「穴葉稲荷、陸奥稲荷神社」

愛媛・広島を一泊二日の車中泊で訪れた最終日。
 阿伏兎観音から県道47号線を鞆の浦方面に向け走らせる、広島県鞆町鍛冶駐車場までの移動時間は15分程。

瀬戸内海国立公園鞆の浦
 鞆の浦はいろは丸事件でもよく知られ、歴史好き、ドラマ好きには魅力的な町だろう、寺社好きにとってもそれは同じ。
観光案内に紹介される知名度の高い寺社以外にも小さな町内の狭い路地には多くの神社が鎮座する。
 今回掲載する陸奥稲荷神社もその一つ。

鞆と云えばやはり鞆の港に立つ常夜灯か、駐車場から海岸沿いを南下し港に向かう。
 途中には江戸時代に朝鮮通信使が来日した際に宿舎となった対潮楼やいろは丸事件の際に紀州藩が宿舎として使用した圓福寺などが鎮座している。
写真は圓福寺が鎮座する岬の西側にある大波止から鞆の浦と常夜灯方向の眺め。

写真は大波止から船番所、圓福寺方向の眺め、岬の先端に見える赤い鳥居が穴葉稲荷、陸奥稲荷神社の鎮座地。
 圓福寺が鎮座する岬は往古は大可島と呼ばれた小島で、鞆の浦を行き交う舟や鞆の港に出入りする舟の監視が効く立地から村上水軍の砦が築かれ、大可島城も築かれた。
現在は陸続きとなった大可島に嘗ての面影を感じる事は少ないかもしれない。

水産加工場の敷地を通り抜けると正面に赤い鳥居が立てられている。
 社頭には稲荷神の使い狛狐が一対、鳥居に額はあるが文字は退色し読み取れなかった。
護岸沿いに奥に長い境内で、左側にも鳥居が二つあり、その先に社殿、更に奥に進むと鳥居を構えた境内社が祀られています。

この神社の創建等詳細を調べて見たが定かにはならなかった。
 狛狐の台座に刻まれた「明治10年(1877)玉光講」が創建に繋がる唯一のものだった。

境内に入ると赤い鳥居が二つ並んでいます。
 Gマップでは穴葉神社とあったが裏付けが見つからずここでは不明社としておきます。
鳥居の先の二社は屋根の傷みは少ないけれど躯体は朽ち果てお札は納められていない。
 既に廃社されたものだろうか。

その右にも赤い鳥居がある。
 鳥居の柱にはロープが張られ、綺麗に積まれた石垣の上にはあるべきはずの社の姿がない。
石標や玉垣などに神社を特定するものは刻まれておらず、社が祀られていたであろう台座の正面に稲荷玉が見られるので恐らく稲荷社・・・だった?

陸奥稲荷神社全景。
 入母屋妻入り鞘堂に切妻の拝所が付くもので、建替られたのは比較的新しいように見受けられます。
拝所や鞘堂の内部の様子は窺えなかったが拝所の鬼瓦に稲荷玉が施されている事から陸奥稲荷神社で間違いないだろう。
 稲荷神は五穀豊穣の神として崇められ農耕のイメージが強いけれど、商工業や航海の安全なども司る事から港を見守るこの場所に祀られたものかもしれない。
地元からは「あなばさん」と呼ばれて大切にされているようで、社殿改修に伴い寄進された方々の家紋が天井に描かれているという。
 広島県沼隈郡誌から穴葉神社と陸奥稲荷神社を調べて見たが創建や祭神など記されていなかった。
狛狐の台座か明治初期だった事を思うと遡っても江戸時代までだろうか。

陸奥稲荷神社の右の不明社。
 三社相殿の社が左右に祀られているが、社名札はなく扉は閉ざされ今もお札が祀られているのか外観からは分からなかった。
中央の銅板葺の小さな社、そこには小さな狛狐が安置されていた。
 陸奥稲荷神社含めて祭神は宇迦之御魂大神と思われます。

この一画には何匹の狐が住んでいるのだろうか?
 境内はここで終わり、この先は岩礁帯になる。

陸奥稲荷神社常夜灯の火袋から淀姫神社方向の眺め。
 鞆の港に出入りする舟が良く見える、現在の舟に風待ち潮待ちは無縁だ。

穴葉稲荷、陸奥稲荷神社
創建 / 不明
祭神 / 宇迦之御魂大神
境内社 / 不明社複数
所在地 / 広島県福山市鞆町
参拝日 / 2022/04/20
阿伏兎観音から広島県鞆町鍛冶駐車場 / ​県道47号線を鞆の浦方面に15分程
鞆町鍛冶駐車場から陸奥稲荷神社まで徒歩ルート / ​15分程
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