竹橋町 不明社(名古屋市中村区竹橋町)

稲穂社から太閤通りを西に向け歩く、竹橋町交差点の信号を過ぎてから、次の信号を右折。
増子記念病院の東裏の牧野消防団向かいに目的地の竹橋町の不明社が鎮座します。
移動時間は10分程で、車で訪れてもすぐ隣にコインパーキングがあり駐車場には困らない。

上が竹橋町の不明社鎮座地。
G先生によればスエヒロ増子神社と出てくるが、現地を訪れると、この社名はなんだか怪しそう。

竹橋町は昭和15年(1940)、中村区米野町の一部から同区竹橋町として成立、町名の由来は竹橋と呼ばれる小塚があったことから付けられたと云う、なので「スエヒロ増子」とは結び付かない。
西側に増子記念病院はあるが、これは恐らく初代創設者からきているもので町名ではなさそうです。
スエヒロと呼ばれた時期でもあったのかというとそうでもなさそうだ。

神社隣のお店の名前と病院の名前を混ぜただけの話かい?
社名そのものが怪しくなってきた、事実、中村散策路の中にも紹介されていないし、調べて見てもなにも情報は得られなかった。

・・・神社はこのお店と駐車場の間に4㎡ほどの僅かな社地が与えられ、社頭は西向き、社は南向きに祀られています。

一見すると企業内神社に見え、立ち入っていいものか躊躇する。

社頭正面。
正面の蝋燭台を見る限り、町内安全と記されているところから、町内鎮護ため祀られたものと推測します。
第一印象は社地全体の赤錆、なんでここまで赤錆が出るのだろう。
鉄分の多い地下水が起因しているのか? と思うも井戸水を大量に使っている感じではない。
恐らくボイラーの影響があるのかもしれない、また雨水配管も社地の中に導かれている事からひょっとして企業内神社の可能性もある。

社頭は間口に合わせた縦長の神明鳥居が立てられていて、訪れた時期もあり注連縄と門松が飾られていました。
境内に入ると目の前に町内安全と刻まれた蝋燭台があり、社は左側に祀られています。

境内全景。
社殿は3本の鰹木、外削ぎの置千木が施された銅葺屋根の一間社流造。
制限のある敷地で精一杯高く石を積み上げ基壇が作られ、元々の石段の上に新たに階段が作られている。
注連縄や榊を代えるのも一苦労するだろう。
左手に置かれた手水鉢の寄進年を探そうとも思ったが、タイトな状況なので諦める。

社名すら怪しいが、どなたが祀られているのかもわからない。
向かいにそこそこ敷地に余裕のある消防団詰所があります。
こうした詰所の片隅に天王社や秋葉社を祀る事例はありますが、態々道路を挟んで祀るとは思えないので天王社や秋葉社の可能性は少ないか、稲荷にしても違和感がある。
スエヒロ増子神社の社名の謂れくらい分かるかと思ったが、全くの不明社としておこう。
道行く人に聞くのも手なんだが、意外に通り過ぎる人は少なく、なんだろう、ひと昔前の駅裏の雰囲気漂う通りかもしれない。

竹橋町 不明社
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / 名古屋市中村区竹橋町25-13
参拝日 / 2024/01/09
稲穂社から竹橋町 不明社 / 太閤通りを西に向かい竹橋町交差点を過ぎ、次の信号を右折、牧野消防団向かい、徒歩移動時間​10分程
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