中村区松原町に鎮座する松原 八幡社から東を走る名古屋環状線則武本通2の交差点まで約5分強、今回の目的地中村区則武1の中島 八幡宮はこの交差点の北東角に鎮座します。

則武本通2交差点から名駅方向の眺め、随分とビル群も近づいてきた感がある。

中島 八幡社の鎮座地を地図に示すとこんな感じ、鷹場村大字則武集落のやや東寄りに鎮座し、当地は則武集落が形成される以前の中島村集落にあたります。
明治の時期だけを捉えれば則武には、西から大秋 八幡社、松原 八幡社、ここ中島 八幡社の三つの八幡社が徒歩10分圏内に鎮座していることが分かります。

則武本通2交差点から左を眺めると中島 八幡社の鳥居と社殿が見えています。
道路沿いに南北に細長い社地で南側に社頭を構えています。

社頭正面の眺め。
石の明神鳥居の右に大正3年(1914)寄進の「村社 八幡社」社号標。
鳥居正面にはここでも定番の木造番塀を構えています。

木造蕃塀。
切妻銅葺屋根の三間で、各間は連子窓と腰板壁が施され、前後の石柱の控え柱が支える。

神宮遥拝所。
鳥居をくぐった左隅に立てられています、境内にはこの他に、社務所左脇に宮城遥拝所も立てられています。
自分にとって曇天時のコンパス的なありがたい存在。


右側には境内社の中島天神社、中島秋葉神社、中島津島神社、八坂龍神社が祀られています。
蕃塀のすぐ裏に色黒の狛犬が参道を守護している。

この黒さは何かを暗示するものか、狛犬が語るはずもなく。

切妻瓦葺の妻入り拝殿は松原 八幡社と似ている。

鬼には橘の紋が見える。


本日三社目の八幡社、参拝させて頂く。

内容は以下。
「由緒
延喜式以前とあります、延喜式の編纂、完成時期は延喜5年(905)~延長5年(927)とされ、宇佐神宮の創建は神亀2年(725)とされることから、事実ならかなりの古社と云う事になります。
八幡社遷座のきっかけとされる名古屋城は、築城から完了が慶長14年(1609)~慶長17年(1612)に完成したとされます。
名古屋城築城以前から鎮座するとなると誰が勧請したものだろう。
今川氏親が那古野城築城に至ったのが大永年間(1521~1528)、由緒の拠り所がどこからなのか、地史にも目を通すも自分ではよく分からなかった。

拝殿の彫飾りには拘った作りになっている。


八坂龍神社の左の覆屋には中島天神社、中島秋葉神社、中島津島神社が祀られています。
左が中島八幡社の幣殿で、手前には小さな狛犬が安置されています。

幣殿前の狛犬(寄進年未確認)。

本殿は一間社流造で外削ぎの千木が付く。

覆屋の中に祀られている中島天神社、中島秋葉神社、中島津島神社。

左から中島天神社。

中央に中島秋葉神社。


八坂龍神社は鳥居から続く参道を左に曲がった先に祀られている。

朱の鳥居が連なる光景は、一見稲荷のように思えるかもしれないが龍神様。

「慶長8年(1603)、境内にあった榎木に龍神が住んでいた、その力は益々顕著となり元禄の末頃に八坂龍神として崇敬されていたという。
榎は嘉永元年(1848)頃に枯れ始め、明治政府の偶像崇拝廃止により参拝者は皆無となり、明治40年大榎木を整理、その後龍神を祀る事はなかった。
昭和25年修験者の霊感により「龍神は住むところを失って悲嘆にくれている」とのお告げから、同年9月に神樹を崇め以前の榎があった社務所に安置した。
昭和27年仮社殿を増築、八坂龍神の御神木を祀る、同30年4月15日、新社殿を造営し新たな社殿にお祀りした」
この地はもともと龍神さまが棲んでいたようで、その後に中島八幡社が遷座してきたようです。

とぐろを巻いた蛇の重軽石。


手前の蝋燭台は昭和5年(1930)、その先の石燈籠は昭和3年(1928)、社号標や狛犬は大正時代と寄進物の年代は比較的新しいものが多かった。
情報が乏しく創建時期や背景は分からないが、遷座以降紛れもなく中島集落の氏神として現在に続く神社である。
中島 八幡社
創建 / 不明(慶長15年当地に遷座)
祭神 / 品陀和気命(応神天皇)
境内社 / 中島天神社、中島秋葉神社、中島津島神社、八坂龍神社
所在地 / 名古屋市中村区則武1-32
参拝日 / 2024/01/09
松原 八幡社から中島 八幡社 / 則武本通り2丁目交差点まで徒歩7分
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