白川郷萩町の荻町城跡展望台を後に再び集落に戻り「49番札所弘法堂・和田家」方向に向かいます。
マップ上では展望台の直ぐ近くに位置しますが、展望台から和田家までは来た道を一旦戻り、そこから右に進んでいきます、移動時間は10分程。
和田家北側から荻町城跡展望台の眺め。
頂の左側が荻町城跡になります。
萩町を見通せ、山の西側、南側の斜面は切れ落ち、こうして見ると山城を築くのに都合はいい。
緑の稲田の中に常夜灯を構えた小さな堂がある。
茅葺ではないものの、切妻造の棟の向きは周囲の合掌造り同様に妻側は南北を向いて建てられている。
観光マップによれば「49番札所弘法堂」とあったので向かってみる事にする。
弘法堂全景。
「白川郷の湯」の右あたりから稲田に続く小道(あぜ道?)を進む。
社標などは見当たらず、竿に膨らみを持たせた安定感のある常夜灯はあるが、弘法堂と云われても実感ははないかもしれない。
弘法堂正面全景。
額はなく、内部に弘法大師の姿がある事から弘法堂で間違いなさそうです。
中央に如来像、左に真赤な迦楼羅炎のお不動さまの姿がある。
観光マップに49番札所弘法堂とあるが、由緒について全く情報が得られなかった。
49番札所は「新四国飛騨八十八霊場」を指しているようで、この霊場がいつ頃開かれ、札所全容などの情報は分からなかった。
弘法堂
所在地 / 白川村荻町
和田家全景。
白川村に残された合掌造りの中では規模が大きく、周囲の田畑や水路などがあり趣のある建物かも知れない。
町内を南北に延びる白川街道沿いのためか、訪れる観光客は多い。
和田家は番所の役人を勤める傍ら、煙硝や生糸を生産、内部は1階の一部と2階が公開されている。
文政年間(1818~1829)に和田家次男の佐治衛門が分家したのが先に掲載した神田家。
和田家
所在地 / 岐阜県大野郡白川村荻町山越997
和田家の前には水場があり、訪れた8/22には水面に赤や白の睡蓮が咲き誇っていた。
ここで一先ず白川郷観光を終え少し遅めの昼食を摂る。
和田家から少し北にある合掌造りの「お食事処いろり」
こちらも街道沿いのためタイミングが悪いと待ちができやすいようだ。
朴葉味噌定食
山にきたら朴葉味噌は外せないだろう、少し辛めの味噌が白飯に良く合う。
他にニジマスの甘煮、味付豆腐、蕎麦も付く。
昼にしてはボリュームがあるが、キャンプ場に向かいテント設営すれば多少は腹ごなしできるか。
お食事処いろり
所在地 / 大野郡白川村荻町374-1
見所の多い白川郷、一日だけでも表情を変えていく合掌村、今回はそのごく一部の表情でしかない。
今頃は合掌集落は紅葉に包まれているだろう。
次回は紅葉と雪が見られるときに訪れて見たいものです。
さてキャンプ場に向かう事にしよう。
弘法堂正面全景。
額はなく、内部に弘法大師の姿がある事から弘法堂で間違いなさそうです。
中央に如来像、左に真赤な迦楼羅炎のお不動さまの姿がある。
観光マップに49番札所弘法堂とあるが、由緒について全く情報が得られなかった。
49番札所は「新四国飛騨八十八霊場」を指しているようで、この霊場がいつ頃開かれ、札所全容などの情報は分からなかった。
弘法堂
所在地 / 白川村荻町
和田家全景。
白川村に残された合掌造りの中では規模が大きく、周囲の田畑や水路などがあり趣のある建物かも知れない。
町内を南北に延びる白川街道沿いのためか、訪れる観光客は多い。
和田家は番所の役人を勤める傍ら、煙硝や生糸を生産、内部は1階の一部と2階が公開されている。
文政年間(1818~1829)に和田家次男の佐治衛門が分家したのが先に掲載した神田家。
和田家
所在地 / 岐阜県大野郡白川村荻町山越997
和田家の前には水場があり、訪れた8/22には水面に赤や白の睡蓮が咲き誇っていた。
ここで一先ず白川郷観光を終え少し遅めの昼食を摂る。
和田家から少し北にある合掌造りの「お食事処いろり」
こちらも街道沿いのためタイミングが悪いと待ちができやすいようだ。
朴葉味噌定食
山にきたら朴葉味噌は外せないだろう、少し辛めの味噌が白飯に良く合う。
他にニジマスの甘煮、味付豆腐、蕎麦も付く。
昼にしてはボリュームがあるが、キャンプ場に向かいテント設営すれば多少は腹ごなしできるか。
お食事処いろり
所在地 / 大野郡白川村荻町374-1
見所の多い白川郷、一日だけでも表情を変えていく合掌村、今回はそのごく一部の表情でしかない。
今頃は合掌集落は紅葉に包まれているだろう。
次回は紅葉と雪が見られるときに訪れて見たいものです。
さてキャンプ場に向かう事にしよう。
白川村萩町『弘法堂・和田家』
所在地 / 岐阜県大野郡白川村荻町1116
天狗堂から徒歩ルート / 南に向かい約10分
参拝日 / 2022/08/22