に額はなく、以前の「天光稲荷大明神」に参拝。

本殿の朱色もやたらと綺麗。
本殿前を小さな狛狐達が守護し、手前に重軽石?

境内全景、後方の入母屋瓦葺の建物が宝生寺の本殿。
桜稲荷の覆屋はこの本堂と繋がっているように見えます、宝生寺を訪ねてみました。

宝生寺門前全景。
新溝神社に続く通りを進むと、南向きに二つの祠と左に「開運毘沙門天王」、右に「信貴山宝生寺」寺号標の建つ門前へ。
「開運毘沙門天王」の石標は大正14年(1925)と刻まれています。

右の祠には馬頭観音(年代不明)が安置されています。

左は三体の石像を安置する地蔵堂のようで、左の一体は弘法大師か?、何れも年代は不明。

参道は右に庫裏、正面が本堂。
開運毘沙門天王。
各地に七福神巡りはありますが、こちらの「元祖尾張七福神巡り」は江南から岩倉に鎮座する七寺を巡るもので大正7年(1918)に開創されたもの。
その七寺は長幡寺(恵比寿)、道音寺(寿老人)、宝蔵院(布袋尊)、久昌寺(弁財天)、稲原寺(福禄寿)、徳岩院(大黒天)とここ室生寺毘沙門天

参道左に手水鉢があり、後方に水子地蔵が安置されています。

本堂正面全景。
本堂正面には桜稲荷側から見えなかった一間の向拝が付いています。
下は本堂に掲げられている額は「寶山福」と読むのかな。
本尊は毘沙門天をお祀りするようです。

本殿左の覆屋には祠と石像が一体安置されていた。

祠には「岩倉不動尊」とあり、左の石像は年季を感じさせる「不動明王」を安置します。

宝生寺境内で確認できた創建につながる年代は石標の大正14年(1925)。
過去の地図から明治まで遡っても寺の印は見つからず、地史に名が出てこない事、明治時代の岩倉村北外れで、新溝神社の東にするこの辺りに集落は見られない事から、大正時代に創建されたものかもしれない。

福寿稲荷大明神(桜稲荷)
創建・祭神 / 不明

信貴山宝生寺

宗派 / 真言宗
創建 / 不明
本尊 / 毘沙門天
所在地 / 岩倉市本町畑中9-3
公共交通機関アクセス / 名鉄犬山線「岩倉」下車、​北へ徒歩20分弱
参拝日 / 2023/05/27
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