「前橋東照宮」

既に掲載した臨江閣から南に進み、県道10号線を越えた角に鎮座する前橋東照宮

臨江閣から徒歩でも2分程の距離にあります。

大手町交差点の南西角に写真の社頭があります。
町の景観に同化する様に社殿があり、この鳥居と由緒の前に来てようやく神社の存在を知った。

社頭の由緒書き。
「 東照宮
鎮座 前橋市大手町
祭神 徳川家康
例祭 4月17日
創祀 
寛永元年(1624)家康公の二男結城秀康の五男松平直基が越前勝山城内に創祀。
沿革
松平家は120年で10回にも及ぶ国替の都度その城内に奉遷。
江戸中期に姫路城より前橋城へ国替されたが、利根川の氾濫で城が流され、分領の川越に奉遷。
幕末の慶応2年(1866)に前橋城が復興、再び前橋へ。
社殿は川越で解体され、明治4年(1871)現在地に復元。
昭和4年県社に昇格、戦後は神社本庁包括の宗教法人に認証。」

鳥居を入った右側に車祓殿。

祓殿左側に水占いの水盤がある。

水盤の右に手水鉢がありその奥に小さな石祠が祀られています。
祠の前には小さな狐の姿も見え、これは稲荷社だろう。

鳥居を入った左が手水舎と社務所

手水鉢には当然葵の紋が刻まれています。

鳥居正面の覆殿。
桟瓦で葺かれた切妻造で片側の屋根が長く伸び、妻側と奥の平側が全面ガラス張りになったモダンな外観。

令和6年が創建から400年にあたることから、令和元年に改修が行われ、以前は普通に本殿・拝殿を拝められたものが現在の姿に変わった様です。
ここでは覆殿と表記しましたが、HPでは拝殿とされており、この建物自体が本殿を覆い、祭文殿・神前結婚式のスペースが作られており、それまでの拝殿はなくされてしまったようです。

覆殿前の狛犬
吽形の頭部に小さな角を持つようです。

覆殿正面。
賽銭箱には金色の葵紋が入り、それを挟む様に梅鉢紋があしらわれている。

前橋東照宮が所蔵する文化財の数々。
上の能装束は明治4年(1871)に松平大和守家第12代松平直方の寄進。
下の左の陣羽織は江戸中期の前橋藩松平家ものとされ、右の軍配は松平直矩の名と延宝2年(1674)の年月が記されている。

覆殿内左に葵紋が施された御輿が安置されていますが、年代など詳細は案内がなかった。

覆殿内部の本殿。
何というのか、展示ブース的な趣とでも云えばいいのかな。
ガラスから差し込む陽光は逆光となり、本殿の詳細をよく見ることが出来なかった。
恐らく空調管理されているのだろう、セレモニーホールの色合いを強く感じる趣だった。

覆殿後方から社頭方向の眺め。
江戸初期の寛永元年(1624)、松平直基公が幕府より賜った福井県の越前勝山の地に創建した前橋東照宮はモダンなガラスケースの中に鎮座します。
ガラス張り壁面から本殿は見られますが、映り込みもあり見えそうで見えなかった。

臨江閣方向から前橋東照宮を探しながら訪れましたが、思い描いていた姿とはかけ離れ、鳥居の前に来て初めてそれと分かった。
日光東照宮はじめ、各地の東照宮を訪れきたが、前橋東照宮は飛びぬけて先進的な社殿でした。
この前衛的な姿が馴染んでいくまでには多少時間が必要かもしれない。

境内には境内社が2社ありますが、別途記載する事にします。

前橋東照宮
創建 / 寛永元年(1624)
祭神 / 東照大権現木花咲耶姫菅原道真、長壁様
所在地 / ​群馬県前橋市大手町3-13-19
参拝日 / 2023/05/11
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