椀貸池を眼下に望む「胸形神社」

前回掲載した広幡 八幡宮・弘見稲荷社を後に、今回最後の訪問地は再び伊保川沿いを下り、猿投グリーンロードをくぐった先の二股を右に上っていきピークを越えて下りになった右側に鎮座する胸形神社です。

車での移動時間5分もかからないでしょう。
現地に参拝者駐車場はありません、公道は大型車両が頻繁に通るので支障のない路肩を探し駐車することになります。

胸形神社社頭。
下りはじめてしばらくすると、道路右側に常夜灯が見えて来たらそこが社頭。
道路が上に伸びていますが、鎖が張られ進入できない状態になっています。
右手には駐禁の看板もあります、自分はこの車止めの路肩に寄せて車を駐車させてもらいました。

社頭前の椀貸池の看板。

「1.祭神 弁財天、白龍王大明神、ミヨリノホシ、御嶽山
2.由緒 古くから願掛け池として知られ由緒ある池です。
魚取り、水泳を固く禁じます。
3.魚・鳥捕る事、竹・木を伐る事、無断車を乗り入る事。
右禁ず、違反者に付いては参万円徴収します。」

今下ってきた右手の道路は、かつて瀬戸市方面から猿投神社へ、「棒の手」を奉納するため往来した古くからの道。

車止めから先の右手が胸形神社に続く車道。
参道へは左手の明神鳥居をくぐっていきます。

社頭全景。
右手に昭和15年(1940)寄進の辯財天の社標。
鳥居左には昭和51年(1976)に建てられた改築記念碑がある。

一ノ鳥居の額には白龍権現・辯財天。

鳥居をくぐると視界が開け、目の前に森に包まれた小さな池が見えてきます。
この池は古くから「願かけ池」として知られる「椀貸し池」で、この池には龍が棲むといわれ、池の畔には白龍王大明神が祀られています。
写真中央の小高い山の頂に胸形神社が鎮座します。

この池には以下のような言い伝えが残るという。

「昔々、法事で使うお椀が二十個足りず困っていた村人が、池のほとりを通り掛かると、池の中から「何を困っているのか」と声がした。
村人は事情を話すと「足りない数を紙に書いて池の中に投げ込むように」と云われ、言われた通りにして、翌朝池を訪れると、池のほとりに二十個のお椀が並べられていた。
それ以降、村人たちは椀が足りなくなるとここに来ては借りるようになりいつしか「椀貸池」と呼ばれるようになった。
ある日、隣の村人が結婚式の祝い用の椀が足りなくなり、この池に紙を投げ込んだ。
しかし用意された椀を持ち帰る際、転んでしまい背負っていた椀を一つを壊してしまった。
式後、借りた椀を返しに池に戻り、「一つくらいならいいだろう」とそのまま池の中に返したという。
それを境に「足らんぞ」という声が聞こえるばかりで、二度と誰も椀を借りることはできなくなった。」
というもの、断りもなくシレッと返してしまった事から、次の機会を失くしたようだ。

椀貸し池は山間地で農業を営むために作られた農業用の溜池で、そうした池には龍神や水神が棲むとされ、それらを祀る小さな祠が祀られ、いろいろな言い伝えも多い。
この池を堰き止めている堤沿いにも覆屋が建てられ社が祀られています。

椀貸し池を見下ろす堤に鎮座する白龍王大明神。

緑に包まれた静かな池畔は何かしら潜んでいてもおかしくない雰囲気が漂う。
これから森が紅葉の時期を迎え、運よく池に朝もやがかかれば龍の存在を感じられるかもしれない。

平成18年(2006)寄進のニノ鳥居。
左手に「胸形神社」の社標、この坂の行き止まりに社殿がある、しばしの辛抱。

ニノ鳥居と扁額、こちらは「胸形神社」とある。

胸形(むなかた)神社という社名は名古屋ではあまり馴染みはないと思います。
天照大神の三女神、多紀理毘売命市寸島比売命多岐都比売命をお祀りし、宗像神社の名では西区上名古屋の宗像神社など出逢う事があると思います。
宗像神社は福岡県宗像市に鎮座する宗像大社を本社として、宗像の社名を持つ神社は5000を超えるとも云われます。

坂を上り進めると左手に稲荷鳥居、道はその先でカーブし頂きに建てられた社殿に続いています。

稲荷神社。

本殿の他、庚申塔など複数の石の社が祀られています。

手前の石鳥居の額束には象頭(ぞうずさん)山と刻まれている。

香川県仲多度郡琴平町象頭山中腹に鎮座する「こんぴらさん」で、金毘羅大権現を祭神とする神社で、神仏分離以降は大物主神を祭神とする金刀比羅宮の本社として知られる。

石鳥居の先の稲荷鳥居、額は稲荷神社。

稲荷神社境内全景。

稲荷神社覆屋の他、左に庚申塔の他に複数の石碑が祀られており、右に一つ石の社と石塔、その右に遷宮記念碑(平成24年(2012))が立てられています。

左の石標は手前が庚申塔、中央は識別できず、奥が白戸?阿弥陀佛とあるが、其々の年代は不明。

鳥居中央に鎮座する覆屋の中には朱塗りの稲荷神社。
稲荷と云えば狐がつきものですが、社にその姿は見られず、赤い社と云えば天王社のイメージが個人的に強く、稲荷の実感は薄い。

稲荷神社の右の石の社ですが社名はどれだけ見ても分からなかった。
その右は金刀比羅山と読めます、額束に象頭(ぞうずさん)山と刻まれた石鳥居はこちらの鳥居なんだろう。
何れも石の色合いは浸食が進み、いつ頃建てられたものかは想像できません。
一番右の「遷宮記念碑(2012)」から、境内もしくは近隣からここに遷宮してきたものだろう。
今昔マップで明治・大正まで周辺を見渡してみましたが、鳥居が示されるのは昭和に入ってからの事でした。

胸形神社社殿全景。
左から神楽殿、拝殿、幣殿、覆殿がやや北西を向いて建てられています。
広い社地は草刈りが行き届き、社殿の外観もとても綺麗に維持されており解放感があります。
神社を陰か陽かで例えるなら陽の神社です。

祭礼の時にはここまで車で上ってこれるのかもしれない、あと少し。

参道を上り詰めると左側に綺麗な手水鉢があります。
残念ながらこちらには龍の姿はありません。

境内西側から社殿の眺め。
入母屋瓦葺妻入りの神楽殿は桁行、梁間ともに三間で四方吹き抜けで腰壁が張られたもの。
その先の本殿域は左が社務所かと思われ、神楽殿の正面が拝殿。

楽殿から拝殿の眺め。

拝殿前には一対の石灯籠と狛犬の姿がある。

狛犬や石灯籠は平成18年(2006)に寄進されたもの。

拝殿額。

祭神は多紀理毘売命市寸島比売命多岐都比売命宗像三女神を祀る。
神紋も宗像大社に通じる三つ葉柏のように見えます。

拝殿前の竣工記念碑の由来。
「先祖代々この地に於いて崇敬されし胸形神社は、古事記に「多紀理毘売命、市杵嶋比売命、田寸津比売命」の三柱の神は胸形君等に奉祭している神々であると述べています。
三女神は水の神の神徳を持ち、平安時代以降の神仏習合思想により、弁財天と同一視される様になり、財福の神の信仰ともなってきました。信仰厚き先祖により、この地に祀られ、皆の崇拝の基となっております。」とある。
これによれば現社殿の竣工は平成18年(2006)となります。
航空写真からここが開かれ、社殿らしき姿が見えるは昭和40年代、由緒に先祖代々とある事から、それ以前から祀られていたと思われます。
椀貸池は明治の地図にも描かれており、作られた時期は不明で、この池と共に祀られたとすると江戸時代には既に何らかの形態で祀られていたのかもしれない。

境内左側に霊神碑と御嶽神社が祀られています。
狛犬や社標の年代を見忘れてしまい、今思えば見ておけば良かった。

拝殿右から見る社殿全景。
綺麗に積まれた石垣が印象的だった。

参拝を終え、境内から近くて遠い稲荷神社を見下ろす。

今回の八草周辺の神社巡りは胸形神社で終えますが、探しても見つからなかった神社やこの先の猿投神社など多くの神社もあり、次回は電車で訪れ紅葉を見がてら歩いてみたい所です。

胸形神社
創建 / 不明
祭神 / 多紀理毘売命、市杵嶋比売命、田寸津比売命
境内社 / 白龍王大明神、稲荷神社、金刀比羅山、他
所在地 / 豊田市八草町丁田1233-6