「営築稲荷神社・前橋護国神社」前橋東照宮境内社

前衛的な前橋東照宮の境内西外れに鎮座する「営築稲荷神社」と「前橋護国神社

前橋東照宮の全面舗装された境内の西外れ、駐車場の一画に二つの境内社が祀られていました。
写真はその内の一つ「営築稲荷神社」

本殿は入母屋平入のもので、軒から唐破風向拝が付くもの。
向かって右隅に狛狐らしき姿があるが劣化が激しく原形はよく分からなくなっている。
左の奥に小さな石の祠があったがこちらも同様。
戦時中の1945年8月5日夜から6日未明にかけて、前橋市街地は米軍の空襲に見舞われ、多くの人命と家屋を焼失したそうです。
そうした空襲による爪痕なのかもしれません。

営築稲荷神社由緒。
文久3年(1863)、前橋城再築にあたり、工事の安全を祈願するために松平大和守家11代藩主の松平直克が勧請した神社で、御祭神は宇迦之御魂神をお祀りする。
詳細は掴めず、どちらから勧請されたものか定かではない。
御神徳は工事安全と商売繁盛で地元から崇敬されている。

彰忠碑に続く石段脇に鎮座する厩橋護国神社
5本の鰹木と外削ぎの千木が付く神明造。

由緒。
明治10年(1877)の創建で、西南の役以来、日清日露戦争満州事変、大東亜戦争に至るまでの前橋出身の英霊二千三百四十六柱を御奉祀する。
尊い命を捧げられた方々の御霊を慰め、その事績を後世に伝る役目を担っております。

前橋公園芝生広場から見る前橋東照宮(右)と左に残された僅かな杜の下に祀られた「営築稲荷神社」と「前橋護国神社」の眺め。
令和の大改修は境内社含めて大きく様相を変えてしまったようです。
これも神社存続と保存の為の一つの選択肢なのかもしれない。

営築稲荷神社
創建 / 文久3年(1863)
祭神 / 宇迦之御魂神
厩橋護国神社
創建 / 明治10年(1877)
祭神 / 前橋出身英霊二千三百四十六柱
所在地 / 前橋東照宮境内
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