奈良県『長谷寺』

長谷寺

四季を通じて花の彩が絶えない寺です
大画軸の公開に合わせ、久し振りに訪れましたイメージ 1
長谷寺総合受付に続く門前町は以前のままの佇まい
 違うとしたら、周囲から聞こえる会話が他国言語の多い事くらいか
草餅を買い求め、初瀬川沿いで朝食代わりに頬張る
 若い頃はそれ程食べたいものではなかったけれど、いつしか美味しいと感じるようになったイメージ 2
総合受付所前の寺号標から先に見える仁王門へ 
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仁王門に向かう参道右の普門院
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普門院をから普門院不動堂へ
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普門院不動堂の扁額と堂内部の不動明王
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境内左の祠には不動明王弘法大師の石像が祀られている
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境内の藤が丁度見ごろを迎えています
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久しく大きな寺社を訪れていなかっただけに、仁王門の大きさには圧倒されます
 両脇の仁王像の他に、楼上に釈迦三尊十六羅漢像が祀られるこの仁王門ですが
1889年(明治22)に再建されたもの
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仁王門扁額の額字は後陽成天皇直筆によるもの
 5月31日まで大画軸特別公開が催されており、両脇にはそれを伝える幟が掲げられます
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長谷寺の象徴とも言える登廊
 1039年(長暦3)春日大社の社司中臣信清により建造され、上中下の三廊で構成されています
下廊と繋屋、中廊は1889年(明治22)に再建されたもので本堂まで399段あります
 日が暮れて長谷型燈籠に灯が入ると昔ながらの優雅な趣となる

訪れた4/20は終わりを迎えた桜と、これから盛期を迎える牡丹が登廊に彩を添えてくれていますイメージ 11
登廊の右手が宗宝蔵
 長谷寺六坊の一つで春と秋の二回、長谷寺所蔵の国宝、重文が一般公開されますイメージ 12
境内は牡丹が咲き、華やかさを競い合っています
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歓喜院(上)
長谷寺六坊の一つで1701年(元禄14)に再建、近年改装を受けた
登廊と西側の参道をつなぐ梅心院横の参道、桜の時期は美しい場所です
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梅心院(上)
江戸時代初期の1603年(慶長年間の初め)に徳川家光長谷寺へ参詣した記念に建てられたもの
慈眼院(下)
江戸時代前期の1665年(寛文5年)に長谷寺第8世快壽僧正によって建立
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下廊を登ると繋屋から右に折れ中廊へ、更に高度を上げて行きます、その先は蔵王堂に至る(上)
蔵王堂(下)
中廊を登りきった正面には歌人紀貫之が植えたと云われる「紀貫之古里の梅」の木があり
 春には華麗な紅梅を咲かせ目を楽しませてくれます
右の赤い祠は縁結びの社

中廊を上がった右手に建ち、天正4年1577年創建と云われ、蔵王権現を祀る
1650年(慶安3)徳川家光公の命で再建されたもの

堂前に置かれる法具は三鈷杵、手で触れると七難即滅・七福即生の御利益があるそうです
 堂内に祀られる蔵王権現は吉野の金峯山寺の本尊、吉野からこの地まで渡ってきたと伝わります
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上登廊の先には本堂の境内が見えてくる
 本堂の左にある春日造りで煌びやかな装飾が施された三百余社、1650年(慶安3)の創建

登廊を挟んで向かい側には赤い小さな祠が、左から馬頭夫人宮、八幡宮、住吉宮が並んでいます
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長い登廊もここで終わり鐘楼を過ぎると境内が広がります
 左が本堂、右が集印所になります 
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鐘楼正面には寄棟造りの屋根が美しい愛染堂
 1588年(天正16)に観海上人が建立したと言われ
恋愛、縁結び、家庭円満の仏様愛染明王を本尊とします

愛染堂の右の石段は三社権現、能満院へと続きます
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三社権現
天平5年 徳道上人により創建され、1650年(慶安3)徳川家光により再建される
 左から新宮権現、滝蔵権現、石蔵権現と並ぶ
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本堂へ繋がる回廊の右に手水舎と六角形の手水鉢
国宝の本堂へ向かいます
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土間からみる外の景色、回廊から堂内越しに外を見る景色は額に入った一枚の絵のようです
 この時期は新緑が床に写り込み、美しくも神聖な場所であることが伝わってきます
本堂は十一面観音菩薩像を祀る正堂と礼堂、その2つの間に石敷きの土間で構成されます

十一面観音立像は、10mを超える高さの日本最大級の木造仏像
 1536年(天文5)の本堂炎上後の1538年(天文7)に東大寺の仏生院、実清良学により作られたと云われ、右手に錫杖を持ち大磐石の上に立ち、両脇に難陀龍王と雨宝童子を仕えた荘厳な仏像です

現在の本堂の再建時に本尊は移動せず、厨子で本尊を覆い、それを包み込むように正堂が建てられ
内陣の中に内々陣がある複雑な作りはこうした工法から生まれたものです
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普段は立ち入りが禁止されている国宝本堂は春と秋の年2回の特別拝観の際には中に入る事ができます
「五色線」を左手に付けて頂き、堂内へ
薄暗い堂内で仰ぎ見る観音様の大きさと美しさ、堂内に描かれた壁画と一体となって神聖な空間である事が伝わってきます
 観音様に跪き、お御足に直接触れてお参りする事が出来ます

小初瀬山中腹の絶壁に建てられた舞台造りの本堂は観音堂、大悲閣とも呼ばれます
 創建から現在まで幾度か火災に見舞われ焼失、最後が1536年(天文5)と云われる
1588年(天正16)に豊臣秀長の援助により本堂が再建がされるも、江戸時代に入り1650年(慶安3)に徳川家光により建て替えられます、それが現在の本堂です
 豊臣により再建され僅かな期間で德川に建て替えられた背景には豊臣の遺功を消し去ろうとした徳川の意図が見えて来ます
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大黒堂付近から本堂西側の曽我地蔵
 長谷寺第一世の専誉には曽我物語の曽我兄弟の弟、五郎時致の生まれ変わりという伝承があり
この事から曽我地蔵と呼ばれる所以
 長谷寺第六世の良誉により修復、現在の肘塚町付近から移され奉安されたと伝わる

十一面観世音菩薩立像
 本堂北側の小窓から拝め、本尊が秘仏であった時代にも裏から拝めた事から裏観音と呼ばれる
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本堂西側の大黒堂
 堂前に打ち出の小槌と福袋が祀られ
堂内には七福神の一柱である「大黒天」が祀られます
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開山堂
長谷寺を開山した道徳上人が祀られ、西国三十三所霊場の本尊が祀られています
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弘法大師御影堂
創建は新しく1984年(昭和59)のもので、宗祖である弘法大師1150年遠忌法要に合わせ建てられたもの
 流麗な屋根勾配が美しい建物です
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長谷寺
天武天皇の勅願により、道明上人がここに精舎を造営したことから、現在の本堂に対し本長谷寺と呼ばれます
686年(朱鳥元)、道明上人は天武天皇の病気平癒のため銅板法華説相(千仏多宝仏塔)を鋳造し本尊とした事から始まる
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一切経
露盤宝珠を乗せた宝形の堂、1561年に再建されたと云われる
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五重塔
檜皮葺の整ったフォルムが美しく、周囲の山々に溶け込み四季折々美しい情景を与えてくれます
 塔自体の創建は1954年(昭和29)と新しく、戦没者の慰霊の為に創建されています
戦後に建てられた最初の塔で「昭和の名塔」と呼ばれるそうで、昭和生まれの私にとって長谷寺を代表する建造物の一つ

塔の南隣にベンチの置かれた苔むした一画があります、塔を眺める絶景ポイントですが
 そこは基壇と礎石が残る三重塔跡、案内板がなければ気付く事が無いかも
豊臣秀頼により再建され、1876年(明治9)まで現存しましたが、祝融の災い(落雷)により失ってしまいました
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納骨堂
地蔵菩薩を本尊
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興教大師堂
奥の院正堂真言宗中興の祖、興教大師を開基
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陀羅尼堂
奥の院の礼拝のための陀羅尼堂と興教大師堂を併せ菩提院と呼ばれる
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本堂から見た本坊全景 左から護摩堂、大講堂・大玄関・庫裏の並びが良く分かります
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本坊への入口、中雀門の両脇には牡丹の花が植えられ、間もなく見頃を迎える
 牡丹と本堂を撮影するのに絶好のポイントで、多くの方が足を止める場所 
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本坊
1667年(寛文7)徳川将軍の寄進で建立される、1911年(明治44)に炎上、現在の堂宇は1924年(大正13)に再建されたもので破風飾りも美しく、また大玄関から見る本堂の風景も趣があります
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大観音大画軸御開帳​は本坊大講堂で公開されています
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本堂で頂いた御朱印と御詠歌
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大画軸御開帳限定販売の御朱印帳と朱印
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御朱印帳を開けると十一面観世音菩薩の解説が記されています

四季折々の美しさ、朝な夕なの表情の移り変わり
 長谷寺はいつも人を引き付ける魅力のある寺です

長谷寺
宗派 / 真言宗豊山派
創建 / 686年(朱鳥元年)
本尊 / 十一面観世音菩薩
長谷寺住所 / 奈良県桜井市初瀬731-1
アクセス / ​東名阪自動車道⇒名阪国道経由​ 2:30程