「山神社・お福稲荷社・白龍大神」名古屋市北区安井

西願寺六所神社から住宅街を南西方向に10分程。
街中に取り残されたように樹々が生い茂る一画が山神社・お福稲荷社・白龍大神の鎮座地。
新年最初の5.6㌔の神社巡りもここが最終目的。陽は傾き落ちるばっかりだ。

f:id:owari-nagoya55:20220305222110j:plain社地北側から山神社・お福稲荷社・白龍大神を眺める。
こんもりと盛り上がった社地全体に鬱蒼とした樹々が生い茂る。
なんとなく古墳の上に鎮座している?と思うような光景ですが古墳ではないようだ。

f:id:owari-nagoya55:20220305222126j:plain山神社・お福稲荷社・白龍大神の社頭全景。
所在地は北区安井、安土桃山時代に浅野長勝が築城した安井城があったという。
長勝は妻の妹婿の杉原道松の娘「寧々」「やや」を養女として迎えた、「寧々」は後の秀吉の正室となり、「やや」は婿養子となった浅野長政正室となり、戦国の乱世に振り回されながら生きた女性達。
このこんもり感は嘗ての安井城の名残、城は長政が津島に移ると共に廃城となった。
安井城の現在は遺構も残っていないが社地の南西にあったとされ、この安井城の鬼門を守護するために山神社が祀られていたと云う。
末社のお福稲荷社と白龍大神は近代になって祀られたようで、お福稲荷社は戦前まで大変な賑わいを見せていたという。

f:id:owari-nagoya55:20220305222142j:plain社号標は山神社の下にお福稲荷社、白龍大神とある。
この事からも創建時期は山神社が古い事を表しているようでもある。
社号標の右にお福稲荷社の鳥居が建つ。

f:id:owari-nagoya55:20220305222201j:plain鳥居左の山神社解説。
「祭神は大山祇神
社伝によれば天正年間(1573~1592)に安井将監・浅野長勝(ねねの養父)が、安井城を築く際、鬼門(東北)
の守護神として勧請。
神社南西に位置した安井城は、東西約160㍍・南北約150㍍で当時としては相当な規模の館であった。
この辺りは矢田川の堆積地、昭和初期に耕地整理が行われまで、松・榎・椿・竹などが鬱蒼と生い茂っていた。
境内にはお福稲荷社(稲荷大明神)、白龍社(龍神)も祀られている。例祭11月7日」

f:id:owari-nagoya55:20220305222226j:plain鳥居から石段を上り山神社に向かう。
正面に加藤五左エ門の石碑と百度石。
参道はここから左に向きを変え尾根沿いに西に続く。

f:id:owari-nagoya55:20220305222314j:plain西陽の差す尾根の先に鳥居と拝所があり、尾根の北斜面にお福稲荷社、南斜面に白龍大神と祀られ、其々に続く参道が別れている。
参道脇に昭和8年に建てられたお福稲荷、御山神社、白龍大神の石碑がある。

f:id:owari-nagoya55:20220305222331j:plain山神社社頭全景。
神明鳥居の先に拝所と奥の社殿が見通せる。
住宅街という静かな環境にあって、この杜は更に静寂な空間に包まれている。

f:id:owari-nagoya55:20220305222350j:plain拝所から本殿。
さほど広くない尾根の両脇に毬と子を持った狛犬が守護する。

f:id:owari-nagoya55:20220305222409j:plain覆屋と拝所の屋根が視界を遮り、本殿の全貌は見渡せないが恐らく神明造。
まずは山の神に参拝。ご利益は農業、林業、工業、商業、酒造、漁業など幅広い。

右手にお福稲荷の社殿が一望できる、参道を戻り右下に続く参道に向かう。

f:id:owari-nagoya55:20220305222430j:plain山神社との高低差がよく分かる。
参道を下りるとそこから拝所まで奉納鳥居が連なる。

f:id:owari-nagoya55:20220305222450j:plain奉納鳥居を抜けると「お福稲荷」の額が掲げられた明神鳥居が現れる。
鳥居左に小さな覆屋、正面に拝所と本殿の伽藍。
鳥居をくぐった右側に手摺が続く、参拝後に向かう事にする。

f:id:owari-nagoya55:20220305222511j:plain
鳥居左の小さな覆屋、そこには座布団の上に艶のあるカーリングのストーンの様な重軽石
願い事をする前に持ち上げた石の重さに対し、願いをした後に持ち上げた石の重みが軽ければ願いは叶う、不思議な石だ。
参拝時気付かなかったが、覆屋の右に石の額が置かれていたようです。文字は写真から識別できなかった。


拝所から本殿の眺め、久し振りに鈴を鳴らして参拝。

f:id:owari-nagoya55:20220305222528j:plain本殿前で赤い前掛けを付けられた狛狐。
狐としてはいい体格、やせ細った狐は悲壮感が漂いどうも好きになれない。
参拝を済ませ、右に続くスロープを奥に向かいます。
その途中側面から本殿を見ると本殿は流造。

f:id:owari-nagoya55:20220305222550j:plain
奥に進む参道は三面ともコンクリートで囲われ、雰囲気はボブスレーのコースだ。

参道は右手に折れ、目の前に覆屋が現れ、目の前の岩壁に扉。
手前に狛狐が守護し右手の狐の後方にも小さな社が祀られている。

f:id:owari-nagoya55:20220305222612j:plain先程同様、健康的な容姿の狐が守護している。

f:id:owari-nagoya55:20220305222633j:plain正面の祠、暗くて中は分からない、まるで狐の巣の様相。
周辺の岩は人造石か?恐らく石の祠の上に積み上げたものかもしれない。
先程お福稲荷は参拝させて頂いた、ここは何だろう、奥の院だろうか。
周囲を壁に囲まれ、外界から閉ざされたような不思議な空間だ。
さあ南斜面の白龍大神に参拝、一旦尾根に戻る。

f:id:owari-nagoya55:20220305222656j:plain尾根から南斜面の白龍大神。
覆屋の下に流造の社が祀られ、木造鳥居が建つシンプルな社殿。

f:id:owari-nagoya55:20220305222715j:plain
龍大神全景。
社頭に下る石段途中の南垂れ斜面を社地として切り開き、伽藍が建てられています。
白蛇の予感がする趣だ、そもそもこの神社には言い伝えがあるという。
嘗ての城跡の上に鎮座する山神社、市街化の流れから見ればただの小高い丘。
必然的にこの小山を削る工事が行われたそうだ、その工事の際に逃げ惑う白蛇が現れ、作業員がそれを殺したという。
それ以降当事者含め禍に巻き込まれ、白蛇を鎮めるために祀られたのがこの神社だという。
こうした話は稀に聞くことがある。
事実かどうかはさておき、根底には代々守り継いだ土地が跡形もなく姿を変えてしまう事に対する警鐘から生まれたものかも知れない。
街中に不自然に残されたものには何かの謂れがある、なぜそこにあるのかも知る必要があるのかも知れない。

龍大神本殿全景。
水田が広がっていた頃、水を司る龍は必要不可欠な存在。
白蛇を鎮めるために祀られた神社、大嫌いな蛇がとぐろを巻いていそうだがそうでもなかった。

f:id:owari-nagoya55:20220305222734j:plain龍神社から鳥居をくぐり境内に出る、額は白龍神社。
嘗ての城跡の痕跡として街中に残った小高い丘。
そこは元々の主以外に狐と龍の住む特別な場所として住宅街に貴重な森を残している。

f:id:owari-nagoya55:20220305222754j:plain神社から南側のお福市場方向の街並み、見覚えのある街並みが今も残る。
ここを歩いて黒川駅に戻るとしよう。

f:id:owari-nagoya55:20220305222812j:plain今回訪れた個所を地図上に落として見ました、意図せず矢田川の付け替え前を辿るような形になりましたが、多様な変化をもたらした付け替えは切っても切れない。
機会があれば嘗ての合流地点に向け歩いて見よう。

山神社
創建 / 不明、祭神 / 大山祇神
お福稲荷社
創建 / 不明、祭神 / 倉稲魂命
龍大
創建 / 不明、祭神 / 白龍
所在地 / 名古屋市北区安井1-7
今回の徒歩ルート
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