稲沢市大塚南1「大塚山性海寺」
稲沢市のほゞ中央に位置し、鎮座地の少し西に大江川が流れ、周囲には水田が多く残り、蛙の鳴き声も聞こえる長閑な場所。
性海寺南側の通りから多宝塔が建つ境内の眺め。
境内へはこの通りを右に進み、小さな交差点を左に進むと東向きの性海寺山門に繋がります。
また、この写真の左には、性海寺鎮守の三宮社の参道があり、そちらからも境内に入れます。
大塚山性海寺山門。
東向きに建てられた山門。
この山門(薬井門)は江戸時代(17世紀)頃に建立されたものとされ、稲沢市の文化財に指定されています。
「大塚山 性海寺 真言宗智山派。
建長年間(一三世紀中頃)良敏が多宝塔などを建立し再興 した。
弘安三年(一二八〇)には、蒙古再襲来に備えて、中興第二世浄胤が勅願により異賊調伏の祈祷を行っている。
江戸時代には、尾張藩初代徳川義直をはじめ代々の藩主より寺領を寄進された。」
空海が開基したと云われる性海寺、こちらの伽藍の本堂、多宝塔などは文化財に指定されている他、境内には三宮社、大塚古墳が残る。
境内には多くのアジサイが植えられ、大塚性海寺歴史公園として整備され、6/1~18まで「いなざわあじさいまつり」が催されます。
門の左に性海寺が所蔵する数々の文化財の解説。
「重要文化財。
・多宝塔 一基 付 棟札三枚 室町時代
・木造四天王立像 四驱 鎌倉時代
・金銅宝冠 一对 室町時代
・紙本墨害秘鈔 三三卷 江戸時代
山門に掲げられている山号額「大塚山」。
延宝7年(1679)建立された一間一戸、切妻瓦葺のシックな薬井門で蟇股等の彫飾りもシンプルなもの。
山門から眺める境内。
正面に愛染堂とその奥に多宝塔が視界に入る。
あじさいまつりの開催期間中という事もあり、参道の左右に鉢植えのアジサイが並べられていた。
この愛染堂はそれ自体に愛染明王を安置するものではなく、後方の多宝塔に安置されている愛染明王をこちらから遥拝する拝所。
愛染堂の全景。
本尊は愛染明王で耳の病、家内安全、無病息災に御利益があるとされる。
江戸時代には耳の病に御利益があるとされ、側面にはなぜか底のない柄杓が多数奉納されています。
底のない柄杓を安産祈願で奉納する事はあるが、愛染明王と底抜け柄杓の関係はよく分からない。
山門の左手に手水舎と鐘楼があります。
あじさいの寺という事で花手水が待っているものと思ったがそうではなかった。
こちらの柄杓は底が付いています。
手水鉢側面と背面。
寄進されたのは天保13年(1843)のようで、側面に清州までの距離が彫られているようです。
鐘楼。
入母屋、瓦葺で愛染堂の左手にある。
梵鐘の池の間には文字が刻まれていたが銘文や鋳造年度は読み取れないかった。
愛染堂南側から多宝塔と三宮社方向の眺め。
多宝塔。
下層は三間一戸で屋根は銅板葺、塔下層は四方を縁が施され、上層は高欄が付くもの。
解説には室町時代(1336~1573)建立とあるが、はっきりした建立時期は不明の様です。
上層の屋根を支える飛檐垂木と地垂木、組物は四手先、周囲は小さな連子窓が連なる。
上、下層の蟇股は牡丹が飾られていた。
下、塔の解説。
以下は愛知県の文化財から多宝塔についての解説。
「性海寺多宝塔は、性海寺の中興開山である良敏上人により、建長5年(1253)に建立されたと伝わる。
様式的には室町中期の建築と考えられる。
昭和42・43年(1967~1968)の修理で、隣接する愛染堂から分離され、瓦葺から銅板葺に改められ、木部には丹彩が施された。」
とある。
棟札が三枚残るようですが建立時期までは辿り着けないようです。
多宝塔。
建立 / 建長5年(1253)
本尊 / 愛染明王
多宝塔後方の性海寺鎮守の三宮社全景。
拝殿、渡廊、幣殿、本殿の配置で本殿両脇に末社が祀られています。
拝殿は瓦葺の切妻妻入りで梁、桁ともに三間で四方吹き抜けのもの。
拝殿正面。
鬼には三宮社、軒丸瓦には三の文字が入る、渡廊の左右に狛犬の姿がある。
拝殿額「三宮社」
名からすれば三社が祀られているのだろう、拝殿左に概説が掲げられており、その内容は以下。
・本殿一棟 江戸時代
・陶製狛犬一対 室町時代
・三宮社の御武射 」
概説にある御武射とは旧暦正月12日に行われる祭礼。
性海寺境内の林から樫の木を伐ってきて麻の弦を張って弓を、女竹から矢を3本作り、宮司がその弓と矢を使って神社南側の参道に作られた的に向かい3本の矢を射るのだそうだ。
その矢は拾うと縁起が良いとされ、観衆はその矢を奪い合う様に拾うのだそうだ。
そのあと、宮司は大塚村の田や畠を祓ってまわって神事が終わるそうです。
現在のお祓いは、参道の南にある鳥居から、大塚の田畠に向かってお祓いをする形になっているそうですが、御武射の神事は今も受け継がれています。
拝殿から幣殿、本殿の眺め。
寄進年度は未確認ですが、渡廊の左右に安置されている狛犬は、耳垂れで素朴な造形のもの。
本殿域。
本殿は檜皮葺の一間社流造で階段の両脇に大きな草鞋が置かれています、この大草履は御武射の祭礼で弓と矢を持った宮司が履くためのものという。
左右の末社の社名札は消えかけており、どちらが八剣社、春日社なのかまでは分かりません。
本殿左の末社。
三宮社
創建 / 不明
祭神 / 健速須佐乃男之命
境内社 / 不明社二社
本殿域の右に四国西国巡拝記念碑と役行者が安置された堂が建てられています。
性海寺本堂。
杮葺きの入母屋造りで桁・梁間ともに三間の平入で慶安元年(1648)に再建されたもの。
随分と大きな唐破風向拝が付き、下り棟と大棟に瓦が葺かれ、概ねには鯱が飾られている。
本堂内部の来迎回りと須弥壇、天井部分には、鎌倉時代の遺材を利用しているという。
また、須弥壇上の羽目板裏に弘安4年(1281)の墨書が残るそうです。
性海寺は江戸時代には尾張藩主徳川義直より寺領100石が寄進され、慶安元年(1648)に本堂が再建されるなど擁護を受けて来たようですが、後の濃尾地震(1891)で伽藍は被災し、その後修復を受けている。
本堂に繋がる渡り廊下から本堂の眺め。
斜めから眺める向拝は一段と大きさが強調される。
庫裏。
切妻瓦葺の妻入りで大棟には煙出しが付く。
本堂後方の大塚古墳。
解説は以下。
現在の墳丘上層部は中世以降の盛土で、後世別の目的で使用されていた。
出土した円筒埴輪・形象埴輪(蓋形埴輪)から判断して、古墳時代中頃の築造である。
現在の古墳はこの盛り上がり意外にそれらしい名残は感じられず、一面に咲くあじさいと性海寺境内を見下ろせるビューポイントとなっています。
大塚古墳から見る本堂、多宝塔。
同じく庫裏方向の眺め。
あじさいまつりの時には近隣の臨時駐車場が満車になるほど参拝客が訪れますが、少し時期を外すとゆっくり境内を見て廻れると思います。
性海寺
宗派 / 真言宗智山派
山号 / 大塚山
開基 / 弘法大師(伝)
創建 / 弘仁年間(伝)
本尊 / 一光三尊善光寺阿弥陀如来、愛染明王
所在地 / 稲沢市大塚南1-33
参拝日 / 2023/06/08
公共交通機関アクセス / 名鉄名古屋本線「国府宮」駅降車、南西に徒歩30分
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