『稲荷神社』名古屋市港区辰巳町

熱田区千年2丁目の八幡社から東海通に出て、西の​東海通交差点方向に1.2㌔約20分
港区辰巳町の稲荷神社へ
今日の神社巡りも、昼に大宝二丁目でかみさんと合流予定なので、これが最後の訪問地になりそうです

稲荷神社は東海通の南側の辰巳町30に位置し、小学校や大きなスーパーなどがある住宅地に社頭があります

稲荷神社社頭から境内の眺め
社頭右に「稲荷神社」社標があり、左右に案内板が立てられています

社頭左の祭儀予定、読めそうで読めない

右側の稲荷社解説
 祭神は、倉稲魂神猿田彦命、大宮女命
享和元年(1801)、津金文左衛門胤臣が熱田前新田を干拓し、各地から農民を募り耕作に従事させた
 新田を荒子川以西を西ノ割、中川以東を東ノ割、二つの川の間を中ノ割に区分、各割毎に氏神を祀った
東ノ割の氏神が当社
 秋の例祭(10月第三日曜日)には、現在も辰巳・中ノ組・西ノ組の三台の神楽が町を練り歩く

もともとは現在の東海通り交差点南東角付近に鎮座していました
 平成17年に道路拡張に伴いこの地に移転新築したようです
因みに西ノ割の氏神は善進神明社(港区善進町4)、中ノ割の氏神龍神社(港区本宮町3-2)
 地図を見るとなるほどと頷ける

津金文左衛門は、享保12年(1727)に現在の名古屋市東区平田町に生まれ、寛政3年(1791)熱田奉行兼船奉行となり、新たな土地を開拓することで、当時の藩の財源と農民の生活の糧を得ることができる新田開発に乗り出し、広大な熱田前新田を開拓しました

上は弘化4年(1847)に描かれた熱田前新田の絵図
右側の中川通御留川から右が東ノ割、北側に神明は描かれていますが稲荷としては記されていません
さてさて、新田に割り振られたイからタまでのどこに稲荷神社が位置するものか

鳥居から拝殿の眺め
入母屋妻入りの木造で木の色合いが綺麗な拝殿
手前に常夜灯と陰に隠れていますが一対の狛犬がいます
左の建物は社務所になります

境内右隅に周囲の寄進物と比べ年代が古そうな御宮培?の石標
今こうして改めて見ると、左側面に寄進年が刻まれていたようです
こちらに遷座する以前のものをこちらに持ってきたのかも

境内右の手水舎

二つの手水鉢が置かれ、澄んだ清水を湛えていた
右の手水鉢は盃状穴が見られ、こちらも遷座以前から使われていたものを持ってきたと思われます
盃状穴信仰の起源は古く縄文時代からとも云われ、再生や魔除けを祈願し寄進物に何度も〃石を叩きつけ
結果こうした凹みが出来上がります
時代を越えた多くの人々の願いというか、思いが凹みに込められています
こうした信仰は江戸時代から昭和に入ってからも続いたようです
今のご時世これをやっていると器物損壊になるんだろうなぁ

社殿全景
拝殿後方の渡殿の先は、ひと際高く石垣が積まれた本殿域があり、そこには常夜灯と狛犬の姿があります

こちらは拝殿前の狛犬
やや頭でっかちで肉付きの良い姿、寄進年は見ていません

本殿域
渡殿の両脇に三対の常夜灯と本殿を守護する狛犬が安置されています

随分色白の狛犬、少し陽に当たった方が健康的かも
こちらも寄進年は見ていません

本殿域は狛狐と本殿両脇に二社祀られている

ここまで稲荷感がなかったが、漸く稲荷の実感が湧いてくる

流造の稲荷神社本殿と両脇の社、残念ながら社名札はなかった
祭神は稲荷三座倉稲魂神猿田彦命、大宮女命

流造の本殿
脇障子などには細かな彫が施されています

波限神社の参拝が10:00、4社目の稲荷社参拝を終えた時間が11:40
大宝二丁目で12:00にかみさんと待ち合わせたが残り20分、東海通の西側にも廻りたかったがまたの機会にしよう
東海通りから地下鉄に乗り急ぎ向かう、中華ランチに間に合うか

稲荷神社
創建 / 享和元年(1801)
祭神 / 倉稲魂神猿田彦命、大宮女命
境内社 / 不明社2社
参拝日 / 2024/02/17
所在地 / 名古屋市港区辰巳町30-11
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中国四川料理 錦城本店 日比野
お昼のランチメニュー「ハーフミニセット」

真っ黒な肉味噌と真っ赤なラー油がマッチする担々麺に麻婆豆腐、エビチリとサラダ
これとは別におひつで提供される御飯に杏仁豆腐のデザートが付いて1300円とリーズナブル
全体的に濃い目の味付けなので、御飯やビールがすすむこと
ミニセットとは言え、歳を考えると食べ過ぎ、満足のランチでした
所在地 / 名古屋市熱田区一番1-5-12 嶋田ビル1F

さてとお腹も満たされたのでボランティア説明会に行くとするか