『白髭神社』豊田市大畑町寺ケ洞

豊田市大畑町寺ケ洞鎮座白髭神社
神社へは猿投グリーンロード八草インターで降り、信号を右折し国道155号線を南下、八草町森下の八柱神社の鳥居を左に見ながら、大畑町前田の信号を左折した丘陵地に鎮座します。

愛知環状鉄道の高架をくぐった先から、国道方向を眺める。
こちらも参道の上を電車が通り過ぎていく。

白髭神社に続く参道。
左側に社号標が立てられ、その向かいに豊田市消防団の分団詰所があり、半鐘の吊るされた火の見櫓が聳え、櫓の下には地蔵堂と秋葉さんも祀られていました。
その昔はこの辻付近に「高札」や「郷蔵」が建てられていたという。

参道の道幅は普通車一台分の幅員でしかも相互通行の生活道路、鳥居のある社頭はこの道の先にあります。

社号標は大正7年(1918)に寄進された「村社 白髭神社」とある。

上屋敷、不流、硯坂、寺ケ洞集落の境に続く参道の先に白髭神社の社頭が見えてきます。

丘陵地に社頭を構える白髭神社社頭。
鳥居脇の境内には銀杏と杉?の御神木が空に向かって聳えています。

車は左方向に進むと駐車余地があり、地元の方に声掛けした上で駐車されるといいでしょう。
鳥居右手のちびっこ広場は、入口に軽がなんとか駐車する余地はありますが遊び場なので駐車は避けたい。

鳥居から先はすぐに石段、その先の境内左が手水舎、正面に拝殿の鰹木が見えています。

鳥居の白髭神社扁額。

石段を上ると八柱神社同様の広々とした境内が広がる。
この広い境内の東側が更に石垣で嵩上げされ、大きな社殿が建てられており、余裕があって解放感すら感じる。

白髭神社由緒。
…後で拡大すればいいかと思っていたが、意に反し由緒の内容は祭神猿田彦命までしか読み取れなかった。

手水舎、社殿はコンクリート造り。

この日だけかもしれませんが、鳥居前から左に車で進むと写真右側の道に続いており、境内に乗り入れることが出来ました。

下の境内から見る拝殿。

白髭神社は道開きや導きの神として知られる猿田彦大神をお祀りし、かつて天然痘が流行した際には近隣の尾張地方を含め多くの参詣者が訪れ、疱瘡の神「大畑の白髭様」として崇敬されたそうです。
社蔵の棟札に「白髪大明神・白山妙理大権現社維時寬延4年(1751)大畑の氏神として尊祟」として残ると伝わります。

拝殿前の狛犬は昭和52年(1977)寄進のもの。

左三つ巴の紋が入る拝殿額。

拝殿から本殿方向の眺め。
現在の社殿は、昭和52年(1977)造営改築が行われ、その際に隣接の山を削り取り、造成が行われたことにより広大な社地が生まれたようです。

境内右から社殿の眺め。
八本の鰹木、内削ぎの千木が付く拝殿は幣殿と一体になり、内削ぎ千木と六本の鰹木が付く本殿に繋がっています。

拝殿右に立つ石造の明神鳥居。

額束には白髭神社と刻まれているようです。

一対の狛犬の先に石の社が七社祀られています。

大正11年(1922)に寄進された狛犬

境内社
左から洲原社、大荒神社、水神社、風神社、秋葉社、琴平社、山神社。
もともとは集落に祀られていた社で、大正初期に一帯の開発に伴い、ここに遷座されたものという。

境内社から鳥居方向を眺める。
参道脇の五基の常夜灯は寄進年を見忘れましたが、鳥居前の一対を除き、竿や火袋の形が違っており、寄進年や石工が違うのかもしれない。

この先の伊保川右岸の天神山には飛地境内社天満宮(赤丸)があるそうですが、等高線の北側に入口があると誤解しとんでもない道に迷い込んでしまい辿りつけませんでした。
恐らく等高線の南側に小道と天満宮の社頭があるものと思います。

下の境内から社殿の眺め、規模の大きな社殿ですが、とにかく広い社地の影響もあり小さく見えてしまう。

境内から鳥居、参道の眺め、正面に見える小山の左側に恐らく天満宮が鎮座するものと思います。
次回訪れる時は導きの神が天満宮まで導いてくれるのでは。

白髭神社
創建 / 寬延4年(1751)
祭神 / 猿田毘古神
境内社 / 山神社、琴平社、秋葉社、風神社、水神社、大荒神社、洲原社
所在地 / 豊田市大畑町寺ケ洞207
車アクセス / 八柱神社から国道248号線を南下、大畑町前田信号左折、直進。 ​移動時間約2~3分​。
公共交通機関アクセス / リニモで​八草駅から約20分​、
参拝日 / 2023/09/20

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