「駅から始まるヒラメキさんぽ」コースから少し逸れて、周辺の神社を参拝して廻ってきました
打中 神明社からコースに復帰して次のチェックポイント医王山 龍瓢寺に向かいました
打中 神明社から龍潭寺へは北に向かい、県道29号線(八熊通)を西進、野田3丁目交差点北側の龍瓢寺まで徒歩15分前後です
上は大正時代の鎮座地周辺、当時は野田と前田・打出集落の中ほどの田圃の中に鎮座しています
このあたりまでくると庄内川堤が背後に迫り、ルートは新前田橋にかけて緩やかな上り坂が続きます
ここまで5㌔強歩きましたが、平坦なコースのなので足への負担はさほどでもなかっただけに、唯一の緩やかな坂はここにきて地味に足にくる
醫王山 龍瓢寺全景
東に山門を構え右側に本堂・庫裏、山門正面が薬師堂になります
室町時代の1455年に創建された曹洞宗寺院で、「大松と仏足石の寺」として親しまれている。境内は「古松般若を談ず」の趣があり、大松の近くの仏足石に触って本堂に合掌すると、願いがかなうといわれている。
「医王山龍潭寺
曹洞宗。
康正元年(1455) 錦溪和尚の創建。
釈迦牟尼仏を本尊とし、右脇に永平道元禅師、左脇に總持螢山禅師像を安置している。
明治年間に、本堂を再建した折、 須弥壇・来迎桂・来迎壁などを少切り縮めて再利用した。
このうち須弥壇は典型的な唐様の優れたものである。
また、木造如来像や菩薩像の一部(仏頭)があり、かなり腐食ているが平安後期の様式を伝えた丈六の大きな像てあったと思われる。
須弥壇と共に市の文化財に指定されている。
往時、七本あったという老松が四本残り、市の保存樹となっている。
「ヒラメキさんぽ」のクイズのヒントはこの中にあるようで、かみさんが解説を見入っていました
その間に境内伽藍を見て廻ってきました
上は尾張志(1844)から龍瓢寺の記述、内容は以下のようなもの
「龍瓢寺
野田村にありて醫王山といふ
海東郡桂村廣済寺の末寺也
康正元年 僧錦溪創建す
立像の釈迦仏を本尊とし 立像の文殊普賢を脇侍とす
薬師堂 秋葉堂鎮守 白山社 開山堂などあり」
「曹洞宗、山号は医王山。
康正元年(1455年)錦溪大和尚が創建した。
市の文化財に指定されている唐様式の須弥壇には、釈迦牟尼仏(本尊)と道元禅師(永平寺開山)・瑩山禅師(総持寺開山)が安置されている。
本堂内の木造如来仏頭等三体は、藤原時代の作で、市の指定文化財である。
稲荷堂には文殊菩薩・普賢菩薩が、薬師堂には日光菩薩・月光菩薩が安置されている。
落ち着いた情緒漂う庭は、古風な禅林のたたずまいをみせており、「古松般若を談ず」の趣きがある。
海部郡七宝町桂字寺附に鎮座する曹洞宗の寺で
天文年中(1532~1555)、清洲城主織田敏定が訪れ、自筆の天桂山廣済寺の額を授けたとされ、その後も織田家代々から寺領を授けられるなど厚遇された古刹のようです
解説に「苔」とあったように、山門を一歩くぐると本堂まで続く参道脇は一面苔
参道左は鐘楼とその先に手水舎
正面の寄棟の堂は間近で確認しておらず、恐らく解説にある薬師堂かと思われ、以降は薬師堂として表記します
鐘楼
手水舎
龍瓢寺の龍はお休みだ
薬師堂
自然石の姿を生かして彫られた仏足石
この石に触れ、本堂に向かって合掌する事で幸せになるという
本堂と庭園の苔
この時期、緑に精彩がないものの、盛期には緑滴る苔庭が楽しめる
本堂は入母屋造で軒先の反りが美しい
本堂の醫王山山号額
本堂左の初音稲荷堂
本堂から鐘楼方向の眺め
江戸時代は立派な老松7本が聳え「七松庵」とも呼ばれたが、現在残るのは4本
何れも綺麗に剪定された見事な立ち姿で、一面の苔と相まって情緒漂う庭です
県道29号線(八熊通)から龍瓢寺伽藍の眺め
見事な老松と苔むした庭園が龍瓢寺の魅力のひとつだろう
龍瓢寺
宗派 / 曹洞宗
山号 / 医王山
創建 / 享徳元年(1455)・錦渓和尚
本尊 / 釈迦牟尼仏
境内社 / 初音稲荷
参拝日 / 2024/02/14
所在地 / 名古屋市中川区野田3-187
打中 神明社から龍潭寺 / 北に向かい県道29号線を西進、野田3丁目交差点の龍瓢寺まで徒歩15分前後
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