「吹上八幡社」名古屋市千種区

以前掲載した「吹上観音・白龍大神」を後に、「吹上ランプ北」から若宮大通りを横断する。
一回の信号で渡り切れない100㍍道路を渡り切り、そのまま少し入ります。

f:id:owari-nagoya55:20210314151434j:plainこの辺りも当然ながら住宅やビルが建ち並び神社の存在を感じさせる趣ではないけれど、間もなくすると前方に「吹上八幡社」が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20210314151456j:plain若宮大通りから一本北に入っただけですが、周辺の建物が杜のように騒音を遮断し意外に静かな環境にある。随分と忙しない大通りに比べ趣はガラッと変わる。

f:id:owari-nagoya55:20210314151525j:plain上は明治頃の吹上界隈、名古屋新田の開拓により田畑が広がり、そこに点々と集落が点在する。
集落の外れに鎮座していた神社も変貌を遂げ、今や住宅地の中に埋没するように鎮座する。

更に過去に遡るとこの地の少し南側まで海岸線が迫っていた。
この吹上の町名由来が「千種区の町名由来」で以下のように記されていた。
「古矢田川層の上にできた村落で、昔はこの辺りまで入海だったため、真砂が風で吹き上げた所といわれています。風を受けやすい地形に多い地名です」とあった。
それも台地の移り変わりと人の地道な開拓により今や海岸線は臨むべくもない。

f:id:owari-nagoya55:20210314151552j:plain「吹上八幡社」鳥居から境内全景。
石の明神鳥居の右に社号標と石灯篭(大正4)、参道の先に拝殿、右が社務所
周囲の環境を考えると良くぞ社地として維持されてきたものだ。

f:id:owari-nagoya55:20210314151611j:plain鳥居右の「吹上八幡社」由緒書き

『祭神は応神天皇。創建は1858年(安政5)、御器所村字木市に祭祀されていた、1886年(明治19)崇敬者の勧請によりこの地に遷祀。
住民の安全を守る守護神として崇敬が厚く、古来は弓矢の神として武人から崇敬された事から戦時中は召集された兵士たちが武運長久、災厄除けを祈った。御事跡には「田地の改正制定、農機具の改良、考案、商法の制定、堀井用水の開発等があり、家内安全、商売繁盛、健康長寿、授福の神様として信仰されている』

元々は「吹上観音・白龍大神」の南西辺りに鎮座していたようですが、明治のこの時期の当該地には名古屋高等学校が建立されている事から、遷祀にはこの建設構想の影響があったのかも知れない。

f:id:owari-nagoya55:20210314151632j:plain参道から境内の眺め。
参道左に手水舎、拝殿前から左右に分かれ、右の社務所、左の境内社へと続く。
手水鉢に清水を注ぐ龍。
気の毒にその口には配管が繋がれ見るからに辛そうだ、しばらくの辛抱だ。

f:id:owari-nagoya55:20210314151654j:plain味のある燈籠、明治の元号が刻まれている。

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拝殿全景。
瓦葺で切妻、妻入り、四方吹き抜けの拝殿。
手前の狛犬は1919年(大正8)に奉納されたようですが、台座に刻まれた「海上安全」がその昔のこの地を物語っているようだ。

f:id:owari-nagoya55:20210314151803j:plain小ぶりで丸っこい狛犬
鼻の大きさは犬の鼻というより、これは豚を連想させる。

f:id:owari-nagoya55:20210314151827j:plainシンプルな拝殿、鬼瓦には橘の紋が入る。

f:id:owari-nagoya55:20210314151848j:plain拝殿の額は八幡宮
拝殿から幣殿の眺め、祭神は応神天皇
吹上の由来についてこの辺りの伝承に「応神天王の神霊、小舟に乗って漂着し給う。依りて「神、吹上給う里」から吹上という」そうした話もあるようです。
吹上の由来、諸説あるようですが個人的にはこちらの方が夢がある。

f:id:owari-nagoya55:20210314151912j:plain拝殿から本殿方向の全景。
渡廊が拝殿と入母屋造りの幣殿を繋ぐ。

f:id:owari-nagoya55:20210314151936j:plain拝殿左の鳥居の先には境内末社が纏められています。

f:id:owari-nagoya55:20210314152001j:plain中央が皇大神宮、左に秋葉神社、右に津島神社と三社が祀られています。
これらの末社も明治に入りこちらに遷座してきたものらしい。

f:id:owari-nagoya55:20210314152024j:plainここから八幡社の幣殿と流造の本殿が良く眺められます。

f:id:owari-nagoya55:20210314152045j:plain境内社の鳥居は昭和4年刻まれています。
末社から境内の眺め、街中にあるせいだろうか境内で見上げるような樹々は少ない。

f:id:owari-nagoya55:20210314152109j:plain境内左から見た伽藍全景。
杜の密度が低いのが良く見て取れると思います。
周囲の状況では樹々が伸び〃生い茂るには適さない環境、枝が周囲の電線にかかり停電も懸念される。
そうした事もあり、近年境内にあった保存樹のムクノキが伐採されたようです。
その枝は輪切りにされ、疫病退散を祈願し「アマビエ」を描いてお守りにして販売したそうだ。
今は全て完売し、伐採された切株にも「アマビエ」が描かれ今も残っています。
境内末社の西側に「アマビエ」があり、やがて第四の末社になる可能性もあるかも。

「吹上八幡社」
祭神 / 応神天皇
創建 / 1858年(安政5)
境内社 / 皇大神宮秋葉神社津島神社
住所 / 名古屋市千種区千種2-18-14
吹上観音・白龍大神からアクセス / ​北に徒歩5分程
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