『縣神社』岐阜市県町

岐阜市県町鎮座「縣(あがた)神社」
岐阜の玄関口名鉄岐阜駅から国道157線沿いに北へ進み、飲食店や住居が立ち並ぶ一画に鎮座する神社。
5分もあれば社頭に辿り着ける距離にあります。

社頭全景。
社地の東向きに縣神社の社頭、右手には県町稲荷神社の社頭を構えています。
社頭には石の靖国鳥居(大正4寄進)が立ち、右手の樹陰に「縣神社」の社標が建てられています。

右手の県町稲荷神社の社頭。
地元から崇敬篤いようで、社頭から先の参道には複数の奉納鳥居が立てられています。

縣神社正面から社殿の眺め。

鳥居をくぐった境内右手の眺め。
参道右に手水舎があり、奥が県町稲荷神社。

参道正面の境内。
左の建屋が社務所で正面の入母屋瓦葺の建物が縣神社覆堂。
そちら続く参道には一対の常夜灯と狛犬が守護する。

狛犬は子連れ毬持ちのもの。

妻入りの覆堂の鬼瓦には「縣」の文字が入り、軒下の紋幕の神紋は、菊の葉に包まれた菊紋が施されています。

覆堂の前に掲げられている解説と年中行事。
内容は以下。
祭神は擁烈根之命(だきつらねのみこと)
由緒
擁烈根之命は第十一代垂仁天皇の御子である五十瓊敷入彦命(伊奈波神社の御祭神)の御子で、御母は五十瓊敷入彦命の功臣乳父であった毛里(日置部)倫満の娘で、第十二代景行天皇の十四年竹内宿禰をして、伊奈波神社が創建された時、毛里倫満の長男李倫が初代神職を命ぜられ、同十八年には縣宿禰の姓名を賜ったので毛里(日置部)姓を縣姓に改めました。
又第十三代成務天皇が全国に県を置き、その長として県主を定められ、御祭神擁烈根之命は美濃国厚見県の県主に命じられ、この地域開発に力を尽くされました。
その功績を称えてこの地に神社を建て、命をお祀りしたのが縣神社の起こりと伝えられます。
今から千九百年も昔の事です。
この地域の開発振興に多大な貢献を為された事から、家内安全、事業繁栄、子供の護り神として厚く信仰されています。」

岐阜県神社庁の同社の解説は以下のようなものだった。
「擁烈根之命は五十瓊敷入彦命の御嫡男市隼雄命の御弟にして人皇十三代成務天皇の御宇(131~190)に一祠をこの地に創立し、その后度々暴風の為に社頭傾頽すと雖も氏子等心を合わせて其の時々改め建立す。」とある。

金金キラキラの金神社の始まりが成務天皇5年(135)とあるので、縣神社も同じような古墳時代に原形が出来ていたという。
見た目から想像できない程の長い歴史を持つ神社といえます。
現在に至る迄の修復履歴、特に空襲による被災があったのか定かではないけれど、覆堂はじめとする社殿は傷みもなく、氏子はじめ崇敬者から手厚く護られてきている神社なのだろう。

覆堂の蟇股には龍の姿があります、建物の外観は個人的に好きなシックな佇まいのもの。

御神徳は家内安全、事業繁栄、子供の護り神という事、僅かな賽銭に大きな願いを託しパン〃。

覆堂と右の境内社

覆屋の中に祀られた一社とその左に小さな社が一社祀られています。

覆屋の中の社は秋葉神社、左の絶妙なバランスで祀られた社は恵比須神社

社地の東に鎮座する県町稲荷神社。

岐阜は随分久し振りに訪れましたが、以前はシャッターを閉じた店が目立った印象がありました。
現在は若い層をターゲットにした活気のある店舗も現れ、少し賑わいが戻って来た、そんな印象を受けました。
そうした賑わいもこのお稲荷さんのお陰なのかもしれない。
通りを隔てた飲食店や金神社には多くの人が列をなすが、地域の開発振興に貢献したたとされる擁烈根之命のもとへ訪れる参拝客の姿が少ないのは以外だった。

縣(あがた)神社
創建 / 成務天皇の御宇(131~190)
祭神 / 擁烈根之命
境内社 / 秋葉神社恵比須神社、県町稲荷神社
所在地 / 岐阜県岐阜市県町1-4-1
公共交通機関 / 名鉄名古屋駅名鉄岐阜駅➡​北へ​徒歩5分​程
参拝日 / 2023/10/28
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