『貴船神社』予期せぬ出会い

9/27 LOVEあいちキャンペーン企画「奥三河旧田口線廃線湯谷温泉和会席&日帰り入浴」で旧三河大草駅跡を訪れた際に参拝した新城市富保宮前の貴船神社を掲載します。

信長・家康連合軍と武田勝頼が戦った設楽原決戦場も近い。
 この時期、貴船神社が鎮座する周辺の集落では、あぜ道や堤に彼岸花の群落がそこかしこで見られる。

社殿は県道32号線の道路脇にあり、道路からでも存在は直ぐに分かるが、それが神社だと知るには道路から一歩入らないと分からないかも知れない。

道路から北に入ってみる社頭全景。
 石の明神鳥居と古びた燈籠があってようやく神社だと分かる。

社頭は県道からの脇道に面し、南東を向いて社頭があります。
 鳥居に額や社標もなく、由緒もなく詳細は分からなかった、G先生によれば貴船神社とあった。

帰宅してからこの辺りの地史で大正15年(1926)出版の「南設楽郡誌」に目をやると村社の項目で貴船神社の記述を見つけた。
 「貴船神社、長篠村大字富保、闇龗命、境内無格社、八幡社、若宮社、熊野社」
とあった、うーん歴史はともかく社名も祭神もスッキリするはずだった。
 ところがその隣に同所在地で「貴船神社、長篠村大字富保、闇龗命、境内無格社秋葉社、金刀比羅社」 
 と併記されており、これはどうしたもんだか… 
因みに棟札が残り、貞享5年(1668)2月に社殿再建とあるようでかなりの古くからこの地の氏神として崇敬されてきている神社のようで、村社に列格されたのは明治5年(1872)のようでこれ以上は分からなかった。

境内右側の少し離れた場所で山を背にして建つ覆屋。

中には二つの社が祀られている。
 詳細は分からない、境内無格社の三社と思われる。

貴船神社社殿全景(写真は二枚張り合わせ)
 貴船神社となれば、京都の貴船神社から勧請されたもの、いつ頃、誰がと知りたくもなる。

伽藍は左に切妻平入の拝殿?から渡廊を経て右側の鞘殿に一体となっています。
 本殿を収める切妻平入の鞘殿は随分大きく、本殿の姿も見たいところです。

拝殿右に見えている山が旧三河大草駅のある場所になります。

渡廊から本殿方向の眺め。
 蟇股に見える白いものは彫飾り?、本殿は朱塗りの流造のように見え、大振りな本殿の様相。
参拝を済ませ県道側を覗いて見るとツアーバスがお出迎え、慌てて鳥居の寄進年を撮りバスに乗り込み貴船神社を後にした。
 急いで鳥居を撮った事もあり、寄進年を撮った写真はフォーカスが追従せずさっぱり読み取れなかった。
三河大草駅含め、もう一度訪れる事になりそうです。

貴船神社
創建 / 不明
祭神 / 闇龗(くらおかみ)命
境内社 / 八幡社、若宮社、熊野社又は秋葉社、金刀比羅社
所在地 / 新城市富保宮前
参拝日 / 2022/09/27
車アクセス / 東名新城ICから国道151号線を北上、長篠交差点左折、県道32号線宮前地区まで​10分程
関連記事 / 

owari-nagoya55.hatenablog.com