稲穂社(名古屋市中村区椿町)

椿神明社から南の太閤1丁目交差点の北西角付近に鎮座する稲穂社まで徒歩​7~10分程。
椿町線を笹島方面へ走行中、ここの信号で捕まった時に一度は目にしたことはある神社。
神社の存在は分かっていても、車で訪れるには不便なところというのが正直な感想。

上は明治31年当時の周辺とほぼ現在の比較。
赤枠の部分が稲穂社の鎮座地付近、椿神明社で記載した牧野村に鎮座する五社(椿神明社厳島社、天王社、稲穂社、牧野神明社)のひとつ。

太閤1丁目交差点北側から交差点の眺め。
右側のビルの谷間に玉垣で囲われた社地があります。
街中の神社の印象は間口の狭いイメージがありますが、稲穂社は駅近にあって道路に面していながら、意外に間口が広い神社だと思います。

交差点北側から社地の眺め。
繁華街に近い事もあるのか、社殿を祀る覆屋は凄いことになっている。
椿神明社のフェンスが気にならなくなるような、獣を飼育する檻のような鉄柵で完全にガードされている。

交差点から北方向に見る社殿。
こうして見ると拝殿や拝所にあたる建物が見当たりません。

こうした地域なので、通りに面した社頭のある東側を除き、社地の三方がコンクリートの壁に囲われてしまうのは致し方ない、むしろ良くぞ残されたものだと思いたくなる。
環境がこんなんなので陽光降り注ぐ明るい境内とは言い難い。

境内入口の光景。
人通りの多い歩道に面していながら、人の立ち入りを阻むかのように鳥居前にも厳重に柵が作られ、拝殿や拝所の施設がないなど、なにか曰くがありそうです。

歩道沿いの由緒に追記としてその理由が書かれていました。

「稲穂社
御祭神 宇迦之御魂神
例祭 毎月2日
初午祭 3月初午日
例大祭 10月16日
秋葉祭 12月16日
大祓祭 12月26日
由緒 文政9年(1826)3月当所に御鎮座あり。
当時この地は牧野出郷と呼ばれ天保2年(1832)十二戸の民家建設せられたると人家の始とす。
爾来当社はこの里の守護神として崇敬篤く、昭和20年3月不幸戦災罹り焼失せしが、昭和26年10月再建を見るに至れり。
昭和40年名古屋駅西都市改造事業に伴い移築御造営、同年10月工事完了。
社頭に三基御神霊鎮座奉る
追記 平成9年10月拝殿消失し現在に至る」

平成9年(1997)10月、常駐神職不在の稲穂社の拝殿は不審火により焼け落ちてしまったようです。
覆屋前の不自然な大きさの土間も焼け落ちた拝殿の基礎部分と思われます。
今のような形態になったのもこの火災が契機になっているのかもしれません。

こうして厳重にガードされた光景は稲穂社だけでなく、繁華街に鎮座する神社では、心傷めるような内容のお願いが記された貼り紙、過剰とも思える対策が施された神社を見かけます。
賽銭・龍口泥棒などの話題を耳にすると、本来なら神社に不要と思える監視カメラ、撮影中の貼り紙など、多様な人が行き交う場所の氏神を受け継ぐ氏子側の苦渋の選択だろう。
格差社会に歯止めはかけられず、何も信用できない貧しい日本を見る様で悲しくなる。
この扉は、こうして開け放たれている時もあれば、閉ざされている場合もあるようです。

見た目に固そうな御影石を綺麗に削り出して作られた年齢不詳の狛犬

稲穂社自体あまり聞き慣れないので、地史の目次に目を通すも見付けられなかった。
稲穂社は中村区「笈瀬川筋散策コース」のひとつのようで、その解説は以下のようなものでした。
天保2年(1831)、当時の牧野村住民の内より12戸がこの地に移住して新たに一集落が造られました。
当社はこの里の守護神として祀られたものです」
とのこと。

由緒から見れば、神社は牧野出郷が形成される以前から鎮座していたことになります。
普通なら集落形成と共に神社が祀られるものと思いますが、耕作地の広がりはこの付近にまで及んでいたのかもしれない。
空襲で被災再建、名古屋駅西都市改造事業でこの地に移転、それら年代の地図で姿を消した神社を探して見たが元の鎮座地の見当はつかなかった。
名古屋駅西都市改造事業について調べて見た、椿町のシンボル椿神明社について言及はあったが、稲穂神社移転について記述まで辿れなかった。

空襲からやっと立ち直り、その後の都市改造事業でこの地に遷座しながら不審火とは。
今の時代恐ろしいのは獣ではなく人なのかもしれない、これでは広く開け放つ気にはなれないものだ。
青田の広がる光景が失せた今、五穀豊穣を司ってきた神社がむしろ良くぞ残ったとさえ思う。

境内左側の手水鉢(年代未確認)、この周辺には焼け落ちた鬼瓦など遺構が見られます。
新聞記事を引用すべく過去記事を検索するも平成九年までは辿り着けず、被害の詳細は分からなかった。

境内左の朱の鳥居は稲穂稲荷社のもの。
はためく奉納幟は今も多くの崇敬者に崇められている証でもある。
横に長い覆屋には稲穂稲荷社の右に稲穂社、稲穂秋葉社が横一列で安置され、稲穂社本殿の正面にあたる場所に土間があり、恐らく消失した拝殿または拝所が建っていたものと思われます。

稲穂稲荷社。
檜皮葺の一間社流造のようにみえ、三本の鰹木と外削ぎの千木が付く社殿。
狐の姿は見られず稲荷の雰囲気を感じられない。

稲穂社。
檜皮葺の神明造のようにみえ、六本の鰹木と内削ぎの千木が付く社殿。

稲穂秋葉社
檜皮葺の一間社流造のようにみえ、三本の鰹木と外削ぎの千木が付く社殿。

社標、石灯籠の寄進年はともに昭和5年(1930)のもの、戦災の被災を免れ、この地に移されたもの。

他にも稲穂社前の黒ずんだ燈籠など、この神社が歩んできた時代を感じさせる寄進物がある。
この辺りの景観はこれからも変わっていくだろう。
長年護られてきたものが何かを引き金にして、忽然と途絶えることがある、これ以上のきっかけは稲穂社に不要だろう。

稲穂社
創建 / 文政9年(1826)
祭神 / 宇迦之御魂神
境内社 / 稲穂稲荷社、稲穂秋葉社
所在地 / 名古屋市中村区椿町18-5
椿神明社から稲穂社 / 太閤1丁目交差点まで​7~10分程
参拝日 / 2024/01/09
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